佐久穂町の昔の集落の暮らし 大石⑤~水と共にあった暮らし~
川沿いの集落、大石。大石水源にもほど近く、豊富で良質な水と暮らしがとても密接にあったようです。今回は大石公民館にお集まりいただいた皆さんに、昔の集落の暮らしを教えていただきました。何十年も共に過ごした気心知れた仲間同士でのお話は、生き生きと当時の様子を映し出します。
最初の記事はこちら―――
お話を伺ったのは…
<大石在住>
菊池 常雄さん(87)
篠原 春之助さん(83)
島崎 暁子さん(82)
菊池 千賀子さん(81)
菊池 光夫さん(77)
相馬 元一さん(81)
西沢 茂人さん(73)
(座っていた席の順に記載)
男性陣は生まれてからずっと大石で暮らしていると話してくれました。女性陣は途中で外に働きに行ったり、お嫁に来てから暮らしていたりしましたが、長くここで暮らす皆さんです。
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ヤギの乳しぼりは大変だった
インタビュアー(以下 イ)「ヤギは色んなおうちにいたんですか?」
相馬 元一さん(以下 元)「ああ、いたね。ヤギはみんな乳搾ったり。」
菊池 光夫さん(以下 光)「にわとりもいたじゃんか。最後にゃこれだあ(締めるんだ)。」
元「家畜が各家庭にいたけど、昔はあんまり草がなかった。だから、人のところ取りにいって、怒られたな。親から“草刈っとけよ”なんて言われてほう、だけど遊んでて夕方遅くなって、慌てて刈ってきて。その時、人のうちの土手なんか刈ったら、ものすごく怒られた(笑)」
イ「餌の草刈りが、大変だったんですね(笑)ヤギは食べないんですか?」
元「ヤギは、乳搾るだけ。搾る時、やだくてやだくて(笑)」
イ「暴れちゃうからですね。うちのヤギも暴れて大変でした(笑)」
光「おらは(搾った乳を)一升瓶に入れただ。」
西沢 茂人さん(以下 茂)「そう、あれが一番搾りやすいだ。」
島崎 暁子さん(以下 暁)「ヤギが青臭いエサを食べると、乳まで青臭くなったね。」
元「ヤギの乳はクセがあるよな。だから塩入れたりしたな。」
大石の集落の様子と道路の話
菊池 常雄さん(以下 常)「今はみんなうちが(川よりも)上の方にあるけど、昔は下だった。うんと昔、川が(増水して)出て、流されて。それで上になっただ。その時は、まだ10軒くらいあったかな。」
イ「大石は縦に長いですが、元々は道のもっと上の方にみなさん住んでいて、新宅で下の方へ下がってきたんですか?」
元「新宅が上の方だな。この辺(大石公民館あたり)が一番最初の家だな。」
光「だから学校もそうだし、その辺もみんな住宅だった。昔は野沢茅野線つってさ、今は国道(299号線)になってるけど、県道だっただ。」
イ「道の広さも、狭かったんですか?」
元「狭い狭い。昔はさ、馬とか牛だったからさ。今は二車線になってるけど、あれ一本くらいの(一車線くらいの)道幅くらいだっただ。」
光「車なんか、なかっただから。」
イ「こちらの写真は・・・道路開通記念?」
元「八郡抜けると道があるでしょ。あれを作った時ね。」
イ「みなさんで道路を作ったんですか?
元「そうだ。昭和22年。」
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当時は母子が栄養不足であることも多かったそうで、ヤギの乳をあげて栄養補っていたと話してくださいました。昔の道路はもっと狭かったのですが、それがどんどんと広くなり、今のように車が走る道路となりました。そう思うと、今の道路の景色も先人の皆様の苦労の結晶なのだと実感させられます。
最後に、公民館にしまってあった江戸時代のものと思われる地図を、沢山見せていただきました。皆さんと、これはここかな、などとお話ししながら、畳に広げた地図を興味深く拝見。皆さんも初めて見たものだったそうで、とても貴重な資料がこんなにとってあるなんてすごいなあ、と驚かれていました。
大石公民館で行われた座談会では、集まってくださった皆さんから、色々なお話を聴くことができ、水とともにある皆さんの暮らしを知ることができました。こんなことがあったと色んな人に知ってもらえたら、というお言葉をいただき、私たちも町の若い世代の皆さんに少しでも当時の暮らしをお伝え出来るようにお手伝いができたら、と、改めて思いました。
大石のシリーズはこの⑤で終わりです。
会を設定してくださり、ご協力いただきました皆さん、本当にありがとうございました。
文 櫻井麻美
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