我が國體から考える~LGBTQや男女問題に対する認識
ローマ教皇は2023年12月18日、
司祭が同性カップルに祝福を与えることを許可すると宣言しました。
この宣言は果たして正しいのでしょうか?
聖書ではエバはアダムのあばら骨から造られました。
即ち、神さまと完全に一つとなる道は、男性と女性が一体とならなければなりません。
宇宙がビッグバンから始まった様に
男女の一体化も真理が光となり、愛情が全てを溶かすほどの高温になって、その真理と愛の融合一体化の中から新しい生命が誕生します。
この男女が一体化し子孫を残す為の結婚制度は宇宙の根幹を成しています。
悪魔は同性婚やLGBTQを武器として家庭の破壊を狙います。
この運動の中心は左翼勢力です。
繰り返しになりますが、家庭は世界の基軸です。
世界や国家は版図拡大の途上において表れる言葉であり、
基本の基本は家庭に帰結します。
個人はどこまでいっても個人であり、完成していません。
個人は未完成、家庭は完成形です。
家庭、社会、国家、世界はそれぞれ完成した家庭の版図拡大に応じた言葉に過ぎません。
LGBTQの「Q」について、先日You Tubeの討論番組で
ジェイソン・モーガンさんは次のように言われました。
「ローマ教皇とグローバリストはセット。
バチカンは全世界の児童性虐待の中核です。
全世界に拠点を置いている。
どれほど多くの神父が世界各国で児童性虐待を犯しているか。その数は、凄まじいです。」
さて今回はLGBTQについて、日本の歴史や精神伝統から考えてみます。
西村眞悟さんは以前、我が国の天皇についてこう述べられました。
「天皇とは、天壌無窮の神勅による権威なのだ」と。
という事は神の真意を肇国の理念とした我が国に於ける天皇は
神意に適った国造りをされ、民の親として国を治めるご存在であると言えます。
他国の我欲主義的な歴史とは違い
親子の愛の絆で結ばれた日本の歴史には、永遠性があります。
建国以来私たちが心から敬ってきたご皇室は、現代で言うLGBTQをどう捉えてこられたのでしょうか。
この事は天皇の大御宝である日本国民が何を模範とすべきかを知る上で大切な事だと思います。
人類歴史は善と悪の闘いが繰り返されてきました。
この歴史に終止符を打てる国は、人格大国である日本しかありません。
日本人はお人好しの善意だけで理想の世界を築こうとしても困難です。
悪なる勢力が仕掛ける巧妙な罠を見抜かねばなりません。
一見美談に見せかける悪魔勢力の巧妙さを如何に見抜くか
というのが、神の真意を知ると言う事にも繋がります。
悪なる勢力は、超大型の罠を仕掛けてきます。
もっともらしい国際機関を使い、完璧な舞台装置を整えて襲いかかります。
世界がLGBTQを強力に推し進める中
我が国の精神伝統の中心に立たれるご皇室の歴史から見て
我が国はどう対応すべきかを考えます。
これについては先日マレさんもCGSで触れていた
『続日本紀』(しょくにほんぎ)から読み取れます。
そこには昔同性愛者だった皇太子が私通侍子の罪で廃太子(皇太子が、廃位される)された末に拷問処刑された事が書かれています。
『続日本紀』によると756年に崩御された聖武天皇は
道祖(ふなど)王を皇太子にするようにとの遺詔を遺しました。ところが道祖王は皇太子になった翌年断罪され、
廃位させられた上、死罪となりました。
よほどの重罪を犯した事は確かです。何の罪だったのか…
『続日本紀』には「私かに侍童に通じて」、つまり男性である皇太子が幼い少年に淫らな行いをした。
それを注意したが悔い改めなかった。
「志淫縦に在り。教勅を加ふといへども、かつて改悔なし。」
その重罪ゆえに道祖王は「杖下に死す」
とあります。
即ち律令に定められた刑罰である「杖刑」を受けた。
小児性愛という重罪に対する刑は死ぬ迄叩くという拷問でした。
よく「日本は昔から戦国武将も同性愛者がいた」と言う人も居ますが、そうした枝葉はともかく
神国日本の幹であられるご皇室の伝統を
我が国の民は手本とすべきです。
〔ご参考〕■廃太子、杖下に死す
https://gyokuzan.typepad.jp/blog/2018/12/%E9%81%93%E7%A5%96%E7%8E%8B.html
では日本女性の男女問題に対する精神伝統はどうだったのでしょうか。
〔ご参考〕■大和撫子(日本女性の武士道)
https://note.com/sakura_ko0412/n/n2e1da0aa0b34
人として正しく生き、日本の未来(子供)を拓きましょう。