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物語シリーズと精神医学
実はnoteの投稿で自分語りをする予定はありませんでした。自身の内面を描こうとすると、どうしてもネガティブなことを言わなくてはなりませんし、ポジティブなことを書こうとすると、自己暗示的な文章になってしまい、嘘くさくなってしまうと思っていたからです。
ただ最近、ふとしたきっかけで自分が今感じていることを、モノローグ的に書いていこうと思い始めました。(このきっかけについては、改めて記事にしたいと思います)
モノローグ(独白)であれば、誰かを説得したり、過度に正確性にこだわる必要もないかと思っています。その分、もしかしたら内容が不正確だったり、場合によっては不快に思わせてしまうこともあるかもしれません。
そう言う点も含めて、桜ひぐれの勝手なモノローグとして気に入って頂けるのであれば、読み進めてもらえると嬉しいです。
では始めさせていただきます。
皆さん、西尾維新さん原作の物語シリーズを読まれたり、アニメをご覧になったりしたことはありますか?
一応「ラノベ」の扱いですが、独特の書きぶりが人気を博し、またアニメもそれを上手く表した名作で、今でも根強い人気がある作品です。
個人的にはよくあの作品を、あんなふうにアニメ化したなと思いますが(笑)。
ストーリーは、さまざまな「怪異」に取り憑かれた女の子を、主人公の阿良々木暦が解決していく、いわゆるハーレム系ラノベなのですが、この作品、知り合いの精神科医に言わせると、極めて正確に精神医学について語っている部分があるようです。
※ 以下ネタバレを含む箇所があります。なるべく配慮していますが、記事の主旨から一部核心に触れる内容があることをご容赦下さい。
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ネタバレを防ぐために詳しい解説は省きますが、例えば怪異を取り除く専門家である忍野メメという中年男性の所に、怪異に取り憑かれた女子高生でヒロインの戦場ヶ原ひたぎがやってくる場面。ひたぎが、
「私を助けて下さるって、聞いたのですけれど」
と言うと、彼は
「助ける?そりゃ無理だ。君が勝手に一人で助かるだけだよ。お嬢ちゃん」
と返すシーンがあります。
最近、私は臨床心理士さんによるカウンセリングを受けているのですが、カウンセラーは常に「私(桜あかね)がどう感じているか」を引き出そうとして、絶対に「(カウンセラーとして)こうすべきだ」というアドバイスはしません。
結局、心理療法というのは、最後は自分自身に向き合って、自分で解決するしかない問題であり、カウンセラーさんはあくまでそのお手伝いをしているに過ぎないのだと感じています。
(重度の精神疾患の場合、カウンセリングでは解決出来ないこともあるようなので、あくまでも私の例として述べています)
忍野メメのコメントはこれを端的に表していると言えるでしょう。
ではそもそも、ヒロインのひたぎが何かメンタル的に病んでいたかどうかについてですが、思春期のとあるトラウマを抱えた彼女は、そのトラウマを忘れようとして怪異に取り憑かれます。
現実世界であれば何らかの精神的な病に罹っていたであろう彼女の状況を、作品では怪異に取り憑かれたと表現しているのではないかと思います。
結末の詳細は省略しますが、彼女は最後にそのトラウマと向き合い、自分がどうしたいのかを明確にした結果、怪異は彼女の元から離れていくというストーリーになっており、自らの内面に自ら向き合うことで自分の在り方に一つの区切りをつけられたことを表しているように思えます。
もちろんフィクションですから、面白おかしく書いている部分もあるかと思いますが、私は彼女の抱えたトラウマや、彼女がそれに向き合った時のセリフに深く感動しました。詳細が気になる方は是非原作をご覧になって頂ければと思います。
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さて、そんな私が、このシリーズの中で最も共感するのが、「終物語」に登場する老倉育という女子高生です。
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出所:そだちロスト其の貳(西尾維新・講談社・アニプレックス・シャフト)
彼女も、幼少期に親からの虐待というトラウマを抱えているのですが、その反動や色々な思いがあり、主人公の阿良々木暦に対して強い攻撃性を持って接してきます。
このあたりの彼女の言動に関する精緻な精神分析は、専門外である私が言及することを避けますが、学校に行かず引きこもる彼女の家を主人公の阿良々木が訪ねた時のセリフは、何度聞いても私の胸に深く突き刺さるものでした。
以下はその場面で彼女が言ったセリフの内、特に印象深かったものを時系列順に記載したものです。(抜粋や中略あり)
アニメを見て頂けると、井上麻里奈さん演じる彼女(育)の感情の揺れが良くわかるかと思います。
【怒鳴るように】私本当にバカみたい!こんな奴(阿良々木)に媚びを売って(中学時代に彼に対してとある仕掛けをすることで、親の虐待から)助かろうとした自分が恥ずかしい!死にたい!いなくなっちゃいたい!
【落ち着いた雰囲気で】私が特別不幸なんじゃないの。こういうの(家族の問題)はよくあることなの。私を哀れまないで。
【つぶやくように】嫌になったら逃げだすのは親のせいなのよ。私がこんななの(学校に行かず引きこもっていること)は親の責任だ。
【モノローグ的に】私は(離婚後に一緒に暮らしていた)お母さんがいなくなっちゃえば良いなんて思ったことは一度もない。
【呪詛するように】私は毎晩祈っていたんだもの。「お母さんがいなくなっちゃえば良いなんて、私が思いませんように」って。
【諦めたように】分かった?私がそんなに不幸じゃないってことが。これくらいのこと(父母の離婚後に一緒に暮らしていた母親がとある理由でいなくなり、育が一人暮らしをしていること)なら誰の身にも起こりうることでしょ?
【自己暗示のように】強いて言えば親が引きこもるっていうのだけは珍しいことなんだけど、私だけが不幸なわけじゃないんだから、頑張らないと。私はまだ幸せな方よ。
【再び感情的になって】ねえ、阿良々木。(虐待を受けていた幼少期の育が)お前(阿良々木)の家に保護されたとき、私がどんな気分だったか分かる?窓の割れていない家庭があるだなんて信じられなかった。一度あんなもの(阿良々木の家庭)を見てしまえば、私の家は悲惨なんだってことが分かっちゃった。
【怒りを徐々に膨らませながら】お前(阿良々木)のせいで、私の人生めちゃくちゃよ。
【一転して自分を責めるように】お前(阿良々木)のせいじゃない。お母さんの言ったことが正しいんだ。生まれたのが私じゃなきゃ、(母親は)もっとまっとうな人生だった。私が悪い。私が嫌い。私は私が嫌い。
【悔しそうに】だけどさあ、お前(阿良々木)のせいにでもしなきゃ、やってられないんだよ。もう駄目なんだよ。追いつかないんだよ。親を悪者してるだけじゃ。
そして、アニメでは井上麻里奈さん演じる老倉育が言葉を詰まらせて涙を堪えながら、
「どうしてうまくいかないんだろう・・・ここまでの罰を受けること何もしてないじゃん。教えてよ阿良々木、お前今幸せなんでしょ。どうして私は幸せになれないの?」
と絞り出すように言うシーン。私は涙が止まりませんでした。
この後、阿良々木暦、そして彼に同行していたクラス委員長の羽川翼が育にかける言葉がまた示唆に富んでいるのですが、敢えてここではそれらは伏せておきたいと思います。
私が幼少期に母親から受けていた「愛情」と思われたものは、実は「虐待」だったのだと、先ほど述べた知り合いの精神科医やカウンセラーからの指摘により、最近になって初めて気付かされました。
その内容がどのようなものだったかについては、回を改めて記事にしたいと思いますが、それまで盲目的に母親のことを信じていた私にとって、その指摘は本当に目から鱗が落ちる気持ちでした。
辛いことがあって死にたくなるような日には、このシーンを見て大泣きすることが時折あります。
何故涙が止まらないのか、正確には分かりません。
彼女の境遇に自分を重ね合わせて共感を得たいと思っているのか、その後阿良々木暦との間である種のハッピーエンドを迎えることを羨ましいと感じているのか。
一つだけ言えるのは、この物語のおかげで、私は今まで自分や他人を(少なくとも社会的に問題になるような形で)傷つけることなく、なんとか生きてこれたということです。
皆さんは、このシーンから何か感じることはあったでしょうか?
あいにく著作権の関係からアニメのシーンをそのまま載せることはできないので、どこまで私の感動を共有できたか不安ではありますが、気になった方は是非原作やアニメをご覧になってください。(個人的にはアニメの方が好きです)
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アニメや小説のような創造物が、人の心を動かすことが出来るのって本当に素晴らしいと思います。
今日も最後までお読みいただき、ありがとうございました。
感想コメントやフォロー、スキを頂けたらとてもうれしいです。
※記事中にある精神医学に関する記述は、多分に勉強不足による不正確な点があり得ます。