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毎日、生きる。

今年5月初旬に母を亡くした。
急性呼吸不全。突然死だった。

母は30年近く双極性障害を患っていた。
躁の時はすこぶる元気で、早朝から予定をぎっちり詰め込んで快活に動き回るが、一転、鬱になると床に臥せってお風呂に入ることも儘ならなかった。そんな状態を、季節が幾度となく巡る中で、何度も何度も繰り返していた。

亡くなる半年ほど前からひどい鬱状態になった母は、精神病棟に入院し治療を受けていた。
きっと今回も鬱の波が去ったら、またあの躁転して別人のようにパワフルな母が退院してきてくれるに違いない。そう信じていたのだけど。いや、信じたかったのに。

母は生前、鬱になるとたびたび私に胸の内を吐露した。
『辛い。』『苦しい。』『死にたい。』
そんな母の悲痛な訴えは、幼かった時分の私にとてつもない不安を与えた。もしかしたら母は突然居なくなってしまうかもしれない。考えたくもない考えが幾度となく過った。初めはその度に狼狽えていた私だったが、いつからだろうか、それが幸か不幸か分からないが、もう覚悟を決めてしまえば不安なんて無くなるさ、と吹っ切れるようになった。

そんな私のしょうもない覚悟とは裏腹に、母は日々、病と向き合い続け、その生涯を最期まで生き抜いた。苦しくて辛くて逃げ出したい日は数え切れないほどあっただろう。それでも必ず『生きる』方を選んでくれた。

それは、最悪の事態が仮に起こったとしても動揺せぬようにと、予め予防線を張っていた私にとっては、当たり前ではなく、感謝でしかない選択だった。

生きるという選択を日々行うことは、死ぬという行動をしない、ただの受動的な選択に過ぎないかもしれないが、それでも苦しみを抱えた人にとっては、刹那的な衝動に駆られて、『する』よりもずっと勇気がいる選択なのではないかと思う。

目紛しく変化していく社会の中で、双極性障害という周囲から理解されがたい病と闘いながら、その64年の生涯を投げ出さず、放り出さず、ひたすらに生き抜いた母は、本当に立派だ。

だから切に願う。
私もあなたのように在りたい。
この命が尽きるまで、選び抜きたい。
お母さん、あなたのように、『毎日、生きる』を。


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