
書籍:自己矛盾劇場
世の中は、「自己矛盾」で溢れています。
「他人に意見を押し付けるな!」
⇨押し付けてる
「あいつは他人の悪口ばかりで駄目だ!」
⇨悪口いってる
「おれは全然気にしないけどね!」
⇨気にしてる
などなど。
これらは、他人から見たら気が付きやすい事ですが、自分では気がつけない事です。
そもそも、人間とはそういうものです。
細谷功さんの著書『自己矛盾劇場』では、このような「自己矛盾」の発生原因を探り、そこから「メタ認知」につなげる試みをしています。
※「自己矛盾している人を腐す」という内容ではありません
細谷功さんは、『地頭力を鍛える』や『具体と抽象』などの著書で有名な方で、考える枠組みについての本を多数出版されています。
今回、書籍『自己矛盾劇場』からの学びをいくつかピックアップします。
自己矛盾
自己矛盾の範囲
第一章で、書籍内で取り扱っている「自己」と「矛盾」の範囲を明記しています。
「自己」の範囲は、基本的に一人の「人」を指しています。
一人の人の中で矛盾しているものを「自己矛盾」としています。
(一部、「組織」の中における矛盾も、例示されています。)
「矛盾」の範囲は、以下のように明記されています。
「言っていること」と「やっていること」の違い
「他人に対する姿勢」と「自分に対する姿勢」の違い
「メタのレベル」と「非メタのレベル」の違い
最初の二つは「言動不一致」や「自分に甘く他人に厳しい」というもので、イメージしやすいかと思います。
メタと非メタは、イメージが難しいものですが、例えば「自己言及のパラドックス」と呼ばれるものが該当します。
嘘つきが「私は嘘をついている」と言ったときに、その発言が嘘であれば正直ものであり、その発言が正直であれば嘘つきになり、矛盾するといったものが、「自己言及のパラドックス」です。
例えば「私の長所は謙虚なところです」というと、謙虚ではなさそうに感じるのも「自己言及のパラドックス」です。
自己矛盾の特徴
自己矛盾は、以下の特徴を持ちます。
自ら気づくことはきわめて難しい。
気づいてしまうと、他人の気づいていない状態が滑稽でたまらない。
他人から指摘されると「強烈な自己弁護」が始まる。
自分では気づきずらく、他人の視点からは気づきやすいというものと言えます。
言い換えると、他人の様子を見ること、自己矛盾に気づくことが可能になります。
「人の振り見て我が振り直せ」の実践のために、書籍『自己矛盾劇場』が役立ちます。
非対称性
多くの自己矛盾は、非対称性から生じています。
「言動不一致」という言葉がありますが、これは「発言」と「行動」が「不一致」であると分解できます。
ここで「発言」と「行動」は並列になっているように見えますが、「発言」は低コストで、「行動」は高コストです。
「発言」と「行動」のコストが同程度であれば、言動を一致させることは簡単でしょう。
しかし実際には「発言」と「行動」のコストが非対称であるため、「言動不一致」は起こりやすいです。
※参考までに、「呼吸」は「息を吸う」と「息を吐く」で構成されますが、どちらのコストも大差がないため、対称と言える。
このような非対称は、他にもあります。
「自分」と「他人」
「既知」と「未知」
「経験済」と「未経験」
などなどの非対称性が、自己矛盾の状態を引き起こしす要因となりあす。
劇場モデル
メタ認知
より高位の視点で物事を見ることを「メタ認知」と呼びます。
自分自身を客観視したり相対化したりすることも「メタ認知」となります。
「自己矛盾」は、他人から見たら気づきやすいものです。
そのため、「メタ認知」によって客観的な視点を持つことが、「自己矛盾」に気づくために役立ちます。
「メタ認知」は、より遠くから物事を見ているとも言えます。
森の中にいたら森の全体像は見えませんが、森から遠く離れた距離(例えば航空写真)から森を眺めることができたら、森の全体像が見えます。
サッカーも、フィールドに立ってから見るよりも、観客席から見たほうが、どこに誰がいるのかが把握しやすいです。
遠くから物事を見て、全体像を把握することで、客観視や相対化が可能になります。
「メタ認知」は多重になっています。
サッカーの1試合を俯瞰で見れる人と、サッカーの1シーズンを俯瞰で見れる人と、日本のサッカー業界を俯瞰で見れる人と、世界のサッカー業界を俯瞰でみれる人がいます。
視点をより高次にしていくことで、より俯瞰的に物事を捉えられるようになります。
自己矛盾劇場
書籍『自己矛盾劇場』では、演劇の劇場になぞらえて、世の中の人々を3種類に大別します。
第一の視点:演者(愚者)
第二の視点:自分を観客だと思っている演者(自分)
第三の視点:究極のメタの視点(神の視点)
舞台の上に立っている人が演者であり、その演者が愚かな行動をしているとします。
第二の視点である自分(を含めた多くの人)は、客席からその演者を眺め、「愚かだなぁ」とヤジを飛ばしている構図になります。
「メタ認知」が可能な人は、そのヤジを飛ばしている自分を「わかっていないなぁ」「愚かだなぁ」と、前方の客席に座っている人を眺めています。
これが「自己矛盾」の状態を示しています。
自分が他者を「愚かだなぁ」と言っている。
そして、その様子を他者から見たら「愚かだなぁ」と言える状態が、「自己矛盾」です。
そして、それよりもさらに「メタ認知」が出来る人は、より後ろの席から、前方の客席の人たちを眺めています。
劇場の舞台から遠ざかる程に、「メタ認知」を用いて「自己矛盾」から距離を置くことができるという構造になっています。
このような劇場の構造を前提として、書籍『自己矛盾劇場』では、様々な「自己矛盾」をケースとして、メタの視点を共有してくれます。
なお、人は皆、主観で生きているため、どこまでいっても究極なメタ視点にはたどり着くことは出来ません。
無知の無知
「自己矛盾」の状態は、「無知の無知」というメタレベルの無知を理解することで、より理解しすくなります。
ソクラテスは「無知の知」という考え方を示しました。
これは「知らないことを知っている(自覚している)」ということです。
何かを知っている人は、それを知らない人に対して、優越感を覚えて偉そうにします。
しかし、より多くのことを知っている人から見たら、その差は五十歩百歩であり、偉そうにしている様が滑稽に見えてしまいます。
ここでの問題は、「知らないこと」ではありません。
「知らないことを知らない(自覚していない)」という点です。
この「知らないことを知らない(自覚していない)」を、「無知の無知」とこの書籍では表現しています。
人の知識レベルは、大きく以下の三つの状態に分けられます。
知っている(ことを知っている)(既知)
知らないことを知っている(無知の知)
知らないことを知らない(無知の無知)
これらの状態があることを理解し、「無知の知」を実践することが、「自己矛盾」に陥らないために重要です。
何でもは知らないわよ。知ってることだけ。
書籍の最後では、以下のように語られます。
本書では、自己矛盾の見つけ方やそこから学ぶための思考の方向性について様々な事例を取り上げながら解説してきました。
導き出された一つの結論が、私達人間は自己矛盾から逃れることはできないということです。
自己矛盾は、「抽象化」やメタで考えるという人間の知的能力の強みそのものから生まれています。
逆に言えば、知能が発達しているからこそ自己矛盾が生じるのです。
それならば、うまく付き合って前向きなエネルギーに変えていくのが得策といえます。
この書籍では、「自己矛盾に絶対に陥るな」「自己矛盾をしているのは駄目な奴らだ」のような主張をしているわけではなく、あくまでも構造の話をしています。
そのうえで、「人間は必ず自己矛盾をする」「その自己矛盾を学びに変えるといい」という話に発展させています。