日記「友達と恋人」
朝食は9時半〜、ミカン。
昼食は11時〜14時、柿。豆乳ヨーグルト(キウイフルーツ、蜂蜜)。ゴボウ茶、薩摩芋、クルミ、煎り大豆。73%チョコ。
オヤツは15〜16時、コーヒー、プロテイン入りココアクッキー。ジャムと生クリームを挟んだロールパン。
夕食は18〜20時、豚肉と煮込んだ玉葱、鍋の残り、甘辛茄子、煮豚。げんこつ飴。73%チョコ。
今日やったこと・出来事メモ。
癒し音楽を聞きつつ1時頃就寝。9時起床。
猫を撫でる。
肉を下拵え、調理する。
薩摩芋を炊飯器で蒸す。
クッキーを作る。
Wi-Fiを利用できる場所へ散歩。
ピッコマ読書。
Abema観賞。
小説。
寝床でストレッチ、ポジティブ瞑想。
今日は雨だが、日暮れ後に降り止むみたい。夜の散歩に出ても良いかもしれない。
昨夜は、派遣仲間にインドネシア料理店へ連れて行ってもらった。知り合って間もない人の車に乗るのは抵抗があったけど、軽いスキンシップを除けば何事もなかった。ヤギの肉を食べる初体験もできたし、なかなかに楽しめた。
1人では入ろうとも思わない店だし、入ったとしても、どの料理を注文するかで迷ったろう。
いくつか注文して、少しずつ味見して、自分好みの味を探せて、お残しゼロで心置きなく店を出た。常連さんの紹介と同伴があればこそ可能な体験である。
しかし、帰りの車内で危惧していた事態は起こった。恋人になってくれないか、との申し出である。自己肯定感が最底辺だった頃の自分には、信じ難い出来事だ。
最近の自分は、こんな事態も一応は想定していた。だから、手を繋いだり、撫でられたりしたときには、自身の気持ちを観察していたのだ。猫みたいに撫でられるのも嫌ではないが、スキンシップに飢えてもいない。キスを求められても困るし、その先は断固拒否したい。
帰りの運転を考えて呑まないのも、執拗に呑ませようとしないのにも、好感を持てる。自転車を車に乗せ、次の店へ行こうって言われたときは、少々強引に感じたが、食後の夜の街散歩もそこそこ楽しめた。知らないアパートの駐車場に到着したときは、どうやって逃げようか考えたけど、部屋へ無理に連れ込まれることもなかった。
良い友達ではあるけど、恋人や伴侶には、横柄な座り方で、クチャクチャ食べる人を選びたくない。太った人の中でも、太っている自覚がない人と暮らすのは、リスクが高まる。
大概の男性は、どこで座る時にも脚をガバッと開け、ふんぞり返るようにして座る。自身を大きく強そうに見せたいのか知らないけど、常に競争を強いられるオス社会は大変だな。見ていて、そう思うことにしている。
言葉で気持ちを伝えるのは、女性を相手にするときのコツであるらしい。それは良いけど、恋人に求めるスキンシップの度合い次第では、これまでの食事代を全額突き返して、ゴメンナサイしたい。これをやると、返って相手を傷つけるのだろうか。しかし、自分は行動で示したい派なのである。
偏見だけど、インドネシア人は性欲が強そう。ハグとかのスキンシップは多いし、毎日ベタベタしたいなら、それに応えてくれる人を探せば良いと思うわ。
これも偏見だけど、恋人を欲している男性が恋人に求めるものなんて、それ以外になかろう。だからこそ、オバサンに声をかけたとは考えたくないが、お尻の大きさなどの好みで判断したはずだ。他にもあるとするなら、母親のように甘えさせてくれそうとか、期待しているのだろうな。家事代行を女性に求めるヤツは、さすがにもう居るまい。
心惹かれる未来を想像して「脳内はすで快適」を保ち、幸せを感じようジャンの時間。
一度で良いから、恋に落ちてみたいものだ。もう無理だろうなと理解している。
30過ぎの男性が魔法使いなら、30過ぎの女性である自分は、思考の半分が両性に傾いている。
「僕と契約して大賢者になってよ」では、契約する意味もないよな。
伴侶なんて、隣りに座ってくれるだけで良いのだ。たまには、つまらない会話に相槌を返して欲しい。良い声だと耳が嬉しい。
子づくりは、メダカみたいに体外受精して、大きな試験管で育てれば良いではないか。痛いのは嫌なのです。
高齢出産は母体のみならず、胎児にも良くないらしい。そう聞けば、遺伝子を弄ってでも、我が子に健康な身体を授けてやりたい。子の幸せを願うのが親ではないか。
晩婚と高齢出産が増えているなら、そんな未来が訪れても良いと思う。
きっと「自己肯定感」で悩む人が、世の中にたくさんいるのだろう。それをタイトルにした日記は、多くの人に読まれたらしく、いただいたイイネの数は二度見不可避だった。
考えることは止められない。だって、「INTP」だもの。規格に収まり切らない自分でいたい。
想像するのは自由。そして、プライスレス。
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