【小説】愚。#5
前回
高慢と勃起、そしてウィンク
瞬きの回数が異常に少ない人間ってのがいてこの山空、新入社員の山空、具田にちんこのサイズを尋ねられて無視した山空もまた、極めてまばたきの少ない男であった。
給仕係のばばあを怒鳴りつけて後、暫時睨み合ってからこっち、一気に空気の重さが増した社員食堂の片隅で贋造は山空と対峙し、無言無表情の新入 社員の顔面を見つめている時に気付いたその瞬きの少なさ。
もはや贋造が見つめているのは山空の顔というよりもその瞼。
2メートル程度の距離を取って向き合いながら山空の瞼を凝視していた贋造はその皮膚が微かに痙攣していることを視認し「よし瞬けよし瞬け」と半ば祈るように半ば呪うようにまた罵るように脳内で反芻しながらその苦行のような時間をただ過ごしていた。
盆に載せた山菜蕎麦の重みが腕を震わせ始めたその時である。
贋造は突如勃起した。
なんということだろうか。
贋造と山空が睨み合う間合いのそのど真ん中を女が歩いたのだ、作業着を着て。
女は作業着を着て、かき揚げ饂飩の乗った盆をまるで小洒落た喫茶店の小洒落たウェイトレスがするような小洒落た形で左手の掌に載せ、それを肩あたりの高い位置に小洒落た感じで掲げたまま、腰をクイックイッとひねるようにまた、すこし脚を交差させるようないわゆるモデル歩きの如きキビキビとしたそして小洒落た足取りで口角をやや上げ、まるで社員食堂に集う貧民共を嘲笑するかのように高慢な表情を顔面に貼り付けたまま贋造と山空の間合いに踏み込み、眼の前を突っ切ろうとしていたのだ。
贋造は内心「このクソ女、お前が俺の視界を遮るその一瞬の間に山空が瞬きしたらどう責任を取るつもりなんだ犯すぞ」と考えていたのだがその時、女の全身から放たれるメスの匂いと自分が勝手に思考した「犯すぞ」という言葉そして、なぜか「山空のちんこのサイズ」というキーワードまでが思い起こされてそれで。
勃起してしまった。
しかし贋造は山空の瞼から目を離さなかった。
女は確かに一瞬、贋造の視界を遮った。そして通り過ぎた。女の髪が視界の中央から端に移り、山空の瞼を再び贋造の視覚が捉えたその瞬間である。
山空の瞼が閉じた。片方だけ。
こいつ俺を無視してウィンクしやがったと、贋造の怒りが噴出しようとしたその時、周囲がガヤガヤと騒がしくなり、遠くから女性の金切り声が聞こえて我に返りキョロっと見回したその視界の下方で、あの女が床にへたり込んでいるのが見えた。
女は内股で膝をつけるようにしてベッタリと小汚い床に尻を着け、それでもかき揚げ饂飩を落下させることなくしっかりと左手で支え持ち、しかし床から生えたような形の上半身はグラグラと前後左右に揺れていてやがてそれは、弧を描き始めた。
揺れる女。
ウィンクを解かない山空。
勃起したままの贋造。
(つづく)
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