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【エッセイ】意味とか価値とか #end


前回


 もう前回の投稿から相当に月日が経過してしまってすでに、このエッセイを書こうと思ったきっかけすら全く思い出すことができない。
 だからこの「意味とか価値とか」というタイトルを見て自分の思いつくことを書き綴ってみようと思う。
 なんだよ「意味とか価値とか」って?てかなんとなく#1で終了しているようにも思うのだけど、あえて番号を振ってあるということはきっと、私は続きを書きたいと願っていたと想像できるので過去の自分の夢を、希望を、叶えようじゃないの。

これまたかなり昔の話

ブッキングライブ

 前回の記事で、完全に場違いなアートイベントに出演した挙げ句、出演者主催者スタッフ来場者のほぼ全員を急性の難聴状態にして自称前衛アートディレクターとその取り巻き連中から嫌われてしまった私が主催するスカムな即興集団は、それでもアートと無関係の場では活動を続けていたわけで、メンバー不定/参加自由/打ち合わせなし/違法でなければなにをしてもいい、みたいな活動内容だったためにその時に集まったメンツに拠ってかなりパフォーマンスの振り幅が大きかったわけだが、なにしろ発表の場が少ない田舎なので、地元のライブハウスのブッキングライブなどにもちょくちょく出演していた。
 ある日、とあるライブハウスのブッキングライブに出演が決まった時に集まったメンツというのが、地元では自分のバンドを持って活動している者が多く、音の出し方やライヴそのものにはかなり馴れた人間たちだったこともありライヴ前のサウンドチェックなども順調に進んだのだけど、我々と共にブッキングされていたバンドというのが、県外からツアーで来たロックバンド、それ以外は地元のパンク・バンドが3組ほどで、どの組とも全く面識がなかったのだが、所謂まっとうに音楽をやっているバンドたちだった。なんとなく前回のアートイベントの時と似た感じの場違いな空気を感じつつしかし時は流れ、さて本番と相成った。

演奏

 演奏っつっても、会場が少し広いというだけで、我々の演ることは同じである。
 ただ、今回は元々バンドをやっている連中が常軌を逸した大音量で本気の音を鳴らしに来ているので、アンプもハコに備え付けのものでは不服なようで、自前の3段積みアンプが2セット追加されていて、当然舞台上には置ききれないので唖然とするスタッフを尻目に客席の後方、左右に振り分けて配置。その音圧たるやアートイベントの比ではなく、低音が鳴ると空気の振動でシャツが震えるというレベルの凄絶な事になってしまった。
 しかしこれ、実際に体験してみると解るのだけども、大音量の騒音が強制的に耳に入ってしまう環境に置かれると、その音の情報だけで脳がいっぱいいっぱいになって思考が停止し何も考えられなくなるので、ストレスが吹っ飛び、快感が得られるようになるのだ。いや、これほんと。

 演奏を始めて数分。
 私が舞台上からふと目を向けると、客席側には誰もおらず、いや、県外からツアーできたバンドで物販係をやるはずの女性が逃げ遅れてぽつりと物販テーブルの後ろに座っている。完全にタイミングを逸して騒音のど真ん中に取り残されてしまった彼女はもはや逃げるのを諦め、無表情に虚空を見つめていた。

 そして無観客のまま演奏は終了。

 アートイベントの時と同様、拍手も歓声も湧かぬ中って当たり前である観客がいないんだから。とにかく我々はいつも通り無言で黙々と機材の撤収を終えた。

小競り合い

 ここまではだいたいいつも通りの展開であった、しかし問題はその後に置きた。

 我々はまぁとにかくちょっと飲みに行こうやと近所の居酒屋に向かって歩き始めたのだが、後ろから「おい」と声をかけられ、振り返ると当日出演予定のある地元のパンク・バンドのうちの一組が全員でぼっ立っている。
 以下はそのパンク・バンド(以後P)、私、当方のメンバーA,B,C,Dの交わしたコミュニケーションの一部である。

P「さっきの演奏はなんだよ」

私「?」(よく聴こえていない)

A「お前ら何?」

P「さっきのが音楽か?」

私「音楽じゃないな」

P「音楽じゃないのになんでライブしてんだ!」

B「音楽じゃなきゃライブできないの?」

P「ライブハウスはバンドがやるところだからよ!」

C「誰が決めたの?」

P「ライブってのはそういうもんだろうよ!」

D「だから、誰がそう決めたんだって訊いてんだよタコ!」
(このDはちょっと血の気が多くて、もうすでにこの時点でやる気満々)

 と、一触即発のこのあたりで騒ぎを聞きつけたライヴハウスの店長(以後、店)が登場。なだめに入る。

私「ハコの方にはこっちの音をわかった上でブッキングしてもらってるんで、ライヴ自体に問題はないはずだが?」

店「そう、店のブッキングはジャンル無関係でやってるんで」

P「ジャンルっていうか、音楽じゃないじゃんか」

私「なら『音楽じゃない』というジャンルってことで。そもそも我々はバンドじゃないし」

 暴れたくて鼻をフンフン鳴らしているDの腕を引っ張り、唖然とするパンク・バンド並びに安堵の表情を浮かべる店長を残し、我々は居酒屋で煮込みやら焼きとんやらをアテに泥酔、トリのツアーバンドの演奏で酔にまかせて大騒ぎしていたらしいのだがそのせいで逆にライブは盛り上がったようで、終了後に店内で談笑していたと後に店長から知らされたのだが、私は全く覚えていない。そのバンドの演奏もバンド名もメンバーの顔も、まったく覚えていない。

おそらくは

 田舎特有の固着した考え方がある。

 楽器初心者が集まって初めて作ったバンドは練習ばかりしていてライブを全然やらない。その理由は「へたくそだから」「そんなレベルじゃないから」「練習が足りないから」と、だいたいそういうことである。
 こういう考え方の根本には、件のパンク・バンドの如き「ちゃんとした音楽」でなければライブをしてはならないという変な概念が合って、これが昔から綿々とバンド界隈に引き継がれてしまっているので、小さくまとまっていてどこかで聴いたことがあるような音を出すバンドが大量に溢れているという事が起きているのだ。
 そもそも、パンク・バンドが「ちゃんとした音楽」にこだわってどうすんだよ、ちゃんとしてないからパンクだろうが(笑)

 まぁ、少しベクトルが違うだけでこれは、前回のアートイベントで体験したこととほぼ同じことなのだ。

 何でもかんでも活動に「意味」を押し付けて、強引にアートというカテゴリに当てはめようとする。

 ライブハウスという場に重さや崇高さを勝手に押し付けて、音楽というカテゴリを狭く狭く歪曲し、自分の理解できる範囲に当てはめようとする。

あのね

 そういうきっちりした考え方が大嫌いな人間っているんだよ。
 別に私個人のことだけを言ってるわけじゃない。
 ライブハウスはビジネスなのよ。
「この小さな田舎町で、なんかへんてこりんな事してる奴らがいて面白そう」
 という気持ちになれば、そいつらをブッキングして乗っかろうとするのは当然で、その営業方針にたかだか出演者の分際でいちゃもんを付けるなんて2億年早いわ。
 ちゃんとした音楽だけを集めて「これがかっこいいパンクです」って見本市みたいなことを永久にやっていたいのなら自分でそういう店を作って、仲間内だけで集まって仲間内のお金がぐるぐる回って、店が儲からないことを不思議に思い始めて、考えて考えて「そりゃそうだ仲間内のお金が行ったり来たりしてるだけなんだから、儲かるわけ無いじゃん、ハハハ」なんて寂しく笑う頃には時すでに遅し、廃業の憂き目に合うと、こういうことなんだ。

閉塞

 閉じた思考に未来は無いでしょうよ。
 よそ者をバンバン取り込んで、異分子を歓迎して、混沌の中に自ら飛び込んで意味も価値も放り出して

 人間なんてそうして小さく狂いながらどこまでも欲望に向かって、自分の足で突き進んでいけば一生飽きずにヒヤヒヤしながらそれでも愉しく幸せに笑っていられるはずなのだ。

 しかめっ面で「ちゃんとした」事ばかりしていて、死ぬ時に心から「幸せだった」と言えるならもちろん、そういう人生も最高だ。

 でも同じように、「ちゃんと」とは真逆の人生で幸せになる人が居ることも認めなければフェアじゃない。

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