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長女に掃除をお願い。
ごみ箱や小さいものをどかさず、そうじ。
ダメなところに目が行く。
頼んだのにと腹が立つ。たいしたことではないのに腹が立つ。
すぐに言いたくなり、つい感情のまま指摘。

でも、自分とやりかた違うだけで、「そうじ」ができていないわけではない。ところどころ隅のほうや物をどけないだけで、9割がたちゃんとできている。できているところに目がいかないで、できないところに目が行く。なおさねば。

そう意識しても、つい、ダメだ(自分と違う)と感じたところに目が行く。訓練しかない。練習だ。
そうじをしてくれた。
自分「おっ、ありがとう。で・・・」
「でも」を言いおわる前に
長女「あっ、肯定からの注意?なに?!」
注意気配を悟られ、うまくいかず。

後日、ご飯の準備。
自分「上手にできてる。ばっちしだね。」
長女「んー、味見したけど、いまいち。何たしていいかわからない。」
ひとくち味見、
自分「だしの素少ないのと違う?」
長女「わかった。」
おっ、素直に聞いた。うまいこといったね。
自分「あと、もう少し、彩りがあれば、それに・・・」
長女「うるさい!」

教訓:聞いてきたら、アドバス。もしくは、相手を見て、聞きづらそうな雰囲気ならアドバイス。だがけっして、一度に何個もいわない。指摘じゃなく、あくまでもアドバイス。自重大事。

仕事を任せるときも同じなのだろう。大筋ではできているのに、逐一自分と同じ方法で、同じ(自分ならできると予想しているだけの)時間内にできないとイライラする。だから任せない。自分でする。自分は忙しいのにとイライラ。悪循環。わかっているけど、むずかしい。

おおまかにできているのだから、それはそれで、大丈夫とおもえる気構え。訓練?修行?任せて達成感を感じてもらえれば、次から自分が楽になる?
肯定からの注意という流れは、要注意。最後に肯定的なことも言ったとしても、「できなかった」の意識が残るかも?目的はやりがい、自信、達成感、目標は任せる。

いままで、自分がされたことがないから、やりかたがわからない。自分が知っていることしかできない。ある程度経験を積むと任せる練習、任せる仕組みづくりが必要かも。上司も、先輩も大変だ。

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