悪魔勢力に対する免疫をつけよう
(画像の無断使用はご遠慮くださいませm(_ _*)m)
■免疫力
最近、日本への情報戦・歴史戦が盛んになっています。
『Japan's Holocaust』『731部隊』『NHK放送テロ』『黒人奴隷日本流行説』など、どれも酷い内容です。
日本は情報戦に対する免疫力が弱いです。
特効薬が必要です。
どんな情報戦が日本を襲っても
真理の帯を腰にしめ、正義の胸当を胸につけ(エペソ6:14)
堂々と闘い勝利しましょうー!
正しい認識を持った日本人の調和団結が大切です。
日本人の美徳、親切心、思いやりの心、相手を立てる心が
反日勢力に悪用されています。
悪意を見抜く聡い心を持たなければ!
今日は日中戦争を振り返ってみたいと思います。
西尾幹二先生が『焚書図書開封』で
GHQが不都合だとして焚書した書籍を分析された時
「真珠湾攻撃について、当時からアメリカは頻りに『奇襲』という言葉を繰り返しているが
これは予め準備された戦略用語だ」と言われていました。
アメリカの戦略は、オレンジ計画(日本殲滅計画1897-1945年8回改定)に副った“シナリオ”です。
1940年5月アメリカは、日本との戦争を意識し西海岸のサンディエゴにあった太平洋艦隊を真珠湾へ前進させました。ルーズベルトにすればやりたくて仕方がない対日戦の始動です。
これに反対したリチャードソン大将はその後、『パールハーバーへの道』を出版し、
「フランクリン・ルーズベルト大統領こそアメリカを太平洋戦争に誘い込んだ張本人である」
と告発しています。
アメリカは日本と戦争する気満々だったのです。
しかしアメリカの謀略はあくまで『日本の方から攻撃をさせる』
しかも『奇襲』というカタチで
このアメリカの策略は、
既に真珠湾攻撃から遡ること27年前の1914年
アメリカの作家モーガン・ロバートソンが著書に書いています。
『Beyond the Spectrum』という短編。
これは日本が宣戦布告をせず、奇襲攻撃をするという物語です。
この物語は、山本五十六の作戦と酷似しています。
不思議ですね。。。山本五十六はこの「物語」と全く同じことをやったのです。
日本の天皇陛下も上層部も、真珠湾攻撃など反対でした。
ところが
アメリカでは、オレンジ計画(日本殲滅計画1897-)の戦略の一つとしてあったそうです。
著者モーガン・ロバートソンはこの短編『Beyond the Spectrum』を書いた翌年の1915 年
毒殺されました。
奇
妙
ですね。。。
以下、以前BANされたアメーバブログの記事から抜粋します。
----- 日中戦争で、日本はアメリカと戦わされていた ----- -
アメリカABCニュースです。(1991年)
アメリカが日中戦争を仕掛けて,中国の背後から日本を攻撃する作戦は、Top Secret でした。
アメリカとしては、あくまでも日米戦争は、日本の方から
最初の一撃を「奇襲」させるという体裁をとる『戦略』でしたから
アメリカにとっては
既に日中戦争(1937~)の時から、アメリカが日本に宣戦布告無しに戦争行為をしていた事実
を知られては不都合です。
宣戦布告無しに戦争行為をしていたのは、アメリカのほうです。
この『疚しさ』を隠す為、アメリカ様は嘘を世界に拡散する必要があった。
巧妙なプロパガンダ『日本悪玉論』をつくる工作をしなければなりませんでした。
それが今尚、継続中。
『Japan's Holocaust』『731部隊』~~と。
世論を反日に洗脳し、国民が参戦に傾くように誘導する為には、
日本に最初の一発を打たせる、それも『奇襲』でなければならないと。
アメリカのシナリオはこうでした。
真珠湾の約一年前の1941年1月24日
フランク・ノックス海軍大臣がヘンリー・スチムソン陸軍大臣に認めた手紙です。(海軍が陸軍に命じた内容)
「日米戦は必至だ。
その時、日本は必ず真珠湾を攻撃する。(させるよう、日本を追い込む!)
そしてそれは、奇襲となる。(となるよう、仕組む)」
しかし実際の日本は、このずっと後の十カ月経った時点でも、まだ戦争回避に心血を注いでいたのです。
●ドール大佐(ルーズベルトの娘婿)はルーズベルトが酷く日本を追い詰める動きを近くで見ていました。
ドール大佐曰く
「ホワイトハウスで1941年11月25日に開かれた運命的な会議の記録を読み返して見て」(←日本に対して翌日26日ハル・ノートを突き付ける悪巧み)
「私の以前の義父、ルーズベルト大統領および彼の側近たちの戦略は、(日本との間の)
平和を維持し、保障することではなく、
事件を組み立て、あるいは引き起こさせて、
アメリカを日本との戦争に巻き込む
という陰謀にもっぱら関わっていたと、私は悟ったのです。
それを知って私の心は張り裂けんばかりでした。
これは『裏口』からヨーロッパの戦争に入ることを可能にする計略でした。」
「アメリカ国民は日本との戦争を欲していなかったことを彼(ルーズベルト大統領)は十分に知っていて、
それゆえにこそ、あらゆるコストを払っても戦争をアメリカ国民の頭上に押し付けなければならなかった。
かくて欺瞞に満ちた諸々のことが舞台に入り込み、アメリカ国民の激しい怒り、感情的爆発を起こす『事件(真珠湾攻撃)』を【創作】することが必要となったのです。
そこでこの怪しげなマント(真珠湾奇襲)が、巧妙に日本人の肩に掛けられなければならなかった。」
このアメリカの側が巡らせていた策謀は十カ月後、ロバーツ委員会報告書に於いて次のような記録として残っています。
■『ロバーツ委員会報告書』
●1941年11月26日(日本時間11月27日)、戦争をおこしたいアメリカ側から、戦争を回避したい日本側にハルノートを突き付けた。
●1941年11月27日、(上記、ドール大佐「運命的な会議(ハルノート)」の二日後)
陸軍諜報部長はハワイ陸軍司令指揮下の諜報官に宛て同じくメッセージを送る。
「日米交渉は事実上決裂した。(実際は、米国が決裂するように仕向けた)
続いて日米は戦争行為に入るかも知れない。(略)
かくして両司令長官はこの訓令に基づき、右メッセージの要旨をハワイ軍司令官に通達した。
本委員会(ロバーツ委員会)に於ける査問会の席上、
ハワイ陸軍司令官ショート中将は上記メッセージについて
「見せられたような気もするが記憶はない」と陳述した。(←とぼけて逃げた)
┃日本が卑劣な宣戦布告無しの『奇襲』をしたという “シナリオ”
さて、日本の意志とは全く逆に、
アメリカは、彼らの我欲を満たす計略を進めていました。
アメリカは日本に対し、最初の一発をただ打たせるのでは物足りず
日本に『奇襲』攻撃をさせる事でより『悪辣さ』を演じさせるよう誘導しました。
その為に利用されたのが、日本の優秀な商社マン新庄健吉氏(諜報員)です。
国際金融資本の動向を調査していた新庄健吉は、44歳の若さで
『偶々』病気になり
『偶々』イエズス会のジョージタウン大学の医学部の病院に
入院してくれた
『偶々』アメリカが策謀を巡らせていた真珠湾奇襲の数日前
に死亡した。そして
『偶々』新庄の葬式の時の牧師の話が長々と異例の長さ
になった。
『偶々』その葬儀中に、開戦となった。
ハルへの宣戦布告文書提出する立場の野村、来栖の
両大使がその葬儀に出席しており
『偶々』牧師の話が長々と異例の長さとなった為、
中座することができなかった。
焦った一等書記官が退席を促すが、野村はそれを制止し、そのまま葬儀に出続けた。
そうこうしているうちに、攻撃が始まり、ハルへの宣戦布告文書提出が遅れた。
見事にアメリカの願望『日本による先手攻撃』しかも『奇襲』が叶った.
大本営政府連絡会議の12月6日の会議において、最後通牒の「手交の時間」がワシントン時間7日午後1時と決定され、伝えられていた。
それにもかかわらず、なぜ野村大使の手渡しが大幅に遅れることとなったか?これは、
実は、この葬儀での牧師のメッセージの遅延にあったのです。
45歳で突然亡くなった新庄大佐の本当の死因は不明です。
そして、なぜ4日に死亡したのに、葬式が開戦まで秒読み段階に入った非常時の7日に行われたのか、
また、なぜ野村・来栖両大使がその葬儀の日程を受け入れ、それに参加したのか。
すべてが謎です。
天皇陛下や東條内閣の意向ではない真珠湾攻撃が、何故起こされたか。
山本五十六暴走説があります。勿論彼もオカシイです。しかし
オレンジ計画以降、モルガン(イエズス会)が日本に送り込んだ彼の親戚であるジョセフ・グルー駐日アメリカ大使が
十年間も日本に居座り、親日を演じつつ山本に近寄っていった事にも注目すべきです。
アメリカ国内の共産主義者(国際金融資本のコマ)の牙城としての太平洋問題調査会(IPR)も関係しています。
彼ら国際金融資本家と繋がっていた日本の左翼を傀儡として操っていました。
共産主義とグローバリズムは同根です。
過去の教訓を活かし、アメリカ(駐日大使も含め)を信頼しすぎず
真実一路、誠心誠意、特攻精神で
本当の日本を取り戻しましょう☆