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生きていくのには希望が必要だなと思った話。

前提として、どの記事もそうなのだが、私が生きていくのが下手な人間だということを頭に入れて読んでいただきたい。


そして、今日書き留めたいと思ったことは、生きていくうえで希望って本当に大事というお話。

お話といっても、今日の私の頭の中なのだが…

まず、今日私にとって悲しいことが起きたことから。

好きなものとか、何か追ってるものって皆さんのなかでないだろうか?

動画やバンド、アイドルにアニメ、食べ物や場所など。

何となく見てるのも、きっと目に入って嫌じゃないからだと思うんだ。

私にも、そういった類の好きなものがある。

その好きなものについては、のちのち記事にするかもしれない。

好きなものを語る熱量は、割とある方だと自負している。

話が脱線したが、好きなものが数量限定で何かを発売したとする。

それを得られた時の喜びはひとしおだろうが、得ることができなかった時の悲しみ、得られた人との気持ちの落差に落ち込むことがある。

というか、本日その落ち込みがやってきた。

私は得られなかった側の人間なので、こうして気持ちを言葉にしてぶつけている。

タイピングにも思わず力がこもる…

大好きなものほど、落ち込む。

私には、その好きなものを愛でる資格がないのかとすら思う。

とことんネガティブだ。

だが、きっとそんなことはないのだ。タイミングや経済状況、環境要因も存分にある。

なんか、恋愛みたいだね。

そりゃ、好きなものに対する熱量なのだから本質的に同じ類の感情なのだろう。好きになる人は何が好きか、どんなふうに好きなのか…きっと、それがわかれば、自分を好きになってもらった時の反応をある程度予測できるのかもしれない。

また、話がそれてしまった。

そう、今日結論として残したかったのは、生きることには何かしらの希望が必要という話。

私は、その好きなものをゲットして手元に届くまで、それを心の支えにして生きようとしていた。

このように言葉にすると、大変重く見えるが、まぁ実際その通りなのだから仕方がない。

でも、きっとほかの人もそうでしょ?

明日、何食べようかな?とか

好きな人に何を話そうかな?とか

ゲームできるかな?ドラマの続き見れる日だなとか…

あとは、今日よりいい日になるかな?とか…

きっと、無意識に明日への希望って持ってると思うん。

違ったら、教えてください。

特別に意識しなくても、きっと明日を信じていて希望があって、だから生きててもいいかなぁぐらいに思って、気が付くと部屋に朝日が差し込んで目が覚める。毎日の連続ってそうなってる気がする。

希望の連続。

生きるのが下手だとわかってる私は、割と明確に楽しみがないと絶望に寄り添いがちになる。

だからちょっと未来に希望や楽しみを用意しておくのが、割と生きていくうえで必要なことなんだと最近分かり始めた。

それから、ネットで何かを注文をすることが増えた気がする。自分一人で希望を生成できるから。

届くまでは生きないとなって。

希望を作ってくれる人たち、届けてくれる人たちには日々感謝です。

あと、ちゃんと自分で希望を探している私偉い。軽く、うつ状態にあったときは何を聞いても、食べても、見ても心が動かされなかったので、希望が見いだせるかも嘘をつきがちな自分の心をみる指標になる。

だが、今日は数量限定の好きなものをゲットできなかった。このままではいけない。

代わりに、なにかで急遽自分を甘やかさないといけなくなった。

美味しい紅茶にたっぷり蜂蜜を入れてもいい。牛乳で煮出して、ミルクティーもいい。こうした、落ち込んだときの希望のストックも前よりうまくなった気がする。

でも、あくまで応急処置なので新たな希望を探さねば…

希望が一つなくなると、その瞬間に視野がぐんと狭くなってしまうので、ほかの希望を見落としがちになる。

こうして、noteを書いている間に、見たいアニメが3月開始だったことを思い出したので多分それまで生きよう。

だが、あんまり先過ぎる希望は遠すぎて待つのが辛くなってしまうので、1か月後くらいに希望があるといいな。欲を言うと一週間ごとに希望があると心が少し楽だ。そう考えると、毎週何曜日!とかのアニメやドラマなんかは、自分に合えば調度いい希望なのだと思う。

今日もみんな生きてて偉い。いや、死んでしまったら偉くないわけではないので凄いの方がいいのか?ネガティブは思考が揺らぐ。

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