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看護師無理だ!と思った話③

※自傷表現あり。フラッシュバックを起こす可能性があるので閲覧注意


受験、初めての実習、その次に何を書こうと思っていた。

テストや演習など辛かったと言えばそれまでの学生生活。

他学部よりもヨコやタテのつながりが結構大事だと思う。過去問や課題の情報など学生間のやり取りは活発だ。また、教授との飲み会に参加する学生も少なくない。それが、学会や協会など卒業後に活きることもある。いわゆる、ぼっちだと無理なのでは?と思う。ぼっちになる方が難しい学部でもあると思う。集まる学生自体、看護師免許取得という同じ目標を持った仲間であり、形は異なれど他人のことを気に掛ける性の人間の集まりである。講義を一緒に受けたり、お昼ご飯を一緒に食べたり、休日に遊びに行ったり。そんな特別中の良い友達、私の親友であり戦友の話をここでしようと思う。今も関係が続いているなら、看護師無理な話に一見関係ないのでは?と思われるかもしれない。だが、この友人なしで今の私は語れない気がする。もしかして、言い訳にしたいだけかもしれないが…

さて、その友人というのは以前も登場したAちゃんだ。

Aちゃんは同郷であり、大学までの最寄りの駅が同じだったこともあり、ほぼ毎日一緒にいた友人だ。もう一人、Aちゃんの幼馴染であるBちゃんと3人でいることも多かったが、なぜかAちゃんと波長がよく合い2人でよくカラオケのオールや映画を見に行った。単純に趣味や価値観が似ていたのだろう。そう、よく似ていた。

容姿に関しては、第一印象はおっとりした可愛いくて、ふわふわした体つきの胸の大きいお姉さん。身長はヒールを履いても、私より小さかった。そんな子が、モテないわけもなく彼女には常にお付き合いをしている人がいたと思う。女子高出身で、誰かの紹介でお付き合いを始めることが多い彼女だった。私が出会った頃は、遠距離恋愛をしていた。一度か二度その彼とお会いしたこともあるが、笑顔の素敵な1歳年上の聡明ででもどこか子供っぽさを持ち合わせた素敵な人だったと思う。

2年の初夏に差し掛かるころ、Aちゃんの顔が曇ることが多くなった。

母性の授業中だっただろうか、目に涙を浮かべたAちゃんに気付いたのは。いつからだったのだろう、彼女が長袖しか着なくなったと思ったのは。いつだっただろう、彼女の手首に傷跡を、数えきれないほどの切り傷を見たのは…

思い出せない。思い出したくないだけかもしれない。その頃の日記やTwitterなどは消してしまったから。lineなんかもアカウントを消したりしてしまい、記録が残っていない。記憶だけを頼りに書くので、すべてが事実ではないかもしれない。

所謂、Twitterの裏垢を彼女が持っているのを私は知っていた。私も、Aちゃんもいろんな思いを言葉にしたいタイプだったのだろう。そこもよく似ている。多分、似ているからこそ、そのアカウントも教えてもらったんだと思う。私も、大学のみんなと繋がっているリア垢とは別にアカウントを作って彼女をフォローした。彼女の思いは衝撃的なものだった。

毎日会っているのに、そのアカウントで初めてみるAちゃんがそこにいた。彼女が母性の授業で、涙を流していた理由をそこで知った。

彼女は親に愛されていないと言った。母親に包丁を泣きながら向けられたことがあると教えてくれた。母性の授業で母親の愛、なんてものを謳われた。それが辛かったのだと。

彼女は体型が本当にころころ変わった。出会った頃は、少しふっくらした丸みのある可愛らしい感じだったが、いつの間にか指に吐きだこが現れ、その指も折れそうなほど細く、頬がこけて見えるほどだった。そんな彼女を見ているのが辛かった。そんな中でも、上記のAちゃんの彼氏は遠距離ながら、時間を見て会いに来てくれたりAちゃんの心のよりどころになっているのは明らかだった。だが、そんな彼にも限界が来てしまったのかAちゃんから彼とお別れしたと聞いた。そのあと、みるみる彼女の心は崩れていった。どこで、出会っているのかわからなかったが、ころころ彼氏が変わっていった。

ある晩、テスト期間中だった。眠い目をこすりながら、テスト勉強をして少し仮眠をとろうとベッドで携帯をいじっていた気がする。電話が鳴った。

深夜、突然の電話などこの時が初めてだった。電話に出てみると、Aちゃんは泣いていた。ごめんね、と言っていた気がする。

このままでは、何も解決にならないとその時思った。幸か不幸か彼女の家へは自転車で5分ほどの距離だった。だが、アパートの下の自転車を動かすのを億劫だと、走った方が早いとその時の私は思ったのだろう。走った。深夜に走った。終電などとっくに終わっていたが、近所のラブホテルの明かりがやたらと道を照らしてくれていたのは記憶に残っている。全力疾走なんて何年ぶりだろう?とその時思った。それ以来、あんなに全力で走ったことはないと思う。

彼女の家につくと、鍵は開いていて、部屋に入るとたくさんのピンクの錠剤が机の上にあり、からの薬の瓶も転がっていた。彼女の左手は痛々しかった。

この時のことを思うと、頭の中の思考回路が焼き切れそうな感じがする。じりじりとした感じ。

Aちゃんが生きてるだけでよかった。テスト期間中はただでさえ気持ちが落ち着かない。Aちゃんは限界まで頑張ったんだな、とどこか冷静な気持ちと状況に対する困惑。大丈夫だよ。それしかきっと言えていなかった。傷の手当はAちゃんが上手にしていた。Aちゃんを抱きしめて、数分、数十分だったろうか、Aちゃんは泣いていた。私は友達がこんなにつらいのに、涙って出ないもんなんだな、なんて考えてしまったりしていた。こんな状態のAちゃんを一人置いてはいられない。本人が嫌でも血のつながりは簡単に絶てるものではない。Aちゃんも、親への不信感は抱きつつも、Aちゃんの妹とは連絡を取り合い仲が良いようだったのは以前から知っていた。Aちゃんの妹に連絡を取るように促し、Aちゃんを迎えに来てくれるよう段取りをつけた。2時間ほど後だろうか?妹さんは両親とともにAちゃんを迎えに来た。Aちゃんに、子どもに刃物を向けた母親とその時初めて会った。普通の母親だった気がする。ただ、初めにAちゃんではなく私に声をかけてきたことが引っ掛かった。なんて言われたのか、思い出せない。「ご迷惑おかけして…」そんな類だっただろうか。

後から聞けば、Aちゃんの母親も自傷行為をしてしまったり精神的に不安定になってしまうことがあったようだ。その家族は、Aちゃんが傷ついていることにショックを受けつつ状況に慣れている、そんな気がした。一言二言、ご両親と言葉を交わした。その場にとどまるのも可笑しな気がしたし、Aちゃんも落ち着き、信頼できる妹さんもいたので私はAちゃんのアパートを後にした。Aちゃんは一度実家に帰るらしかった。

帰り道、なぜかそこで涙がぽろぽろこぼれ始めた。Aちゃんの家から自分の家まで、遊んだ帰り何度通っただろう。現実感がなくて、電柱を殴ってみた。バカみたいだ。痛かったけど、骨は折れなかった。人を助けたくて選んだ道なのに、目の前でこんなに苦しんでる人を救えないんだ。自分の中で無力感が広がっていくのがわっかった。

次の日、私はテストを受けた。どうやって夜を明かしたかは覚えていない。

Aちゃんが欠席した理由を講師の先生に伝えた。

その日のことは、本当にそれ以上思い出せない。

…あとで続きかきます 別の記事に


みんな生きててやっぱりすごいね。おやすみなさい。


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