来年は「開く」の1年にしたい
先日書いた、こちらの記事の続き
今年を振り返り、「出す」1年だったと感じた
そして、来年をどうしたいか考えた時「開く」1年にしたいなと感じた
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陰にいる心地よさ
物心ついたころから、人見知りだと自覚していた
そして、あまり前に出ることが得意でなかった
(ややこしいのが、前にでること自体が嫌ではなかった。むしろ嬉しい。けれど、不安の方が勝ってしまうので、そういう機会があると腹痛だったり、何らかの形で不安が表出されていたような気がする)
これは、生まれ持った性質と育った環境とが相まって
陰にいる心地よさ
が際立ってしまったからではないかなと感じる
思いを出して気づいたこと
陰にいることは安心できることだった
(とはいえ、たぶん学生のころの私を知る人にはそう思われていなかったと思う。パッと見陽キャの陰キャ。)
でも、出産や育児をきっかけに、自分と向き合い始めたら
何だかモヤモヤが止まらなくなった
「あなたはどうしたいの??」
そんな問いかけをずっとし続けてきたような気がする
そして、前回の記事に書いたように、色んな媒体を使って「自分を出す」という作業をしてきた
いわゆる、「自己理解」のための時間だったと思う
特に、この1年はそこに比重が置かれていたように思う
そして、自分ノートの中でした描いてこなかった理想を
人に話し始めた
そんな1年を振り返ったら気づいたことがある
それは
まだまだ自分を隠しているな
ということ
心の奥底からの言葉を伝えたい
最近は特に、今後の話を聞かれたときに
比較的さらっと将来の展望について話をできるようになってきた
でも、なんというか
心の奥から言葉を伝えられていない感覚があるのだ
分かりにくいかもしれないが、保険をかけながら伝える感覚
もし、その人に伝わらなかったり、理解されなかった時に、自分の心を守るための術なのだと思う
でも、最近思う
自分が心を開かない限り、おそらく、その感覚って相手にも伝わる
そうすると、おそらく相手も心の奥底からではない返答になるのではないか
生きていく中で、出会う人すべての人に100%の力で対応するのは正直難しいと思う
それでも、やはり自分の思いを伝えるときは
心の奥底から自分を開いて伝えないと、伝わらないのではないかと思う
ずっとずっと開きたかった
そんなことに気づいてから、過ごす日々
改めて考える
たぶん・・・ずっと、自分を開きたかった
ずっとずっと、自分を開きたかった
でも、なんだかそれをしてはないけない気がしていたし、それをうまくできる気もしなかった
でもでも、今の私にはそれが必要だとも思っている
そんなことに気づいて
来年の意識を「開く」に向けてみようと思った
そんな意識を持っていたら、どんな1年になるのか
自分を使った、大がかりな実験をしてみようと思う
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