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馬との暮らし 上区:三井さんのお話③

物心つく頃から馬と一緒に生活し、昭和46年頃まで飼っていたという上区にお住まいの三井さん。馬を家族の一員として大切にしていた当時の暮らしと思い出を伺った。
上区は佐久穂町の北西側の地区にあたる。針の木沢、影の集落を通りすぎ、新田にある三井さん宅を訪問した。

[馬との暮らし 上区:三井さんのお話] は、①〜③編まであります。
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馬との暮らし 上区:三井さんのお話①

土曳き(どびき)という、馬としかできない仕事があった。

まずは、牛ではなく馬が飼われていた理由や暮らしの中でどのように人々の役に立っていたのか、その事について知るために、馬の仕事について話を伺った。

この辺りは林業が盛んな土地だった、山の中で切り倒した木材を、馬を使って引き出す仕事を町の人たちは土曳き(どびき)という。
※ 土曳きは馬搬(ばはん)ともいわれる。

土曳きで使う「かんぬき」という道具は、クサビがいくつかついており、それを木口に打ち込んで引き、数本の木が一度に運べるようになっている。
木材にクサビを打ちこみ、その「かんぬき」と馬を繋ぐ。馬が木材を引いて、目的地まで運んだ。

「鹿児島および福島のクサビと市販の鎖、市販の鉄筋を曲げ輪にしたものを組合わせた近年の復元品」
写真はポニー馬車・馬搬・馬耕のおはぎ企画さんのFacebookより引用


三井さんの父、三井国貞さんもこの地域で土曳きの仕事を請け負っていた。
国貞さんは冬の間中、大岳にある小屋で寝泊まりし、馬との濃密な生活をした。土曳きの作業は、山の中で木材を搬出をする際に急な坂を下ることがある。特に雪の日は人も馬も命がけだったという。雪で滑るので、木材が滑り落ちてしまうと怪我をする可能性があり、そのため急斜面は特に気をつけなくてはいけなかったからだ。

馬の足は細いため、怪我をすると重い体を支えるのに他の足に負担がかかる。そうすると、健康な足も病気を発症してしまうことがあり、その馬はもう飼い続ける事ができないそうだ。
実際に、三井さんの所でも飼っていた馬が骨折したことがあった。国貞さんはどうしても自分の手で安楽死させることができず、近所の方が対応してくれている間、布団をかぶって泣いていたと当時の様子を話してくれた。

緑の郷(八千穂村の記録映像 昭和37年撮影)より
冬場の土曳きのシーン

三井さんは五人姉妹で男手が少なかった事もあり、馬が家族ではまかないきれない力仕事をサポートしてくれていた。立派な働き手として、馬を頼りにしていた様子を伺い知ることができた。
今でもまだ大岳に小屋があるという。佐久穂町の寒い冬、その小屋でどのように過ごしていたのだろう。一度その小屋を訪れてみたいと思った。

文:西澤


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