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二度泣いた決死の帰国 【Play back Shamrock #18】

※ご注意※ 本連載は2020年に経験した出来事を1年後に振り返る趣旨で公開しており、掲載の情報等は2020年当時のものです。また、第10回以降は当初の公開予定よりも大幅に遅れて公開に至りました。

(見出し画像:ロンドン・ヒースロー空港にて帰国便への搭乗直前に撮影)

 この連載もいよいよ最終盤となった。ついに今回は帰国の時を迎える。1月上旬に始まった一連の日程がまもなく終わる。
 時差の関係もあるため旅程は日を跨ぐことになるがほぼ丸一日かけての大移動だ。ダブリンのホームステイ先を21日の未明に出発し、ロンドンを経由して空路で東京へ。両親に迎えに来てもらいそこから実家まで車で帰る。
 当時学部4年生だった私は卒業式のため、当初の予定では帰国後数日で再び実家を離れることになっていた。しかし今回は新型コロナウイルスの影響で卒業式が中止に。加えて帰国後の自宅待機の対象にもなったため、実家で2週間の「幽閉」生活を送ることになった。帰国して全てが終わりということにはならないため、自宅待機が明けるまでは帰国の旅路が続くように感じられた。

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写真:出国前にダブリン空港にて撮影。今生の別れのような気がした

 ホームステイ先を出発したのは午前3時半頃だった。荷物整理のため睡眠時間はまともに取れなかった。空港までは通常であれば24時間毎時運行されているリムジンバスを利用するのだが、新型コロナウイルス感染拡大の影響でちょうどこの日から運休となってしまった。待ち時間が数時間延びるだけなので日付が変わる前の最終便に乗ることも考えたが、ホストマザーが大学と交渉してタクシーを手配してもらうことができた(タクシーと呼ぶには大きい車が来た)。
 時間帯が時間帯だったため家族揃ってお見送りをしてもらうということにはならず、結果的にはホストファーザーが起きてきて最後の挨拶を交わした(1人で静かにホストファミリー宅を後にすることもあり得たので門の開閉方法などは事前に説明を受けていた)。車に荷物を積み込み、私はホストファーザーに心からの感謝を述べ、「近い将来、必ず戻ってくる」と告げた。ホストファーザーも「また会おう」と応じてくれた。そして静かに見送られつつ、私は10週間を過ごしたホストファミリー宅を後にした。
 空港までは車で数十分。ダブリン中心部を最後に目に焼き付けておきたかったのだが、車はダブリンを環状に取り囲む高速道路を走行したためそれは叶わなかった。窓越しに見える街の光を眺めながら、数々の経験をもたらしてくれたダブリンの街や人々に心からの感謝の気持ちを噛み締め、私は心の中で別れを告げた。1人で乗り込んで以来10週間を過ごしたというだけでも思いは込み上げてくるだろうが、ともに経験しつつある困難に思いを致すと自然と涙が込み上げてきた。ダブリンの街がどこか遠い存在になってしまったかのように感じられた。
 空港に着いて車から降り、運転手から「安全な旅を」と言われていよいよという実感が湧いてきた。普段から溢れるほど人がいるところではないが、空港は静かで人通りもまばらだった。手荷物を預けてからロビー内に入るまでの間、前日までにスーパーで購入しておいたサンドウィッチを食べた。別れの悲しさとようやく帰国できることへの安堵とが入り混じった複雑な心境の中、1人黙々とアイルランドでの最後の食事を味わった。
 サンドウィッチを食べ終えて出発ロビーに入る直前、最後に今一度アイルランドの空気を吸っておこうと、建物の外に出た。夜も更け切らぬ中、いつになるか分からない再会を誓い、ダブリンに最後の別れを告げた。
 空の旅は順調だった。ダブリンからロンドンに向かう航空機内に思っていたほど乗客はいなかった。降機の際はソーシャルディスタンスを保つようアナウンスがあった。周囲の人とは近づきすぎていないか、どこかに触れた手で顔などを触っていないか、などと一挙手一投足に相当に気を遣って行動していたことをはっきりと記憶している。

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写真:機内から見えたロンドンの街並み。再訪は叶わず上空からのお別れとなった

 ロンドンでは2時間弱の乗り継ぎだった。定刻よりも早く到着し、乗り継ぎもスムーズだったため思っていた以上に時間の余裕はあった(時間が足りないのは最悪だが、不特定多数が行き来する空間から早く逃れたいとも思った)。同じところにとどまるのもリスクになると考え、航空機に乗り込むまでの間はなるべく人がいないところを探して適宜場所を移動した。
 そして待合室内にあるCAFFE NERO でサーモンのサンドウィッチと水を購入し、ついに東京行きの便に乗り込んだ。今回利用したのはJAL。機体を見た瞬間、「やっと日本に帰れる」とホッとしたことを覚えている。周囲には帰国する日本人が多数おり、久々に生の日本語に触れた気がした。そして日本語のアナウンスを聞いて、張り詰めた糸がちぎれたかのように、自然と再び涙が込み上げてきたのだった。
 ヒースロー空港を離陸してまもなく、ロンドンの街の上空を飛行した。テムズ川と思しき川も見えた。当初の計画では前の週にロンドンを訪れる予定だったが叶わず、上空からのお別れとなった。ダブリン同様、再訪を誓った。

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写真:機内食1食目。CAFFE NEROで購入したサンドウィッチも映っている

 機内はやはり思ったほど混雑していなかった。私の隣は空席で、前後も概ね同じような感じだった。人が密集していないのは何よりの安心材料だった。
 機内食は私が日本に帰って食べたいと思っていたものを知られていたかのようなラインナップだった。1食目でうどんと味噌汁が出てきた時は感激した。そして何より、自然と割り箸が出てくることがどれほどありがたいことか、身にしみて感じるのでもあった。2食目では緑茶も出てきた。
 機内で何をしていたかはあまり覚えていない。時間の経過は比較的早く感じられた。

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写真:空港で渡された書類。この時はまだイギリスやアイルランドも「流行地域」ではなかった

 東京・羽田空港には翌日早朝に到着し空港は比較的閑散としていた。飛行機から降りる前に自宅待機に関するものなど複数の書類に必要事項を記入させられた。降機後もやはり通常のプロセスとは大幅に異なっていた。サーモグラフィーでの検温に加え、検疫官から滞在国などについてかなり細かく質問された。検査の対象にはならなかったが、着陸してからロビーに出るまで1時間ほどかかったと記憶している。
 そしていよいよ、ロビーで待機していた両親と再会した。感動よりも疲れと安心感が勝った。あまり多くの会話を交わすことはなく、そのまま車で家路についた。道中、横浜港では停泊しているダイアモンド・プリンセス号が見えた。BBCニュースで見た船を日本に帰国して早々に目にするとは、実に妙な感じがした。
 こうして、およそ10週間に及ぶ一連の行程が幕を下ろした。2週間の自宅待機を終える頃には緊急事態宣言が出され、社会を取り巻く状況は目まぐるしい変貌を遂げることになるのだった。

 連載の最終回にあたる第19回はあとがきとして今回の一連の出来事を振り返り、今後に向けて総括する。

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