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佐久穂町の昔の集落の暮らし 羽黒下③ ~たくさんあった商店と、そこにいた人たち 後編~
小海線、羽黒下駅。駅すぐ近くにある林業を営む『株式会社吉本』から漂う木のいい香りが、鼻をくすぐります。駅を中心とした羽黒下地区は、この地の歴史と深く関わる『株式会社吉本』をはじめ、たくさんの商店が立ち並び、東町と合わせて華やかな雰囲気のまちだったといいます。ここに来れば何でも揃う、と当時は言われていたほど、様々な種類のお店がありました。今はもう閉まっているお店でも、残っている看板からは当時の面影が感じ取れます。子どもたちがたくさんいた当時の様子はどんな雰囲気だったのでしょうか。羽黒下公民館で行われているサロンにお邪魔して、お話を伺ってきました。
[佐久穂町の昔の集落の暮らし 羽黒下] は、①〜⑥編まであります。
▼最初の記事はこちら
佐久穂町の昔の集落の暮らし 羽黒下① ~羽黒下サロンの取り組み~
こちらの記事では、羽黒下② ~たくさんあった商店と、そこにいた人たち 前編~ に引き続き、
須田セツ子さん(86)
関本幸子さん(66)
にお話を伺いました。
引き続き、羽黒下にいた人たちや、商店を営んでいた人たちとの関わりなど、人の温もりが伝わる懐かしいエピソードを教えていただきます。
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薬売りの行商が常宿にしていた旅館
インタビュアー(以下 イ) 「羽黒下には旅館が二軒あったと伺いました。そこには、どういった方がお泊りに来てたんですか?」
須田さん(以下 須) 「商売の人、薬屋さんとか。」
関本さん(以下 関) 「富山の薬屋さんがいつも決めたお宿、常宿みたいにして。いついつ来ますって、来られる方が『光盛館』は多かったね。『羽黒館』は、長期の工事とか作業の人が泊まられたかな。」
イ 「富山の薬売りの方が、定期的にいらしてたんですね。」
関 「そうそう、あちこち回られるからね。常宿があるみたいで。」
イ 「薬屋さんは羽黒下だけじゃなく、この近辺を回られるんですか?」
関 「お客さんがいっぱいいらしたと思います。」
須 「あの頃は、各家庭に薬箱があってね。」
関「最近は、あんまり見ないですね。」
ご近所のうどん屋さんの思い出
イ 「当時、井戸は皆さんのおうちにあったんですか?」
須 「井戸は近所にあった。うちの目の前だった『山福』さんは商売やってたから、よく(借りて)。『山福』さんは、うどん屋さんね。」
関 「今は佐々木さんって呼ばれてるけど、昔のうどん屋の屋号で『山福』さん。うどんを売ってらしたお宅なんです。麺を作ってらして。」
イ 「製麺所ですか?」
関 「そうです。」
須 「学校給食とかに納めてたね。私がお嫁に来た時はもうやってた。お父さんと(『山福』さんのご主人が)同級生だったから、“うどんができたよ”、っていうとね、“じゃあ食べるかい”って(お邪魔して)。醬油をサーっとかけてね、ごちそうになった。」
関 「中華麺とか、うどんとかね。麺を作ってらした。時々うどん買ってこいや、って言われると、はいって言って(よく行った)。」
イ 「一般の人も買えるんですね。」
関 「そうそう。」
須 「茹でてるときにね、あがったかいってお父さんが聞いてね、どんぶりで食べたりしたね。」
イ 「本当に、いろんなお店があったんですね。」
関 「そう、その前は、『中嶋製糸』って製糸工場もあった。そのあとに、『中嶋建設』になったね。他に、段ボール屋さんもあったね。」
関 「今は大きくなって、北川団地の方に行ったけどね。『アサマダンボール』っていうの。洋服屋さんだって、うちと中島さんと2軒あったよね。」
須 「そうそう。洋服屋さんだった。紳士服だったよね。関本さんも紳士服だったよね?」
関 「うちも紳士服だった。」
イ 「すごい、何でも羽黒下で揃ったんですね。」
須 「輿水さんもそのうちにスーパー出したから。『輿水商店』ね。」
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たくさんのお店が連なり、賑やかだった羽黒下。ご近所同士のやりとりも、聞いていてとても温まるエピソードばかりでした。年齢差もあるお二人ですが、景色の変遷をなぞりながらお話しして下さいました。
インタビューが終わった最後に、こぼれ話。階段が沢山ある羽黒下を歩くときは、初心者は気を付けた方がいいことがあるそうです。それは・・・
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関 「長屋は本当に印象深かったの。自分の所にそういうものがなかったので。それも(自分の家が長屋の上にあり、)上から眺めてたから。あ、長屋だ。こんなところにあるんだ、って思ったの。」
須 「ずっと石積みがあって、その上の方だからね。」
関 「ここ(公民館)は下道(したみち)なんですよ。上道(うわみち)は、駅前通り、吉本さんの通り。一段下がるんですね、この辺は。(だから下に長屋を見ることができて。)」
イ 「来るとき、すごく階段がたくさんあって、羽黒下らしい景色だな、と思いました。でも、この階段は個人のお宅のものだから通っちゃダメだよね、と話しながら来ました。」
須 「階段は別に個人のものじゃないから、大丈夫ですよ。」
関 「別に個人じゃないからいいんだけど、ただ、足場が危ないところと危なくないところがあって(笑)だから知らない人が通るのはやめた方がいい。」
須 「うん、やめた方がいいね、危ないから(笑)」
関 「遠回りでも、急がば回れでね、回っていただいた方が(笑)」
イ 「そうですね、そうさせていただきます(笑)」
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次回は小海線や駅前で行われた盆踊り、当時の女性たちの普段の暮らしについて伺います。
文 櫻井麻美