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無農薬にはつきものの

昨日の記事の中の到来物が到来者になっていたことに、朝になって気づいた。そんな言葉はないのだから(ないよね?)変換候補に出さないで欲しい。なーんていうのは、ちゃんと見直さない怠け者の弁ね。

貰い物といえば、サラリーマン家庭に育った私は、夫の実家(の大きめ家庭菜園)から貰う大量の野菜に、最初は面食らった。喜んで貰ってくるけれど、土も、虫も、虫食いも、量が食べきれない程であることもみんなみんな、大変だった。

小松菜やほうれん草など、せっせと洗って土を落とし、せっせと茹でて、せっせと冷凍しなければならなかったし、柿は箱で来るし、渋いのもあるし、まあ、とにかく、「食べるものは食べる分だけ買って来る」で育った私には、食べなきゃ! 消費しなきゃ! というのがプレッシャーだったのだ。

「新鮮」なものは確かに美味しい。でも、新鮮なうちに全ては食べきれない。

近所に配ればいいじゃないかと思うかもしれないし、実際、お裾分けしたこともあるけれど、基本的にはそういうの、苦手なんだ。

今はもう義父も義母も亡くなり、その家さえもなくなってしまった。「こんなに食べられん」と思ったフキノトウやタラの芽も、もう、わざわざ買っては食べない。ただ、スーパーで見かけると、ああ、この時期なのねーと思い出す。今ならナスやキュウリや枝豆だな。

ありがたいけど、たくさんは、いらない。

夫は定年になったら畑を借りて…とか言うけれど、私は反対している。