佐久穂町の昔の集落の暮らし 羽黒下② ~たくさんあった商店と、そこにいた人たち 前編~
小海線、羽黒下駅。駅すぐ近くにある林業を営む『株式会社吉本』から漂う木のいい香りが、鼻をくすぐります。駅を中心とした羽黒下地区は、この地の歴史と深く関わる『株式会社吉本』をはじめ、商店が立ち並び、東町と合わせて華やかな雰囲気のまちだったといいます。ここに来れば何でも揃う、と当時は言われていたほど、様々な種類のお店がありました。今はもう閉まっているお店でも、残っている看板からは当時の面影が感じ取れます。子どもたちがたくさんいた当時の様子はどんな雰囲気だったのでしょうか。羽黒下公民館で行われているサロンにお邪魔して、お話を伺ってきました。
こちらの記事では、
須田セツ子さん(86)
関本幸子さん(66)
にお話を伺いました。
40年ほど前の羽黒下にあった商店や、そこにいた人たち。お二人の話から、まちの姿が少しずつ浮かび上がってきます。
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『株式会社吉本』のアパートは、元々長屋だった!
インタビュアー(以下 イ)「セツ子さんはいつ頃、こちら(羽黒下へ)いらしたんですか?」
須田さん(以下 須) 「今、子どもが40幾つだから・・・」
イ 「4,50年くらいは、こちらにいらっしゃるんですね。お嫁に来られた時は、この辺りは軒数は多かったですか?」
須 「羽黒下は20何軒ぐらいだったよね?」
関本さん(以下 関) 「私はその頃はまだ(ここには来てない)・・・(笑)ごめん。」
須 「そのうちにほら、どんどん若い人たちが来て。町営とか吉本(『株式会社吉本』)さんが(アパートを)作って、(人が)入ってきたから、増えたんだよね。」
関 「私がこっちに来て42年だから、その頃にはまだ長屋があったじゃん。」
須 「ああ、駅の?」
関 「違う違う、下のとこにさ、長屋があったじゃん。」
須 「吉本さんのね。」
関 「アパートじゃなくて、長屋。だから長屋を潰してアパートになったんだよね。私が来た頃はまだ、長屋だったからさ。」
イ 「社宅が長屋だったということですか?」
須 「最初にできたのは民家のところ。私が嫁に来た時にはもうあったんです。それから、今度こっちに従業員を置くために、長屋を潰してアパートにしてね。」
関 「だから最初できた時は、吉本さんの従業員さんがみんなね、びっちり(アパートに)入ってたよね。」
イ 「吉本さんと駅があったから、この辺にアパートとか町営住宅ができて人が増えたんですね。」
須 「そうですね、群馬県にも『株式会社吉本』の出張所があって、うちのおじいさん(義父)は行ってました。」
イ 「そちらにお勤めだったんですか?」
須 「そう、お父さん(夫)はその時まだ子どもで。こっちへ帰ってきてから役場でお世話になりました。」
羽黒下にあった数々のお店
イ 「羽黒下は、お店も多かったんですか?」
関 「お店は結構あったよね?」
須 「そうですね、隣の東町があるからね(栄えてたからね)。」
関 「羽黒下にも、お菓子屋さんが二軒あったよね。『山家(やまが)屋』さんと『菊花堂』さん。旅館も二軒あったしね。」
イ 「駅の前にもありますね。」
関 「そう、三石さんのお宅も、旅館(『羽黒館』)やってたしね。あと『菊花堂』っていうお菓子屋さんの隣が、『光盛館』っていう旅館だったんです。」
イ 「まだ看板がありますね。」
関 「そうそう、看板が残ってる。空き家になっちゃったけどね。」
イ 「当時はそこに、地元の方がお菓子を買いにいらっしゃったんですか?」
須 「駅前だから、割合によかった(儲かってた)んじゃないですか。お店の旦那は面白いし。」
イ 「お菓子屋さんに名物旦那さんがいらしたんですね?」
須 「そうそう(笑)私と年が近くて。一つ上だったから(仲良くてね)。」
イ 「お店には、どんなお菓子がありましたか?」
関 「おまんじゅうが主だったと思う。自分で買った記憶がないからあんまり覚えてないけど・・・」
須 「よくそれ持って、うちへ来たよ(笑)」
関 「どっちかっていうと、商品を持ち込んで売ってたところだから。最初のうちはお客さんが店に来て、買ってっていう感じだったけど、段々お客さんの通りが減ってきて、お店の方が動いてきた感じだったね。」
イ 「お店の方が、買って下さい、って来たんですね!」
須 「あと、写真を売ったりね。」
関 「そうそう。写真がすごく好きな方でね。写真を撮ってて。」
イ 「お菓子屋さんの旦那さんが、趣味の写真を撮って、売ってたということですか?」
関 「そうそう(笑)」
須 「お菓子屋はだから、ちょっと落ち目になっちゃうわね(笑)」
イ 「車社会になってしまったから、駅に停まる方が少なくなったんでしょうか。」
関 「そうですね。電車を利用する人たちが減ってきて。今なんか、学生さんしかいないもんね。学生さんだってどうだろう、少ないよ。今は送り迎え(車)が多いから。」
須 「娘は自転車でよく行ったね。田んぼの畔道を。」
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生き生きとした当時のまちの様子を聞くと、まるでタイムスリップしたように、目の前に景色が浮かんできます。次の記事では、まだまだあったお店やそこに集う人たちについて、教えていただきました。後編~ も引き続きご覧ください。
文 櫻井麻美
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