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BIG MAGICの一節

昨日UPした「BIG MAGIC」を読んで
なんだか、そのあとも色々と考えていて
作中にでてくる一節がずっと私に呼び掛けてるなって感じて

作者のエリザベス・ギルバートは、生まれたときから「恐れ」と共に生きてきたようで、ずっと何かに怯えて育ちました。
それは、子供なら誰でも怯えるような 暗闇や知らない人 などだけでなく、とっても優しいベビーシッターや動くもの、新しい環境など。
そして自身のことを繊細で傷つきやすい生き物だった、と表現しています。
しかし、母親はそんな娘に対して直球勝負で
「海が怖いなら飛び込んでおいで!」というような対応。
それに対して、びくびくした子供であり続けるという抵抗をしていたようです。

しかし、そんな状況に対してある時違った感情を抱きます、その一節が私の中ではとても響きました。

そんなある日、私が10代のころだったでしょうか。これはすごく変な戦いであると、ようやく気付いたのです。自分の弱さを押し通して、私はどうするつもりなのだろう?命をかけて守りたいものってこの程度のこと?冗談抜きで?
こんなことわざも脳裏をよぎります。「欠点を正当化したら、あなたはその欠点にとらわれたままになるだろう。」
欠点にしがみついていたいだなんて、いったいどういうわけ?
・・・そんなのは嫌だ。これが、そのときの私の出した答えでした。

BIG MAGIC「夢中になる」ことからはじめよう。 エリザベス・ギルバート著

私の感想としては、よくも10代でそんな真理に気づけたなと。
そして、気づいたらすぐに行動を変えていく勇気。
色々と簡単には真似できないなと感じる部分もありました。

でも、やはりこの一節は、私にとっては核心をつく言葉であり、簡単には真似できないけど、自身にも反映したいな、しないといけないなと感じたのでした。


人見知り

私が自分の性格を表すときにまず出てくる言葉はこれ。
初めましての人や場面が大の苦手。
それでも何とか頑張って溶け込もうと努力してきて、人見知りなんだーというと、えー??と言われることもあるけれど、家族や仲のいい友達にはばっちりそう思われている自信があります笑

なんでなのかなーと考えて、
・他人にどう思われるか気にしやすい
・機転を利かした対応が苦手
・そもそも人に興味を持ってない笑
なんじゃないかなって最近気づき始めたところです。

人の反応が気になって、他人を観察しているくせに、それは「自分をどう思っていそうか」という視点での観察なので、「その人は何が好きそうか、興味があるのか」という視点で全然見れていない。
なので、雑談がとても苦手。
それこそ、「髪切った?」とか、さらっと声がかけられない。
一緒になりそうなことがあらかじめ分かっていると、頭の中でその人との会話のシュミレーションをして、話題を考えて、当日を迎えるというやや重ためな性格笑
1対1でしっかりと重めの話をするのは好きだけど、軽い話が苦手。
それなら無理して話すことないなって、閉ざしがち。
人見知りだから仕方ないなって。

でも今回の読書をきっかけに違うかなーと感じ始めて。
人見知りを「治す」必要はないけど、あえて「閉ざす」必要もないと思う。
どう思われているか、なんていう自分で操作できないものに悩むよりも
心を開いてその人がどういった人なのかに興味を持つ=聞く(勝手にあれこれ想像だけにしないで)。
それによって、きっと私自身新たな発見もあると思うから。
でも咄嗟にうまく返答できないことも多々あると思う。
それでもいい、マイペースにコミュニケーションをとることを自分で許してあげる。
そんな風にできたら、もっと軽く生きることができるのかなって感じました。

決して
社交的 > 人見知り
というわけではなくて、
自分で枠を決めて、勝手にその中に閉じ込めていちゃもったいないなって話です。

「社交的だから私誰にでもどんな時でも話せるんだー」っていうのも、もしかしたらTPOをわきまえることができない言い訳にしている可能性もありますし。
なんにせよ「〇〇だからしょうがないよね」っていう形で自分の特性を使いたくないなって思った次第です。

1歩ずつだけど、私の中での「恐れ」を手放していくことで、「夢中になれること」に近づきやすくなると思うので、日々実践していけたらと思います。


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