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比較する文化から脱出せよ
Sakuです。
まだ私たちはアパートを借りていないので、今は夫のお父さんのもとにいます。
(※夫のお父さんとお母さんは離婚しています。私たちはお父さん側にいるときも、お母さん側にいるときもあります。)
夫のお母さんはとてもエネルギーある人で、おしゃれで、テキパキしていて、好きなことに熱中している、綺麗な人です。
私はいつも綺麗な女の人に緊張してしまう。
なので、なんだか気が張るときもあります。
私は夫と二人、雑然と寝起きする。段ボールに服を積み、猫のエサやら正体不明の石やら何やらに混じって、まさに借り(仮)ぐらしです。出かけるときはそのへんの荷物をまさぐって服を探して着る感じ。
夫のお母さんはオランダ人らしくインテリアにもこだわり、部屋は映画のように小綺麗で無駄なものがない。すべて自分の好きなもので揃え、服や靴もスタイルが確立しています。
夫のお母さんを綺麗だな、素敵だなと思うたび、
自分がみじめに思えてくる、ということが起きています。
越してきたばかりの私が、ずっとオランダにいるお母さんと比べるなどまったく無意味でしょう。
それでも、日々、お母さんと接するたび、
私は、自分のことを、変だなあ、怠け者だなあ、無気力だなあ、ダメだなあ。
と お母さんと比べて思ってしまうのです。
誰かと自分とを比べるかぎり、いつまでも幸せにはなれない。
でも長年の、比較して自分の位置を知るという習慣から、まだまだ自由にはなれません。
私の頭は、自分と義理の母だけではなく、いつも日本とオランダという二項対立でものごとを見ています。
オランダに暮らす人々は、のんびり構えて好きなことをしている人が多い。接客業でさえ、せかせかしている人は見当たらない。ある配達のお兄さんは、口笛を吹きながら歩いていました。
夫の家族・友人は、好きなこと・得意なことを仕事にし、仕事の日も早く帰る(16時台とか)。週末は家族でたき火を囲んで、おしゃべりをして、リラックスする。
軸が自分にあって、自分の満足、楽しみを考える。それから他人。他人からどう言われたなんて、話にのぼることもない。
日本は、ゆったりした沖縄でさえ、仕事や日々の忙しさに押しつぶされている人が多かった。
というように、何を見ても比較、比較。
「これは日本がダメな点」、「ここはオランダのダメな点」と点数付けの繰り返しです。
でも、私は移民で、1ヶ月前に来たばかり。自分とオランダ生まれオランダ育ちの人々とを比べてなんになる?
日常のいろんな場面で、「オランダ人はいいなあ、比べて日本人は、、」ともやもやしてばかりで、なんになる?
きっと疲れてしまう。というか、今それで疲れている。
他人と比較することを、「よっしゃ、私もやってやろう」と、燃料のように使えるときは良いけど、
「比べて私はなんてダメなんだ。うじうじ」となるくらいなら、比べている時間を、何か楽しいことや稼ぎになること、創造的なことに当てたほうが何倍もマシです。
そういうことに気づいた日でした。
日本がオランダが、自分が義母が、ということを自動的に考えていたけれど、
まずは自分がやりたいこと・やるべきことに夢中になろう。
私はそう思い、机と椅子周りを整えてスペースを作り、在宅ワークやオランダ語勉強がはかどる環境作りをしました。
初めの一歩です。
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在宅ワークの気分転換にインスタを見て思ったこと。
インスタで私がよく見ている、女性が描いた日常系のマンガ、結婚・育児の話、離婚の話、嫁姑バトルなどは、
生きづらさの集まりで、比較が多いなと思いました。
・母乳が出ないことを、義母、実母や夫に比べられる。
・パワハラ職場で、容姿を比べられ酷いことを言われる。
・子育てで、知らず知らずお姉ちゃんと妹を比べてしまう。
みたいな。
ズッコケ話などもよく見ていましたが、それも
・職場の若い男の子にキュンとしたけど、こんなおばさんがキュンとしてごめんね!若いあの子がいいよね!笑
みたいな。
インスタは、類似のものが上がってくるシステムなので、今まで私が見てきたもの。
私は今まで、こういう文脈で共感や笑いが得られる社会にいたのだ。それが当たり前だった。
しかし私は今は、それとは違う社会に来た。違う当たり前がある。
だから、見るものも変えて行こうと思いました。