さいざんす細断です
古い年賀状をシュレッダーにかけた。
いつでも捨てられるんだから今じゃなくてもいいやと溜め込んでいたハガキたち。前の前の住所のものまであった。ハガキ代50円の時代だ。
「見ない、読まない、確認しない」で、どんどん放り込む。写真付きのものは厚みがあって音が違う。この子達も大きくなったんだろうなぁ…とか、感情は極力持たずに放り込む。
それでも、3年分くらいやったらもう、うんざりした。一度に燃やしてしまえればいいのに。
昭和の頃は庭先でゴミを燃やせた。古い手紙や日記、古くなくても秘密裏に捨てたい文書などは自分で燃やした。何もかもメラメラと燃えて無くなる。いい気分だったなぁ。泣きながら燃やすとか、そういう感傷的なシチュエーションについてしっとりと語りたいものだけれど、なかったことは綴れない。
シュレッダーでの細断は、形を変えるだけで物が消えるわけじゃない。クッションでも作れそうな細かな紙屑には、まだ、何か、が、残っている気がする。
そういえば夫が「もう会社にはシュレッダーというものが一台も無い」と言っていた。秘密文書は皆、そのまま然るべきところに放り込むと、然るべき業者が回収していって処理するんだとか。
え? その業者って、信じていいの?
なんだか、事件が始まりそうじゃない?