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【反省】目的がnoteの更新そのものになってた

いかん。
書く筋トレ、そして構成を考えて書く練習のために毎日noteを始めたのに、
毎日更新することが目的になりかけてました。手抜き構成に甘える日が出てきてしまっています。

きちんと構成を考えてから書いた経験が浅いから持ち駒が少ない……とも言えますが、これまでのことを嘆いても仕方ないので。今やるしか。

気合い入れ直します。

今日は「私にとっての手抜き構成って?」「手抜きじゃない構成って?」の2点について考えてみました。


分かりやすい構成=テンプレ構成……?

何をもって、自分で自分の文章構成が手抜きになってきたと感じたか。モノの紹介をするときの見出し構成がwebでよく見るやーつになってしまっていたからです。

〜とは
〜を使うとどうなるか
〜を使うメリット
〜を使うデメリット
「いかがでしたか?」

よく見るやーつ

別にこの構成が間違っているわけではないと思います。悪いとも言い切れません。が、この文章構成はあまりに便利すぎて、思考停止で全部この型に当てはめてしまえるのです。構成を考える練習としては相性が悪そうです。

「モノを紹介する時、この文章構成が最も相手に伝わりやすい」としても、意味段落としての構成はそのままに、見出しを工夫した方が良いはず。「〇〇 メリット」とか「〇〇 使い方」といったKWで上位を取りたくて書いてるわけではないので。

テンプレ的順番ではない順番で文章を構成するとしたら、どう並べたら良いのか。

テンプレを使わず自分で文章の流れを考えてみたい

誰もが納得できる順番で事実を並べて、結論がブレないような流れをつくること

大阪編集教室 ライティングコースより

(正直なところ「文章の流れ」「構成」「意味段落」の言葉の違いがよく分かっていません。今日のところは同じニュアンスだとして書いていきます。)

私の場合、このネタで記事を書きたい!と思ったとき、スタート(問題提起・テーマ)とゴール(直感や頭の中で導き出した答え)が既にあります。

答えを出すまでの自分の思考の過程を辿ったり、深掘りしたりする中で、意味段落の核となる「要素」を言語化して出せるようになってきました。

要素を取捨選択しながら並び替えること=構成を考えること、だと捉えています。

おそらく、テンプレ構成に甘えてしまっている時は、最初から型があって、その型に入る要素しか出せていないのです。

型抜きクッキーを作る時、平く伸ばした生地を型抜きで抜いていくのが正しい方法だけど、残りの生地が足りなくなった最後の1個は置いた型の中に余った生地を入れて作る、あの無理くりな感じ。

構成ありきで要素を出していくのではなく、要素を出し切ってから構成を考えなくてはならない。当たり前だけど、できてない日がありました。先に見出しを作っていた痕跡がありました。これではいかんのです。


まずやるべきこと:膿を絞り出すが如く要素を出しまくる

この「膿を出すみたいに」は、どなたかの表現の受け売りな気もします。その時はなんのこっちゃ分からなかったけど、ようやく腑に落ちました。

時短とか、効率とかを考えたら、一見、記事に入れないような要素をあげまくるのは損に見えるのかもしれないけど。それは間違っている、と思います。

超天才的なセンスの持ち主や、百戦錬磨の方々なら、最初から必要十分な要素を適量あげれるのかもしれないけど、私にはできない。出し切って、選ぶようにしなくては。

ちょっとでもラクしようとするのは私の悪い癖ですね。

もしかしたら、見た目は何も変わらないかもしれないけれど、毎日常に何か試していれば、ちょっとずつ限界値が変わるかもしれない。

練り消しを何度もこねて何度も引っ張っていれば、どんどん伸びるようになるのと同じです。(???)

怠け心以外に、夜寝る前の最後のやることとしてnoteを更新しているから、時間が気になって上げきれていない可能性もあります。これは取り組む時間帯を変えることで簡単に解決します。1日かけて思いつくたびに要素を書き出していっても良いでしょう。

つまり、これまで1日かけてネタ出ししていたけど、それを要素出しの時間にしたいので、ネタは思いつくたびにメモして溜めて置けるようになっていきたいです。毎日ネタを出す練習ではないので。




考える過程が主になってしまい、言語化が甘かったので、やや支離滅裂なnoteになってしまいました。

とにかく(今日はもう目が開かないので)明日から早速、変えていきます。

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