【石狩データセンター10周年-挑戦の軌跡-】総指揮、現場、後方支援―3つの視点からみた北海道胆振東部地震
さくらインターネット、広報担当の中西です。
連載の第8回は、2018年に起きた北海道胆振東部地震発生時のエピソードをご紹介します。
今回は、被災当時に総指揮を行っていた取締役の前田 章博(マエダ アキヒロ)さん、当時は石狩データセンター長を務め現場で指揮にあたった玉城 智樹(タマキ トモキ)さん、衣食住を整え石狩データセンターで働くメンバーをメンタル面から支えた市川 恵未(イチカワ エミ)さんの3人にエピソードをお伺いし、執筆しております。
約2日半のブラックアウトを乗り越えた石狩データセンター
石狩データセンターは2018年9月6日3時7分59秒。北海道胆振東部を最大震度7の地震が襲い、道内全域が約60時間ブラックアウトしました。さくらインターネットは、当時において約38,000のお客さまに対しさくらのクラウドをはじめとしたインターネットインフラを提供する石狩データセンターを、9月8日に復電する2日半の間、停止させることなく運用し続けました。地震発生から通常業務へ戻るまでの主な時系列は以下の通りです。
9/6
03:08 石狩市内停電
バックアップ用の UPS が作動
非常用電源設備の起動
04:40~ DCに社員が集合
勤務者が集まる
札幌在住の取締役 前田(当時は執行役員)が到着
10:00 体制が確立(地震発生より約7時間)
現場と東京サイドの対応内容を検討・決定
安全確保のため、家族(猫を含む)をDCに呼び寄せ可能に
9/7
00:26 電力供給が一部再開(地震発生より約21.5時間)
北海道電力より電力供給が再開
09:40 DC内で炊き出し開始
石狩在住の社員の持ち寄りによる炊き出しが開始
東京より海路による支援隊の派遣が決定
15:51 タンクローリーによる燃料補給
代表の田中による折衝により給油が実現
18:00~ 長期化を視野に入れた体制構築
支援隊・業務支援組の動きの共有
9/8
14:00 復電(地震発生より約59時間)
15:00 通常業務へ
社員家族の退館
平常業務へ移行
全体指揮、前田さんの場合―「メンバーが安心して、力を発揮する場を整えたい。」
ここからは、前田さん、玉城さん、市川さんのそれぞれの方にお伺いした、北海道胆振東部地震のエピソードをご紹介します。
被災当時に総指揮を行っていた取締役(当時は執行役員)の前田さんは、北海道札幌市の自宅で激しい揺れを感じ飛び起き、石狩データセンターの様子を見に車で向かいました。石狩データセンターまであと数分という距離でも「地鳴りのような音が聞こえてきた。」と当時を振り返ります。この音は、石狩データセンターの非常用発電機12基の稼働音でした。当時は、停電のため他の車の往来もなく、石狩データセンター近辺は静かな状態でした。そのため、少し離れていたところにも非常用発電機の音が聞こえてきていたのです。
前田さんが石狩データセンターに到着した時、シフト勤務※のメンバーや自宅から石狩データセンターへと集まってきていたメンバーが散り散りに各々確認や点検作業を行っていました。それを見た前田さんは、ホワイトボードを取り出し、誰が何時に来て、何をしており、どのようなトラブルが起きているのかをまとめるようにしました。これにより、状況が整理されるだけではなく、後から来た人も石狩データセンターが今どのような状況であるかが一目で分かるようになりました。
※石狩データセンターではお客さまのサーバーを安全に稼働させるため、24時間体制でシフトを組みサーバーの運用を行っています。
明け方に、道内全域で停電が起きている情報を知ると同時に「復電までに1週間かかる」というニュースが飛び込んできました。非常用発電機の燃料は48時間分の備蓄量であり、1週間もの長期に及ぶ停電に耐える量はありません。前田さんは「サーバーを落とす事態になったら、会社は倒産するだろう」と思うと同時に、本当に最悪の事態としてサーバーを止めることになったときの優先順位を判断しなくてはと考えたそうです。そして、石狩と東京支社をビデオ会議システムで接続し、東京支社に給油と電力供給の手立てと最悪の事態になった場合の手順についての検討を依頼しました。検討が行われている間も、非常用発電機の稼働台数を減らし、供給が可能な時間を延ばすなどの手を打ちました。結果的に、2日目の午後に折衝によって燃料補給が実現し、3日目の9月8日14時に予想より早く電力が復旧したことで、最悪の事態を免れることができました。
また、多くのメンバーが自宅に家族を残し出勤していることを知った前田さんは、家族を石狩データセンターに呼び寄せる決断を1日目の10時という早い段階で下しました。一般的なデータセンターは厳しいセキュリティー基準が設けられており、「関係者以外の立ち入りは禁止」が鉄則です。しかし、前田さんは「家族と仕事、守るものが2つあるのは大変。メンバーが安心して、力を発揮する場を整えたい。」と独断で家族の入局を決定しました。これにより、後述する市川さんなどのメンバーも出社し、石狩データセンターへ身を寄せることができるようになりました。
現場指揮、玉城さんの場合―「メンバーの責任感に非常に助けられた。」
続いては、震災当時に現場にてお客さまのサーバー構築や保守を担っていたメンバーの指揮を行っていた玉城さんからお伺いしたエピソードです。玉城さんは震災発生の直後からSlackを活用し、現場の状況把握および指揮を行っていました。出社した玉城さんが初めに現場の指揮者として行ったことは、「最低限のこと以外はしなくていい。」という判断でした。現在のシフト勤務者の出社状況や震災の影響規模が不明であるという状況から、次のシフト勤務のメンバーが出社できるかは定かではなく、現在出社しているメンバーに長く勤務してもらう可能性があると考えたからです。そのためメンバーの負荷を軽減し、できるだけ英気を養うことができる状況を整うべく、自社サービスの新規構築作業を停止しサーバーの保守・運用に注力することにしました。
上記にも記載した通り玉城さんは、出勤が困難なメンバーが多くお客さまのサーバー運用が難しくなるのではないかと憂慮していました。しかし、このような未曾有の状況でもお客さまのサーバーを守るために出勤してきたメンバーや、駆け付けた他部署のメンバーが多くいました。これには、玉城さんは非常に驚き、「メンバーの責任感に非常に助けられた。」と当時を振り返ります。玉城さんは、これらのメンバーと分担し、お客さまのサーバーや石狩データセンターへ入局しているテナントさま、石狩データセンターの建物自体の安否を確認して回りました。サーバールームは、ラック背面のカバーが外れていたところもあったそうです。メンバーは、1台1台のサーバーを見て回り電源が抜けていないか、故障をしていないかの確認を丁寧に行いました。
また玉城さんは、「メンバーの努力ももちろんのことですが、周りの協力も大きかった。」と、振り返ります。ファシリティチームや石狩データセンター以外に所属する同チームのメンバーが、石狩データセンターにおけるサーバーの保守・運用以外のことを一手に引き受けてくれたそうです。これにより玉城さんを含む現場のメンバー達は、石狩データセンターで稼働しているお客さまのサーバーのことだけを考えることができました。そのため、石狩データセンターのサーバー運用は非常事態であったものの常時とあまり変わらぬ運用を行うことができ、復電するまでの間、お客さまのサーバーを停止させることなく運用を続けることができました。
後方支援指揮、市川さんの場合―「非常食は温かくて美味しいことが大切である。」
最後に石狩データセンターの安全衛生委員を務める市川さんに伺ったエピソードです。震災当初、小さな子供がいた市川さんは出社することができず、災害備蓄品の場所などは電話で伝え対応していました。1日目の10時に家族の入局が可能となり、市川さんは出社ができました。出社後は、自宅の冷蔵庫にあった野菜や冷蔵品、米10kgや缶詰などを持参し、石狩データセンターで勤務をしているメンバーの活力を養うために避難してきていたメンバーの家族と共に炊き出しを行いました。これは乾パンなどの冷たい非常食を食べていた当時被災したメンバーの印象に非常に残っており、「非常食は温かくて美味しいことが大切である。」と、北海道胆振東部地震の教訓として語り草になっています。
食料や備品に関しては、社内外からも支援が多くありました。社内からは、東京支社より物資支援チームが編成され、ハイエース2台に物資を積みフェリーにて石狩まで届けられました。届けられた物資は市川さんが仕分けをし、順次メンバーや避難してきたメンバーの家族に展開をしました。また、石狩データセンターにあるキリンホールディングスの自動販売機が災害救援自動販売機でした。市川さんが、キリンホールディングスに連絡を取ったところ、飲料の無料解放を快諾いただき、飲料を社員へ提供することができました。
また、石狩データセンターに身を寄せていたメンバーの家族の中には、小さな子供もいました。小さな子供が普段慣れない環境で、長時間の待機を強いられることを懸念した市川さんは、普段プレゼン等で利用するプロジェクターを使い自宅から持ってきたアニメのDVDを上映したり、普段メンバーが椅子として使っているバランスボールをおもちゃの代わりとして提供したりと心を砕きました。また、石狩データセンターにはシフトで勤務するメンバーのための仮眠スペースはありましたが、今回の様に長時間の利用は考えられておらず仕切りが無いオープンなものでした。長時間の待機となるとプライベートゾーンの確保が大切だと考えた市川さんは、テントを設置することで確保に努めました。テントは中で着替えをしたり、小さな子供のオムツを替えたりするのにとても重宝しました。このように衣食住を整え、市川さんは石狩データセンターで働くメンバーをメンタル面から支えました。
さくら防災週間、気づきをもとに体制の強化へ
三者の視点から見た北海道胆振東部地震発生時のエピソードでした。しかし、全員が一致していたのは、極限の条件下でも周りを思いやり、パフォーマンスを存分に発揮できる環境をつくることに努めたということでした。また、この経験により多くの知見や教訓を得ました。さくらインターネットでは、これらを生かすために毎年9月1日~9月6日の間を「さくら防災週間」とし、災害発生時のシミュレーションや訓練などの実施をおこなっております。
また、さくら防災週間に限らず、災害に備えて体制や備品のアップデートも行っています。例えば、「非常食は温かくて美味しいことが大切である。」という教訓から備品体制の見直しを行っています。乾パンなどの非常食(長期保管)だけではなく、温かい食事を意識しレトルト食品やインスタント食品といった常食(短期保管)を追加し、非常食と常食を7対3で備蓄する方針へと変更し、「生命維持」という目的ではなく、可能な限り通常に近い食事ができ、「データセンターの維持活動」がおこなえる体制を保持できるように努めています。
他にも石狩データセンターでは、電気事業法第42条に基づいて策定された「保安規定」に従い行っている年次点検に加えて、2021年より非常用発電機実負荷試験も行うことにしました。これは、北海道胆振地震のブラックアウト経験より必要と判断され追加された試験となります。詳しくは下記のnoteをご覧ください。
これからもさくらインターネットでは、このように北海道胆振東部地震の経験を糧にお客さまのサーバーを安定して運用するための様々な取り組みを行ってまいります。