江戸川乱歩先生への手紙
拝啓
江戸川乱歩先生
はじめまして。
映画監督、脚本家をやっております。作道雄と申します。
先生の「少年探偵団シリーズ」と小学校の頃に出会って、猛烈な影響をそこで受け、ミステリーやサスペンスが大好きな人間になりました。
このたびご縁があって、先生の「孤島の鬼」を現代にアレンジ、コミカライズの原作を担当させていただくことになりました。いま、発売前夜です。
先生の頃にはなかったでしょうが、今は配信サイトでも本や漫画が買えてしまえるんですよ。配信サイトでは、すでに書影が公開されて、販売予約も始まっています。書影に、先生の隣に自分の名前があるのを見ると、嬉しさと、そして誇らしい気持ちになります。
執筆を開始した二年前、僕は池袋に出向きました。
目的地は、立教大学にある、「旧江戸川乱歩邸」
ここは先生が、亡くなるまでお住まいになっていた邸宅と、書庫として使われていた土蔵が移管されたものです。家がごそっと別の場所に移されて、そこが記念館になるなんて、やっぱり先生は凄い人だと、賃貸暮らしの僕は思いました。
先生の客室に置かれていたソファーは、青色でした。
それを見て以来、僕も良い青のソファーを買いたいなあと夢想しています。
記念館に行って知ったのですが、先生は人生で46回も引っ越しを行ったそうですね。
どういうことですか、飽き症にも程がありませんか。敷金とか礼金とか仲介手数料が無駄だとか、思わなかったんですか。市役所にいちいち行って住民票更新したり、引っ越しの荷造りをしたり、水道の開栓に立ち会ったり、新しくゴミの日の曜日覚えたりするのが面倒だとは思わなかったんですか。
その時周りで指摘するご友人がいたかどうかはわかりませんが、最大限の愛をもって突っ込みます。どうかしてるで。
そんな、新しいものにどんどん興味のわく先生だから、こんなにも多作であられたのだとも思います。
僕は、作家として名を残したければ多作であれ、と言われたことがあります。先生がその正しさを証明している。数打ちゃあたる、なんて言葉もありますが、先生の作品はどれも面白い。それでいて今も語り継がれている作品となると少なくなってくるもので(ファンには悔しいのですが)、先生がそれでも歴史に名を刻んでいるのは、やはり多作であったからこそでしょう。
僕も先生のように、次々と作品を発表できる人でありたいのです。
ところで先生。
先ほど、配信サイトができたという話を書きましたが、そうなのです。先生が亡くなった1965年から、時代は変わりました。
先生が書かれた表現は、いまは「不適切」だということでNGなものも多かったですよ。吉ちゃん秀ちゃんの描写については、細心の注意を払うことになりました。僕は純粋な読者としてあの表現にのめり込んだことがあったので、変更するのは苦しいところもありましたが、頑張ったつもりです。
先生がお書きになった同性愛について。
これもね、今の時代は、先生の時代とかなり変わりました。
BLコンテンツというものが誕生しました。ボーイズラブの略です。男性同性の恋愛もの。
なんと今回の漫画、各社配信サイトのジャンルはBLになっているところもあります(驚いていますが、それだけBL華の時代ということだと思います)
改めて、先生の描いた諸戸道雄のことを執筆中、ずっと考えていました。
諸戸の同性への恋は、ずっと切ないままです。
蓑浦目線で物語が進みますから、諸戸の心情を深く掘り下げる描写は少ないのですが、それでも先生は、諸戸の恋の痛みを、誰よりも強く感じながら執筆されていたのではないでしょうか。その恋の痛みこそが、この大傑作長編を先生に書かしめたなによりのエネルギーなのではないでしょうか。
僕にも叶わず終わった恋があります。ずっと若い頃の失恋というのは、今も思い出しては切なくなったりしています。かさぶたにさえなっていないものもあります。
諸戸の気持ちを考えれば考えるほど、とにかく苦しくなってしまうのです。なんて、辛いんだろう。なんて、歯がゆいんだろう。諸戸という男が、蓑浦に協力すればするほど、結果として自分の恋を裏切っていくことになる、あの構成を思いついた先生は、本当に凄い。
そして先生の本を読み、諸戸の切なさに胸を痛めることで。
僕にはやはり、「LGBTQ」という括りを「理解しよう」なんていうフレーズや、あるいはマイノリティという言葉自体への違和感が、強烈に湧きあがってくるのです。
諸戸の感情を、マイノリティだと外から括るやつがいるとしたら、それは恋の痛みを知らないやつなんだと、僕は思います。
恋してしまった相手の、その笑顔に、その横顔に、その口元に、胸が締め付けられるあの感覚を、その人は知らないんだなと思います。そしてそんな恋慕は、たいてい実ることもなく終わるんだということも。
先生はどうなのでしょうか。
諸戸の恋心を、異質なもの、少数なもの、「理解しないといけないもの」と思って描かれたでしょうか。
答えはもちろん、わかりません。最後までその恋の悲劇を描くことを貫いた先生は、もしかするとその恋への躊躇いがあったのかもしれませんね。
しかし、痛みがよくわかっていないと、腑に落ちていないと、あそこまで書けないのではないでしょうか。この話は思いつかないのではないでしょうか。
僕は今回、原作を書いていく中で一番に、諸戸のことを考えていました。
諸戸の恋の痛み、そして切なさ。先生よりもそこにもっと迫ってみようと。さらには、この令和の時代への違和感をのっけてみよう。
それが、今作への僕なりの創作エネルギーでした。
発売が少し先なのですが、二巻(下巻)では、諸戸がメインになります。
先生が描いた悲劇の恋は、僕なりに別の形に最後、置き換えました。諸戸のことをずっと考え、彼のことを愛したからこそ、思いついたものです。
タイトルは、「孤島の鬼―令和地獄篇―」。
先生は、どう評価してくださるでしょうか。
とても怖いというのが正直なところですが、今は長くなってしまった手紙の筆を、そろそろ置いた方が良い頃合いかと思います。
どうか、現世ではお会いできないのですから、夜の夢でだけでも、お会いできますように。夜の夢の方がまことだと、僕も思いますので。
敬具
2024年7月7日 一巻発売前夜、七夕の夜に
作道雄
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