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佐久穂町の昔の集落の暮らし 畑ヶ中⑤〜幼馴染のお二人の川の思い出〜

佐久穂町の集落は、昔はどんな様子だったのでしょうか。今回は子どものころから畑ヶ中で暮らす、幼馴染の二人の女性にお話を伺いました。前回は、当時の集落の風景について伺いました。今回は、当時のおやつやごちそうについてお話しいただきます。

お話を伺ったのは…

<畑ヶ中在住>
高見澤 幸枝さん(92)
佐塚 つや子さん(92)

[佐久穂町の昔の集落の暮らし 畑ヶ中〜幼馴染のお二人の川の思い出〜] 
は、①〜⑤編まであります。
▼最初の記事はこちら
佐久穂町の昔の集落の暮らし 畑ヶ中①

佐塚つや子さんはまだ畑に出ているそう。
今年初めてとれたプルーンをごちそうしてくださいました。


当時のおやつは?

インタビュアー(以下 イ)「今はプルーンとか、色々なおやつがありますが、当時はおやつは何を食べていたんですか?」

高見澤さん(以下 た)「あられがありゃ、高級だったね。」

佐塚さん(以下 さ)「お餅ついて、のして(伸ばして)、切って。あられを小さくして、干して、それを揚げてね。」

た「大豆の炒り豆とかね。砂糖なんて配給だったから、使わなかった。」

さ「そう、子どものころは、配給だったよ。お父さんが常会長やってて、みんな目方量って分けてたもん。」

イ「豆は豊富にあったんですね?」

さ「大豆は畑で作ったからね。」

た「麦や大豆は自分たちで作った。道の端まで作ってた人もいるよね。」

さ「昔は田んぼの畔にもね、穴を開けて豆を作った。」

イ「畔塗りをしっかりしないと、水が抜けるって言ってましたね。大豆を植えておくと水が出にくいのでしょうか?」

た「いや、ただ豆を取りたくってやったんだ。」

さ「そう、豆が欲しくてね。」


ごちそうについて懐かしそうに語ってくれた、高見沢幸枝さん。


イ「小さいときの一番のごちそうって、何でしたか?」

さ「年の暮れになると、分校(現・川久保集落センター)に家のうさぎを持って行ってね。そこで、うさぎを絞めてもらって、お正月に食べたね。」

イ「自分のおうちで絞めるんじゃなくて、専門の方がいらしたんですか?」

さ「そうそう、専門の人が来てね。」

た「お雑煮に入れて食べたね。」

さ「今みたいに、牛肉だの鶏肉なんてなかったから。」

うさぎ追いし かの山

た「雪のある時に、山でうさぎ追いもやったね。いい靴履いてる人はいいけどな、長靴なんて当時はそんなにないだから、藁靴があればたいしたもんだね。」

さ「向原の山で、やったよね。」

イ「うさぎってうちで飼って、増やしてるんだと思ってました。」

さ「(学校で食べる分の)うさぎは、みんなで食べたね。今は給食があるけど、高等科の頃なんて自分たちでお味噌汁やなんか煮てたもの。でも、いくらも捕まらない。うさぎはすばしっこいし、子どもだからね。」

た「二匹か三匹取りゃ、いい方だったね。」

さ「秋なんて、学校でイナゴ取りもやったね。海瀬新田・下海瀬の方に、イナゴ取りに行ってね。それを給食に使っただもんね。」

イ「手で取るんですか?」

さ「そう、袋持ってね。放課後じゃなくて、授業の合間にやった。」

た「食料不足だったからね。」

さ「よそのクラスよりイナゴが少なきゃ、先生が怒ってね。」

た「あはは。(笑)」

さ「厳しい先生だったよ。」

イ「イナゴはどれ位取れるんですか?」

さ「それでも、ひと袋(手拭いで作った小さな袋)くらいは取れたね。」

た「わたしはそんなに取れなくて、先生に怒られたもん。」

さ「すばしっこいもんね。」

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お二人の思い出話を聞きながら、当時の風景やお二人の子ども時代を想像し、まるでタイムスリップしたかのような時間でした。子どものころからの地元のお友だちと、こうやって年月が経っても楽しくおしゃべりできるなんて、本当に素敵だなあと思います。

お話を聞いていると、畑ヶ中の当時の風景や、子どもたちの遊ぶ姿など、生き生きとした情景が浮かびます。当時と変わらず流れる川を眺めれば、今までとは違う景色が見えてきそうです。

お二人の楽しいお話は、この「佐久穂町の昔の集落の暮らし 畑ヶ中 幼馴染のお二人の川の思い出⑤」で完結です。

幸枝さん、つや子さん、貴重なお話を聞かせてくださり、本当にありがとうございました。

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文 櫻井麻美


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