キャリアにもがいていながらも、「コーチング」のおかげでなんとかなっている件
平成最後の春、3年務めた予備校を辞めた。契約満了での退職だったが、契約延長の話はもらっていた。それを断って、あえて新たな道を選んだ。
予備校を退職した理由は、【学歴社会やその先にある職歴社会に虚しさを感じてしまった】から。
確かに、受験生のサポートは厳しいながらもやりがいはあった。不規則な勤務体系ではあったが、上司のサポートで何とか踏ん張っていた。
それなのに何だこの虚しさは。サポートすることにやりがいを感じているのに。(確かに組織としての実績は大事だし、生徒にとってもいい大学はいいステータスになるけど。)
このこと、当時気づいていたのかというと、気づいていたが別の退職理由で押し通そうとしていた。
表上の退職理由は「新しいことにチャレンジしたい」「営業スキルを磨きたい」だった。じゃあ、新しいこととは?なぜ、営業スキルを磨きたいのか?
そう聞かれたら、答えられるはずもなかった。
その結果、この後どん底が待っていた。
どん底の平成末
予備校を退職後、営業職へと転職した。地域貢献ができて、自分自身も出張の可能性があり全国飛び回れると思っていた。しかし、その会社は1週間で退職した。飛び込みで自分から声をかけて、仕事を取ることに抵抗を感じてしまったからだ。
この時点で、もうお先真っ暗。でもさすがに両親には黙ってはいられない。そう思って報告すると、父に「なにやってんだお前」と呆れられる。
そう思って北海道と九州の航空券を予約したのであった。
平成最後の4月。まずは北海道4泊5日。帯広や釧路を回る。
・NHKの番組で有名になった「幸福駅」
・いつ崩れるか分からない「タウシュベツ川橋梁」
・まだ氷が張っていた「摩周湖」
・絵にかいたような「釧路湿原」
・特急おおぞらの「力強いエンジン音」
好きな北海道。満足するはずなのに、なんか心が引っ掛かる。まあいいや、来週は宮崎と沖縄に行くし。
そして、翌週。まずは宮崎へ行き、その後沖縄へ。
・いつ食べても美味しい「地鶏の炭火焼」
・マイナスイオンが豊富な「高千穂」
・宮古島での「海沿いをドライブ」
・現地で出会った「リゾートバイトの子とのデート」
その最中でも浮かんでくるのは、仕事の不安ばかり。
親の紹介で入った会社
令和が始まった。まずはエージェントに相談しよう。面接も始まる。しかしうまく行かない。当たり前だ、自己分析が甘いのだから。
サポート業務がしたいけど、どんな人を対象にしたいのか?サポートした人がどう感じてほしいのか?それは自分のどんな経験からそう思うの?など、具体的に考えることは出来ていなかった。
そんな状況をみた父がグループ会社へ相談し、その会社と面接をすることになった。
内定はもらった。しかし、価値観は合わないのは分かっていた。面接で厳しいことも言われた。それでも仕事をしなければいけないという思いが強く、入社を決めた。
頑張れば何とかなる。そう思って令和元年10月、茨城から大阪へ引っ越したのであった。
1年後、メンタルを崩した。
自分でも合わないのは分かっていた。取引先は体育会系。自分はそうでもない。ただ、売り上げのことを常に考えているから、それに応えてあげる必要がある。上司にも自分が辛いことを言えなかった。
一度、執行役員に話をしたが「美味いもん食ってよく寝て、また明日から頑張れ!」と返された。
昭和かよ。
幸いにも、理解のある同僚がいたので助言をしていただき、心療内科に駆け込んで診断書をもらい休職することに。
たぶん、ここが自分の人生のどん底だった。平成最後のどん底よりも更に下の、瓶の底を突き破るくらいのどん底だ。
コーチングを受けてみる
じゃあ、どう這い上がったのか。今も這い上がってる途中だけど。
少しだけゆっくりして、自分が出した答えは「コーチング」にかけてみようと。自分を変えようと思った。
申し込んだのは、ポジウィルという会社の「ポジウィルキャリア」という、ライザップのキャリア版みたいなもの。実は単発でポジウィルで相談をした事があり、そのご縁もあって長期プランを申し込んだ。
正直言って高くない金額。でも自分を変えるしかない。仕事だけではなく人生を振り返って、もう一度自分の軸をはっきりさせよう。そんな思いで、トレーナーとのワークに取り組んだ。
令和2年の冬のことだ。
年が明けて、令和3年の春。自己内省を深めつつ、自分は人の役に立つという事をしたいという一心で教育業界を中心に面接を受ける。
その結果、一つの学習塾から内定をもらった。そこでは、勉強だけじゃなくて社会の役に立てるような人材育成に貢献したいという事を伝えたら、とても共感していただいた記憶がある。
これで一安心といいたいところだが、そうもいかないのが人生。
結論から言うと、辞退した。なぜか。
そもそも具体的な話もなく、条件の提示もない。少し扱いがいい加減に感じてしまい、話を聞いていくうちに不安な面が拭えず、このまま働いても絶対にまたメンタルを壊すと思ったからだ。
ポジウィルのトレーナーにも相談した。答えは「客観的に見る事。会社で業務適正を見ながら雇用形態を決めるのはよくある話。」
ボロボロのメンタルで、そんな事を受け入れられるはずもなかった。
結果、採用は辞退。家族に全てを話し、休職していた会社も辞めて実家へ帰ることになった。
よく「コーチングを受けたら人生が変わりました!」という声を聞く。当時の自分は、何も変わらなかったと思っていた。
メンタルを回復させるのには、相当な時間と慎重さが求められる。しかし、早く戻らなければという思いから焦ってしまい、内定という事実が欲しかったのだ。
今振り返って、この時に採用を辞退したのは正解だったと思う。あの時お世話になったトレーナーさんはどう思っていたのか。自分の選択を受け入れられなかったことに対して、彼に八つ当たりしていたのではないだろうか。
この時受けたコーチングで出た答えは、「休養」と「心の土台作り」だった。
復職に向けて
令和3年の春、実家のある茨城に戻り、心療内科に併設されているリワーク支援の施設に通った。
ここでの過程を振り返った。
4・5月→活動量を増やすこと
休職していたこともあり、家にいる時間が多かったため。なるべく外に出ることを意識した。リワーク施設に通うことや、ドライブに行くこと。なんでもいいので引きこもらないようにだけは気を付けた。
6・7月→過去の振り返りをスタート
活動量をキープしつつもリワーク施設で学んだことをもとに、過去を振り返った。振り返るのは辛かったが、スッキリした。
8・9月→復職に向けて面接開始
じゃあ、そろそろ面接を受けようと思い、面接を受け始める。しかし、約1年働いていない。ここでも迷いがあった。やりたい仕事とは何か?実際にやってみないと分からないのでは?
この時に、自分が出した答えがこれだ。
近くのアパレル倉庫にて、シンプルな作業の求人があったので応募。結果、採用となった。今の現職だ。
約1年ぶりの仕事復帰
シンプルな作業とはいえ、立ち仕事だ。
・発注のかかった商品のピッキング
・新規商材の棚入れなど
朝の8時から夕方17時まで立ちっぱなし。しかも1年のブランク。最初は本当に疲れた記憶しかない。
転機は、入って3ヶ月後のことだった。なんとか仕事に慣れてきたタイミングで、別の部署が募集をしているという案内がきた。
そこでの仕事は、業界用語で言うと「縦持ち・横持ち」という仕事。他拠点へ搬送するトラックドライバーへ、商品を届ける過程の業務だ。
やってみたいと思い、応募。
結果、その部署へ異動することになった。
・優先順位を考えた行動
・全体を見ながらやるべき事を考える
・単発の派遣社員や自社の新人の業務指導
部署で中堅的な立場になり、業務指導も任されてきた頃、何か物足りなさを感じることになった。入社して2年になる頃。
そんな時、1通のメールがきた。
キャリア支援を学ぶ
メールは過去にコーチングを受けたポジウィルからだった。
「自分が受けたキャリア支援を、今度は自分が支援する側になりませんか?」というもの。ポジウィルのキャリア支援を学ぶことができる。物足りなさを感じていた自分には絶好の機会だ。そして、業務委託として人のモチベーションに寄与することができるかもしれない。
数回話を聞き、申し込みを決めた。
令和5年の9月から1ヶ月間、毎週土曜日の朝から昼過ぎまでみっちりと学ぶ。
傾聴、主訴理解、モチベーションの源泉、インナーチャイルド、ポータブルスキル、4つのLなど。毎週頭がパンクするくらいだった。受講者同士のロールプレイングもたくさん行った。
同時に自分と向き合う機会も増えて、内省もこれでもかっていうくらいにした。おそらくコーチングを受けた時よりも自分のことを理解出来た。
ふと思った。転職してみようかな、と。
働き方を考えて、自分が支援する側になるのは今はストップしようと思った、2024年の初めのことだった。
転職活動からのPOOLOJOB参加へ
過去に転職活動を行なった際に苦い経験をしているので、怖さがあった。だから、面接に行くのが怖くて、求人をただ眺める日が続いた。
あれだけ内省しても、いざ行動に移すのは本当に怖い。色々な人に相談した。けど、自分は今の環境を変えたい思い、やっと6月に面接の予定を2件立てた。
いざ面接。志望理由を考える。今までの経験上「それ、うちじゃなくても出来るよね?」と何回言われたことか。いやいや、オタクの会社でも全員そう思ってないやろ、と心の中ではツッコミを入れることもあった。
たった2社の面接だったが、志望理由はほぼ同じ。俯瞰力を活かせる、チームワークを重視した働き方、人にアプローチしてモチベーション寄与したい、そして給与アップのベースがある。
これまでの面接で、一番面接官の納得度が高く感じられた。自分のやりたいことや叶えたい事がどんなものか、そして会社でそれが実現可能かがマッチした気がした。
結果、1社は内定。もう1社は最終選考となった。
しかし、ここで一種の迷いが生じた。残業が多い事、受け入れられるの?残業があるのは仕方がないが、自分はメリハリをつけたいタイプ。どちらかと言うと、残業はしたくない。
結果、どちらとも辞退した。転職か副業か。また振り出しだ。
そんな時、POOLOJOB4期の募集があった。好きな旅を仕事にできるチャンス、ということで話を聞いてみた。
会社でいう残業の時間=副業に充てる時間になるわけで、そこに耐えうる自信はあるか。
ある。去年仕事しながらキャリア支援を学んだんだから。
過去にも、好きなことを仕事にしたいと思ったこともあったけど、やり方が分からなかった。けど今はそれが分かる。
やらないとわからない事もあるという事で、POOLOJOB4期の申し込みをした。
この時、新しくコーチングを受けていた。このコーチングでは五感を使って自分の感情に気づくようなもので、1時間のセッションは毎回いい意味で疲れるほどだ。そのコーチングでの後押しもPOOLOJOBで頑張るきっかけになった。
そんなPOOLOJOBも2ヶ月が経ち、もうすぐ卒業。課題の多さに苦労して手が回らないこともあるけど、何とか踏ん張れてる。
卒業まで、もう少し。今後のことは自分次第。最後までしっかりやり切ろう。
最後に、「コーチングを受けたら人生変わりました!」と言いたいところだが、「コーチングのおかげで人生が変わりかけています!何とかなっています!」とでも言っておこう。
変えるのは自分。
3年半前に受けた、ポジウィルでのコーチング。あの時の結末を受け入れられなかった自分がいたが、ここ1年くらいでやっと受入れられている。