馬との暮らし 上区:三井さんのお話①
物心つく頃から馬と一緒に生活し、昭和46年頃まで飼っていたという上区にお住まいの三井さん。馬を家族の一員として大切にしていた当時の暮らしと思い出を伺った。
上区は佐久穂町の北西側の地区にあたる。針の木沢、影の集落を通りすぎ、新田にある三井さん宅を訪問した。
馬と暮らした思い出
家族同然に馬と共に暮らしていたという三井さんのお宅では、父の国貞さんが忙しい時、馬の餌やりを子供達が手伝った。
草を刈り、紐を2本敷いた上に刈った草をのせて縛る。一束は大人の手でも抱えきれないほどの大きさだ。それを二束つくって一輪車に乗せて持って帰る。
春から夏にかけては運んだ草をそのままあげる。秋冬用には草を干しておき、その干し草や藁を5ミリから1センチくらいの細かさにしてあげていた。牛と違って馬は反芻ができないため細かくするのだが、沢山の干し草や藁を刻む作業だけでも2時間ほどかかったと聞き、餌の準備をするだけでも大変だったことがわかる。
馬のフンは、二週間に一度くらいまとめて堆肥小屋に移す。こうしてできた堆肥は、農作物を作るのに欠かせないものだった。
馬のお世話が大変だった話ばかりではなく、微笑ましいエピソードも伺った。
裏山から落ち葉をもってきて馬小屋に敷いてあげると、それはそれは喜んで、カサカサに乾いた葉の中をゴロンゴロンと大きな体で嬉しそうに転がりまわったんだ、と話しながら、三井さんは懐かしそうに微笑んだ。
馬頭尊
他にも興味深い話があった。
馬を使って荷物を運ぶ際に、荷物の重量が左右や前後に偏っている状態のことを「片荷」というが、バランスよく積まないと片荷になってしまうため、荷物の代わりに道端に落ちていた石を乗せ帰ってきた。ところが、しばらくして馬が2頭たて続けに亡くなってしまったという。
なぜだろうと思い調べてもらったら、片荷になった時に積んで帰ってきた石が馬頭尊だったそうで、その石を供養するようにいわれた。後日その通りにしてみると、それからは馬に災いが起きなくなったという。
新田集落には馬頭尊が存在する。馬頭尊は、諸説あるが馬の霊を鎮めるために祀られているそうだ。
この話を聞き、集落にこういった石碑が度々みられるのも、家族の一員だった馬への想いから建てられたのだろうと納得がいった。
これからは道端にたつ馬頭尊をみつけると、この辺りにもその昔、馬と共に暮らした家があったのだろうかと思いを馳せることができそうだ。
次回は、馬が活躍した仕事「馬耕」について掲載します。
(お名前に関してはご本人の希望で「三井さん」とさせていただいています。)
文・西澤
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