劇団印象さんのここが好き

先日『瘋癲老人日記』を観劇、本当に素敵な公演でうっとりしました。『瘋癲老人日記』の話を交えつつ、劇団印象さんを簡単にご紹介します。
(※お写真はtwitterを引用します)

劇団印象-indianelephant- 公式サイト
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『瘋癲老人日記』公演ページ

戯曲構成の魅力

まずは主宰(劇作家/演出家)である鈴木アツトさんの物語の構成力が魅力的です。

アツトさんの戯曲は3つの層──社会的背景、登場人物の描写、哲学のテーマが織り込まれます。それぞれが物語る中で互いを縫いとめて、作品として丁寧に仕上げられています。作品全体の流れが美しく、ストンと腑に落ちるのが心地いい。作品全体そのものは勿論、個別でどの層を眺めても発見が多く魅力的です。具体的に挙げます。

1.取材や原作に沿った社会的背景

現地取材や原作をよく読み込んだ作品作りをされています。タイの代理出産を舞台にした作品は現地取材。地方の祭りと少子化の事情など、社会的なテーマに取り組んでいます。

今回の『瘋癲老人日記』も高齢化社会における「老い」や「性」を意識させますが、それだけではありません。原作に目を向けつつ、パンフレットに現代における日記の意味についても着目されてます。以下引用。

日記を書くことには、ある魔力があるのだ。ある一日の出来事を、全て描写することはできない。日記を書けば、そこに誇張と省略が生じる。その誇張と省略が、実際の現実から少しだけ離れたパラレルワールドへ、書き手自身を連れていく。(中略) 平凡な現実の記憶は時と共に消え、美しいパラレルワールドだけをSNSを通して見返すことが出来る。
(鈴木アツト/『瘋癲老人日記』パンフレットより)

日記というものが、人の目に触れる、その意味を深く感じられるのではないでしょうか。

それぞれ作品は現代の諸問題を見つめつつ、その洞察にハッとするような気づきがあります。そこがピリッとしたアクセントになり、深みを与えてくれます。

2.生き生きと描かれる登場人物

今回の『瘋癲老人日記』は、ともすれば「セクハラの酷いおじいさん」の話なのですが、何しろ嫌味がない。督介老人を演じた近童さんのチャーミングでコミカルな演技には脱帽。そしてそのキャラクターメイキングをどう魅せるかが、演出と戯曲構成の底力。生き生きとしてるのに、根幹のテーマから外れることなく、それを裏打ちしていく。観客とテーマの隙間を埋めていく登場人物たちの織りなす世界が楽しいです。

3.意外性の中にある骨太なテーマ

人が産まれ、死ぬこと。あるいは永遠があるように思えて、一生が刹那に過ぎないような。そんな深いテーマをこっそり物語に忍び込ませて楽しませてくれます。少し変わった角度から物事を捉えているのも、特徴的。今回の『瘋癲老人日記』も通常は逃げ惑うはずの死と戯れるというもの。それだけでわくわくしてしまうし、何よりしっかり舞台として描ききっていて感服してしまいます。

演出だって大きな魅力。

劇団印象さんは、内面のような抽象的な世界を演劇的に表現するのがとても上手いです。

『瘋癲老人日記』では死を表現するのに隠れんぼを用います。「もういいかい?」と若い男(若い督介)が言うと、「まあだだよ」と黒服で死を表した役者さんたが一斉に背後にせまる。若い男の示すその恐怖感。対する督介老人はせまられても大丈夫そうにしている。その老人と若者の死へ反応の対比が、見るものをグッとその世界に惹きこんでいきます。

そして素敵な劇団員さん!

■山村茉梨乃さん
少年少女っぽい愛嬌とクールさを持つ山村さん。『瘋癲老人日記』では、キュートさとツンとしたつれなさが素敵な颯子を演じられてました。今回はダンスの振り付けもされ、『鍵っ子きいちゃん』の脚本を書かれるなど多才です。


■杉林志保さん
『瘋癲老人日記』では悪女の持つ意外な一面。聡明にして怜悧な颯子を演じられていました。夫の不貞を流して気にも留めないような、どこまでも冷静で淡々とした様子が目を惹きました(志保さんはお写真真ん中の方)。

もちろん小道具や音楽だって

督介老人を追い込む大きな足の造形は、戯画的で楽しいです(下記画像)。また演劇ではよくお面が多用され、抽象的世界を演出してます。また他作品では、劇に関する歌もあり、テーマに合わせて見るものを楽しませてくれます。

まとめ

社会的、文学的テーマを物語る作劇、演劇的な魅せ方が惹き込む世界観。いつも驚きと共にこっそり忍ばされた小さな手紙のように、深いテーマが胸の内に舞い込んできます。観た後はいつも楽しい気持ちでいっぱいです。
次回も楽しみにしております。


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