分かりきったことを分かるために
はじめに
SF短編集って、タイトルが良くて惹かれるけど、普通の短編集よりも頭を働かせないと読めない印象があって、なかなか手が出せない
今まで読み切ろうとして読めなかったものでいうと…
テッド・チャンの『あなたの人生の物語』だったり、
伴名 練も『なめらかな世界と、その敵』だったり…
短編と言われつつも、遅読気味なために一つの物語を読むのに3〜5時間はかかってしまう
そのせいか、半分くらい読み終わったところで、他の小説に手を出したくなって、気づいたら読まなくなってしまっている
短編だから、いつでも続きから読める安心感も作用しているのかもしれない
今回扱う『わたしたちが光の速さで進めないなら』も、三つ目あたりで断念しそうになった
しかし、「感情の物性」という短編が非常に面白く、個人的にも感じるものがあったので、総合的な本に対する評価は、とても良いなーという感じになった
なので、本書にはさまざまなマイノリティ問題を提起させてくれるような魅力もあるのだけれど、今回は感情の物性に絞って感想を書いていく
物体に純粋な感情を載せることが何の意味を持つのか?
この物語は、コレクターの感情があまりわからなかった私に、いつもとは異なる思考を通して、物を持つことの意味を考えさせてくれるものだった。
この物語のキーポイントは、
・「感情そのものを造形化した製品」である「感情の物性」が、科学的根拠が提示されていないにもかかわらず、主に若い人々を熱狂させるのはなぜか。
・製品のラインは、「キョウフ」体や「ユウウツ」体といったベーシックなものから、「トキメキ」や「シュウチュウ」といった実用的そうなものまで売っているのだが、なぜマイナスな感情になるものが売れているのか。
の二つだった
前者に対する一つの意見として、「なんでもないものに意味づけをしたがる人たちをターゲットにしたマーケティング」としたうえで、旅行のお土産などを大事に飾っていて、見ればそれを思い出すからコレクションしているような人を、ある意味卑下するように書かれていた
しかし、「感情の物性」を愛用している人は、
と言っていた。
これは、前回読んだ『しねるくすり』の理論と全く同じではないか、と感じた
つまり、「いつでも○ねると思ったら、生きていくのがラクになった」と一緒なのだ
特に、ネガティブな感情の物性がたくさん売れているというのも、似たような原理に感じる
人はそのくらい単純なものなのだろうか、とは思うものの、もっと具体的なもので言うと、写真もCDも紙の本も似たようなものではないか?と感じるようになった
さまざまな感情のトリガーとなるようなものとしての価値がそれら現実的な物体には秘められていて、「感情の物性」はそれぞれの感情を濾過して純粋な感情としたものにすぎない
もっというと、全てのものはあらゆる感情のトリガーになるという点で、人間に必要とされており、したがって「感情の物性」は、科学的根拠があろうがなかろうが、人間にとって必要とされるような物体なのである
人間はやはり個人という言葉はあるものの、あらゆる物体に感情を委ねたり、あるいは与えられたりすることで、自分のアイデンティティが確立されていく存在なんじゃないか
ものを見つめることで、自分を見つめるという行為が可能になる
内面的なアイデンティティと、表層的なアイデンティティが常に循環し、強固になっていく
だから、ミニマリストというものが流行りきらないのも、当然のことのように感じる。ものがアイデンティティの形成であり、アイデンティティそのものだから
何の話をしているのか自分でもわからなくなってきた
話が飛躍するが、三島由紀夫の『金閣寺』も、似たような話だった
主人公は幼少期から金閣に心を奪われ、青年期には美しさと金閣を結びつけるまでにいたる
最終的には金閣を燃やし、その金閣を遠くの山からながめ、「生きようと思った」で終わる
これは、感情の象徴化という点で一致しているし、生きる意味を金閣から受け取っているという点で、はじめて一つのアイデンティティが確立されるような、そんな場面だった
まとめ
持つこと、捨てることの意味について、妙に考えてしまった
あらゆるものが電子化されつつある現代だが、改めて物を持つことの意味について考えることができた
あと、普段は電子書籍で本を読んでいるが、偶然、久々に紙の本で購入したのがこの本で良かった
より、物性が身近に感じられたから。
今回はアイデンティティの話をそっと挿しこんだが、最近はアイデンティティについて考えすぎているような気がするな
もうすこし、自分を俯瞰でみないようにしたほうがいいのかもしれない
(サムネイルはAmazonより引用)
旧タイトル『SF短編『わたしたちが光の速さで進めないなら』を読んだ』