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佐久穂町の昔の集落の暮らし 羽黒下⑥ ~馬がいた道 賑やかな羽黒下とその周辺のまち~

小海線、羽黒下駅。駅すぐ近くにある林業を営む『株式会社吉本』から漂う木のいい香りが、鼻をくすぐります。駅を中心とした羽黒下地区は、この地の歴史と深く関わる『株式会社吉本』をはじめ、たくさんの商店が立ち並び、東町と合わせて華やかな雰囲気のまちだったといいます。ここに来れば何でも揃う、と当時は言われていたほど、様々な種類のお店がありました。今はもう閉まっているお店でも、残っている看板からは当時の面影が感じ取れます。子どもたちがたくさんいた当時の様子はどんな雰囲気だったのでしょうか。羽黒下公民館で行われているサロンにお邪魔して、お話を伺ってきました。

[佐久穂町の昔の集落の暮らし 羽黒下] は、①〜⑥編まであります。
▼最初の記事はこちら
佐久穂町の昔の集落の暮らし 羽黒下① ~羽黒下サロンの取り組み~

こちらの記事では

日向冨寿代さん(81)
真田和代さん(76)
草間きみ子さん(80)

にお話を伺いました。

羽黒下は、馬ととってもかかわりが深い土地。皆さんが見た馬のいた景色を、教えていただきました。

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学校帰りに眺めた『金ぐつ屋』さんと馬

インタビュアー(以下 イ) 「草間さんは、こちらの生まれなんですか?」

草間さん(以下 草) 「元々ここで生まれたんだ。で、一度他へ行って、実家がこっちだから終戦で帰ってきたんだよね。会社もここで。」

イ 「戻ってきたのは何歳くらいの頃ですか?」

草 「三歳くらい。」

真田さん(以下 真) 「結婚して、他へ行ってたんだよね。」

草 「(神奈川の)藤沢へ行ってね。また戻ってきたんだ。お父さんの定年でね。」

イ 「日向さんはずっとこちらで?」

日向さん(以下 日) 「そう、生まれた時からずっとここへ。」

真 「ここのことはみんな知ってるね。」

日 「父さんが自衛隊の空挺とかいろいろやってたから、東京へ一度行ったこともあるね。」

イ 「日向さんが生まれたころには、羽黒下駅があったんですね。軒数はどうでしたか?」

日 「今は空き家になってるけど、近所のおばさんの顔とか、みんな覚えてる。亡くなったおばあさんの顔も全部覚えてる。出てくるよ、子どもの頃に見た大人の顔はね、覚えてる。」

イ 「印象に残ってるお店はありますか?」

草 「『鉄沓屋(※)』さんて昔ね、馬の脚の蹄をやってた店(もよく覚えてる)、学校の帰りに見てた。」※かなぐつや。通称で『金靴屋』と呼ばれることも。正式な屋号は不明

日 「学校の帰り、見たね。」

イ 「馬がそこにいて、蹄を履き替えるんですか?」

草 「そうそう、馬がいたの。」

真 「馬、いたよね。」

日 「ふいごってあるでしょ。あそこへ鉄を入れて、火を持ってってやるの。」

イ 「『株式会社吉本』に連れてくる馬は、通ってましたか?トラックでしたか?」

日 「そうだね、トラックじゃなかったかな。」

草 「吉本さんは材木を運んでたからね、昔は馬で引いてたんだよ。」

日 「それの蹄をやったのが、『鉄沓屋』。」

真 「ずっと昔からあったんだね。」

日 「古いのと新しいのを、馬の足をこういう風に持って、釘でね(履き替えをしてたんだよ)。」

イ 「馬がそこまで歩いてたってことですか?」

日 「歩いてた。この辺は、昔のまんまの道なの。道が狭いでしょ。今は車が通ってもすれ違いにくい、あの道なんです、昔から。」

イ 「同じ道を馬が通ってたんですね。見てみたかったです。」

羽黒山での草競馬には牛も走っていた!?

イ 「大人の頃にはもう、『鉄沓屋』はなくなっちゃったんですね。」

日 「だんだん“ミゼット(ダイハツの三輪自動車)”とかオート三輪が出てから、馬が必要じゃくなったわけね。」

真 「日向さんは見てたんだ、馬を。」

日 「毎日ね、学校の帰りにね。」

草 「競馬もあったね。」

真 「羽黒山の草競馬ね。見に行きましたよ。」

イ 「みなさんが、子どもの頃ですよね。」

日 「馬だけじゃないの、牛も。」

イ 「牛のレースもあるんですか?」

日 「一緒にやるの。」

イ 「えっ!牛と馬と一緒に走ってたんですね!(笑)」

草 「競馬場がなくなってから、青沼小学校がそこを畑にしてジャガイモとか作ったんだよ。」

日 「私たち※青沼小学校の時、麦とかジャガイモとか取りに行ったんだよ、あそこへ。それを給食に使ったわけ。」 ※羽黒下は元々、青沼村だった

イ 「歩いていくの大変じゃなかったですか?」

日 「くわがら(農具)しょってね。羽黒下の人たちは、青沼の学校から来る人を待ってて、途中で合流して一緒に行った。帰りは山で解散だったね。」

真 「懐かしいね。」

賑やかだった羽黒下と、お隣の東町

真 「写真屋さんもあったね。」

日 「高見澤さんのね。」

草 「隣がお料理屋さんだったでしょ。」

日 「芸者もいたね。」

真 「そうそう、(三味線を)ベンベンやってた。祇園の時には(演奏してた)。映画館もふたっつあってね。」※東町に『栄キネマ』、桜町に『栄座』があった

日 「向こう(『栄座』)は映画館じゃなくて、大体歌舞伎とか歌うたったりとか(をやってたね)。」

真 「歌謡ショーね。」

日 「こっち(『栄キネマ』)は、映画専門。」

真 「ああ、懐かしいなあ。私は東町の生まれだから。」

草 「あそこには芸者さんがいて、遊ぶところがあって。昔の人はお金なんかないから、自転車でお米や野菜を積んで芸者遊びをしたんだ。」

日 「裏町のところに、芸者の“置屋”があったの。」

真 「東町の裏、線路の向こう側に裏町があってね、芸者さんがいたね。」

草 「リヤカーで来た人もいたよ(笑)昔は現金なんかないんだから。」

イ 「近所の人が遊びにくるんですか?」

草 「離れた人も電車に乗って。」

イ 「昼と夜は、だいぶ雰囲気が違いましたか?」

真 「東町は花街だから。」

日 「夜だって昼だってないよ。」

イ 「もうずっとなんですね。眠らないまち。」

真 「私の所はね、店だらけだった。今はもうなくなっちゃって、寂しいよ。昔は賑やかだったんですよ、懐かしい。」

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羽黒下やその周辺の昔の景色を思い出しながら、当時の気持ちに戻って楽しそうにお話ししてくださいました。そんな皆さんの様子を見て、私たちも当時に行ったような気持ちでまちの景色を眺めることができました。

インタビュー中も、他の部屋ではみなさんの歌声が聞こえていました。終わった後は一緒にご飯も頂き、笑いの絶えない楽しいおしゃべり。私たちもとても楽しい時間を過ごさせていただきました。この度は貴重なお話を聞かせてくださり、本当にありがとうございました。

文 櫻井麻美


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