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巨人の家 5

第一部 村
第二部 館
第三部 人
第四部 神


 第五部 霧

  それからのことについてお話しましょう。

「忍び込むって、どうやって?」
 私は音吉に尋ねました。巨人の家に忍び込むと強い口調でそう宣言したからです。
「いいか、お前は普通にいつも通り、報告書と指示書の受け渡しをして戻って来るんだ」
「それで?」
「お前が部屋を出た後、戸が閉まる直前に俺は忍び込む」
「それから?」
「その先の事は心配するな」
「だって、中で何をするつもりですか?」
「奴らのやってる事を見聞きするだけだよ」
「すぐに見つかってしまいますよ」
「その時は、その時だ」
「なんて言い訳するんですか?」
「何でもいいよ。荷物運んでいて、出遅れちまったとか」
「でも今は音吉さんはあの家に出入りするのって、許されてるんですか?」
「勇吾一人で荷物を持ちきれなかったとか何とか言えば、どうにかなるさ」
「えー、ほんとに大丈夫ですか?」
 私は少々心配でした。
「まあ、消される事はないだろうよ」
 連絡係としての役割を終え、今は調査員として動き回ってはいるものの、音吉は自分の役割はそろそろ終わりを迎えている。それを感じている様でした。巨人の家に忍び込もうとしているのも、もうこれが最後の機会だと思っているからでしょう。
 消されてしまう前の大冒険ではないけれど、それをしない事には終われない、そんな決意が見え隠れする、そんな気がしました。

 やがて、その計画を実行する日になりました。本当は届ける荷物は私一人で運べる分量なのです。それでもいくつかの食料や飲料を多めに、衣服も多少忍ばせて私はリュックを背負いました。音吉に手渡すためです。
 音吉もまたいくつかの荷物を背負っていました。
「それは何ですか?」
 音吉は大きな白布を何枚か用意してました。
「あの空間はとにかく白い霧が立ち込めている。これで身を隠して床に伏せていれば少しは見え難いだろうと思ってな」
 なるほどと思いました。それからいつも届ける例の草花を何本か、詰め込んでいました。
「それは何のためですか?」
「これはな、眠り草だ」
「眠り草?」
 私は初めてその草の名前を知りました。
「これを火で炙ると、煙と匂いが出て、それを吸い込むと睡眠効果があるんだ。奴らはいつもこれを嗅いで眠っている」
「そうだったんですか、それは知らなかった」
「いざとなったら、こいつを炙ってな、逃げ出せばいい。一週間後くらいにお前が来れば、その時に抜け出せる。こちらでの一週間は向こうでは一晩だ。なんとかなる」
 それを訊いて多少は安心しましたが、それですっかり不安が無くなった訳ではありません。
「お前には迷惑はかけない様にするから、大丈夫だ」
 音吉はそう言って私と一緒に小屋を出ました。

 曇り空の下、いつも通りの道を通り山を登って行きます。岩肌の所に出ると、音吉は振り返って村の全景を目に収めました。音吉には馴染めない開発の進んだ村の姿ではありましたが、これで見納めかと言うような表情で、それをじっと瞳の奥に焼き付けていました。
「よし、行こう」
 音吉はそう言って、私の後ろにピタリと身を寄せ、隠れる様にして着いて来ます。
 巨人の家が見えました。大きな門の扉を叩きます。ギギギギィィ、と戸が軋みゆっくりと開きます。ここから先はもう私は音吉の姿を見ません。しかも暗闇の中です。
 暫くして点った灯りに向けて私は歩を進めます。音吉の足音は聴こえて来ませんが、後を着いて来ている事は確かです。
 金属の戸が見えました。私は右手をあてがいました。静かに戸が開き、中に入ります。
 横の長テーブルの上に荷物を置き、レドを待ちます。
 いつもの調子で明るくレドが現れました。
私達は籐椅子に腰掛け丸テーブルを挟んでいくつか会話をしました。報告書を渡し、指示書を受け取ります。その間、私は音吉の事を考えて気が気ではありませんでした。おそらくレドとの会話は半分以上が上の空だったでしょう。どんな会話を交わしたのか、今ではさっばり思い出せません。軽く額に汗が滲んでいました。
 レドは、「どうかしましたか?」と私に質問しましたが、私は「いいえ、何も」と答え、レドは前回の事を私が気にしているのかと思ったらしく、「体調は大丈夫ですか? この前の事は気にしなくて良いですよ」とニッコリ笑いました。
 私は黙って頷いて、立ち上がり一礼しました。
 レドも立ち上がって、ご苦労様と言うと手を振り、向こうの空間に去って行きました。
 私は何も無いフリをして、いつもの通りに戻ります。出口の戸を抜け長い廊下側に出ます。金属の戸がゆっくりと閉まり始めました。
 その時、私の足元を白布を被った音吉らしき物体がスーッと部屋の中に入って行きました。
 ハッとしました。音吉は本当に巨人の家に忍び込んだのです。

 長テーブルの隅で白布を被って踞る音吉の背を軽く叩き、小さく声を掛けました。
「……音吉さん、音吉さん」
 サッと布を捲り、音吉は驚いてこちらに目をやりました。
「ゆ、勇吾、何してる?」
 音吉の目はまん丸に開かれ、心底驚いている様でした。
 戸が完全に閉まる直前、反射的に私も部屋の中に入り込んでしまったのです。
 はぁ? と音吉は大きな声を出しそうになり、慌てて口を押さえました。
「すみません」
 とにかく、謝りました。
「仕方ない、とりあえず、お前も早くこれを被って身を隠せ」
 音吉は自分のリュックから予備の白布を取り出して私に差し出しました。
 私がその白布を頭から被ったと同時に、向こう側の戸が開き、誰かが台車を押して室内に入って来ました。
(ここに隠れろ!)
 音吉は口だけ動かして声は出さず、私に長テーブルの下に隠れる様に指示しました。音吉もすぐにテーブルの下に潜り込みました。
 その台車を押した人物が段々と私達のいる方へ近付いて来ました。テーブルは長く大きなものですから、その下にいる私達の姿はその人物からは見えない筈です。
 その人は私が届けた野菜や米などの荷物を次々と箱ごと台車に乗せ、作業しています。
 私は布の先をほんの少し捲って、その人の足元辺りに目をやりました。ゴム製の靴、白い靴下、長めのスカートからやや太い足首が出ています。
 私の知っている限り、その人はどうやらマロンの様でした。それでも見つかる訳にはいかない。音吉はじっとしたまま微動だにしません。
 ふと、コトンと音がして芋が一個籠から床に落ちました。少しだけテーブルの下に入り込んで止まりました。すると、その落ちた芋を拾おうと手が床を探ります。覗き込まれたら最後です。私は息を止めました。
 マロンと思しき人の右手が芋に触れ、それを掴み持ち上げました。テーブルの下は覗き込まなかった様です。そして、台車を押してまた向こう側の戸を開け、出て行きました。
 私と音吉はそっと白布から顔を出し、目を見交わしてふーっと息を吐き出しました。
 音吉はそっとテーブルから上半身を乗り出し、上を覗き込みました。
「まだだ。草がそのまま置いてある。また取りに来るだろう。だが、その時に向こう側へ出るチャンスがある」と言いました。
 そして、私達は霧の立ち込める室内を低姿勢のまま奥に進み、出入口の戸の右側の壁際に蹲りました。
「いいか、今度、戸が開いて、テーブルの方へ草を取りに行っている間に向こう側に出るんだ」
 音吉はそう言いました。私は頷くほか、ありません。
 じりじりする様な時間が過ぎて行きます。
 音吉はもう一度私の方を見て、
「引き返すなら、今だぞ」と言いましたが、私は首を横に振りました。
 音吉は諦めた様に戸の方を見詰め直します。
 やがて、小さな物音がして向こう側の戸が開きました。
 私達は再び頭まで白布を被って壁際にピッタリ身を寄せました。
 入って来た人物はやはりマロンでした。胸当てのある前掛け、それはエプロンと言うものらしいのですが、それを着け、大きなスカートでふくよかな身体が台車を押して向こうの端、長テーブルに向けて歩いて行きます。運良く私達の姿には気が付かなかった様です。
 音吉はチラッと私を見て目で合図を送ると、ささっと足音も立てずに開いたままの戸を通り抜け、向こう側の空間に入り込んで行きました。もちろん私も直ぐにその後を追いました。

 向こう側の空間は受け渡しの部屋よりも尚一層深い霧に包まれ、少し距離が離れると白布を被った音吉の姿が見えなくなりそうで、でも巨人達から隠れるには都合の良い空間です。
 しかし、向こう側の空間はとにかく広く、どこまでも広がっていて、私もこれまで二度三度ここに来ている筈ですが、手掛かりになる物がなく、未だに模型のある場所や、前回倒れて眠っていた部屋、それからグリンと話をしたあの緑の部屋が、どこにあるやら、方向さえ見当がつきません。
 どこをどう進めば良いのか分かりませんでしたが、マロンが部屋からまたこちらに戻って来るのは分かっていましたので、とりあえず、戸の近辺からは離れる事にしました。

 どこをどう歩いたのでしょう。音吉と二人、霧の中の散歩は永遠に続いて行く様な気がしました。とてもそれは建物の中とは思えない。何も見えない空間でした。足元にはしっかりとした床の感触が伝わって来るのが唯一の救いでした。天井はどこにあるのか目を凝らしても見えない。ただぼんやりと四方から光が差し込んで来るだけでした。
 ただ、広い空間を思い付くまま右に左に彷徨い歩いていただけかも知れません。
 模型の置いてある場所にさえ、てんで辿り着けませんでした。何かの区切り、部屋とか壁とか、それらしきものはどれだけ進んでも見当たりません。もはや、誰かに見つかったら大変だとビクビクしていたのが嘘みたいに、誰でもいいから居てほしい、そんな気持ちになり掛けた時でした。
「おい、待て」
 音吉が立ち止まりました。
「何か、音が聞こえないか?」
 そう言われて私は立ち止まって耳を澄ましました。
 それは最初、風の音か、誰かが何かを引き摺って歩いている音だろうかと思いました。ゴーっという低い振動する様な物音です。
 私達は、とりあえず音のする方へ向かって歩いて行きました。子供の頃、目隠しをして、手の鳴る方へと、そんな遊びをした事を思い出しました。
 段々とその音ははっきりと聞こえて来ました。何か機械が動いている様な物音です。自然の音ではありません。
「壁がある」
 音吉が私に小声でそう伝えました。白というよりやや灰色に近い色の壁でした。
 一遍に緊張が私の身体を走りました。
 音吉が壁に手を当てその場で身を屈めました。私もそれに倣います。機械音はこの壁の向こうで鳴っている様です。
 私をその場に残して、直ぐ戻ると言い置き、音吉は壁に沿ってゆっくりと進んで行きました。
 灰色の壁と機械音、目の前には白い霧、音吉はどれだけ進んで行ったのか、実際は一分程で戻って来たのですが、私はその一分が永遠の長さに感じました。
「五、六軒先に入口がある」
 そう言って音吉は私に着いて来る様に促します。
 音吉に着いて歩くと、壁が途切れ、部屋の中へと続いていました。そこは扉や戸がなく、開け放された出入り口でした。
 壁の際からそっと中を覗き込むと、意外な事に部屋の中は霧も無く、ずっと先の方まで見渡せる空間でした。
 とは言うものの、部屋の中央には大きな四角い機械みたいなものが置かれていて、先程からの機械音はどうやらここから発生しているのでした。
 細長い部屋でありましたが、人影は見えず、全体的に灰色がかった部屋に白い機械だけが蠢いています。
「ここで待ってろ」
 音吉はそう言って部屋の中に侵入しました。白布を被り腰を屈めてです。機械の影に身を寄せ、その向こう側を覗き込む。誰もいない、音吉は白布を外し立ち上がって私に手招きを送ります。
 それでも一応私は白布を肩から掛け、中腰でそろそろと足音を立てずに音吉のところまで進みました。
「見てみろ。何かを製造する機械だ」
 入口から見て反対側は透明になっていて機械の中が見えるのです。あまりにもそこはいろんな金具や管が仕掛けられており、まるでからくり時計の内部に似た立体迷路でした。
「これが原材料らしい」
 音吉は機械の下に積まれた石鹸の様な固形物を指差しました。
「それをここから投入するんだな」
 機械の左下に猫が出入りするくらいの大きさの戸口があって、そこから内部に続いています。
 今、中央辺りにある球体のものが不規則な回転運動を繰り返しています。低い物音はそれが動いている音の様でした。
「おそらく、ここで原材料を切り刻んでこの球体の中で熱して液状化するんだ」
「は?」
 音吉はそう説明し、機械の先の方へ進んで行きます。
 球体の先は、これまた複雑な立体迷路があり、いくつかの鉄函が並び、その下にたくさんの金型を刻んだ鉄板が並んで置かれています。
 そして機械の出口から何本もの線路が引かれ、おそらく製品がここから出て来るみたいです。
 私は縁日で売っているたこ焼きが鉄板に並んでいる所を連想しました。
「原理はそれと同じだ」
「誰もいないのに勝手に動いてるなんて、不思議だ」私が言うと、
「それが、電気だ」音吉は私にそう教えました。
「問題は何を作っているかだ。食品じゃないな、あそこで冷やして固めるんだ」
 白い機械の先にもう一つ銀色の細長い機械が佇んでいました。
「見てみろ、あちらのテーブルに製品が並んでいる」
 機械に気を取られて気付かなかったのですが、その先に長テーブルが置かれていて、いくつか箱がその上に並んでいました。
 人がいない事を確認して、そちらに移動しました。
「そうか、これは」
 音吉はようやく合点がいった様に、そう呟きました。模型に置いてある家や建物、電車や車、樹木などの模型に使う部品でした。つまり樹脂を溶かして成型する機械なのです。
 機械の中央にある球体の動きが止まり、その中から液状化された物質が次の工程に移動して行きました。
 ゴーっという低い音は消えて、ウィンウィンという線路に沿って鉄板を動かす音に切り替わりました。
 立体迷路の中を白っぽい液体が流れ、鉄板の窪みに落とされます。
 ガチャガチャと金属が擦り合う音がして、機械の中から、一枚づつ鉄板が外の線路の上に送られて来ました。その金型の付いた鉄板は表面と裏面があるらしく、機械の外に流れ出た時にはそれが開いた状態で送り出されて来ました。
 音吉がそれを覗き込んで一言、
「人間だ」と呟きました。
 私はその言葉にえっと思いました。人間?
 見てみると大きさは一寸あるかないかの大きさの人型でしたが、実に精巧に出来ています。素材は何でしょうか、柔らかいのか硬いのか、分かりません。私は人形やこけしの類を想像しました。
 それらは鉄板ごとに微妙に違う形で、幾つも並んで、次々と送り出されて来ます。
「触らない方がいいぞ。まだかなりの熱を持ってる」
 線路はその先にある銀色の機械にまで続いていて、その中で鉄板ごと冷やされる様です。

 私達が暫くその様子に見惚れていると、突然、背後に足音と人の話し声が聞こえて来ました。
 私達は慌てて白い機械の向こう側に移動して身を隠しました。
 どうやらテーブルの奥にもう一つ別の入口があるらしく、二人の人物が何やら会話しながらこの部屋に入って来ました。
 この部屋の中は霧が無く、見通しが良い。下手すると見つかる可能性がかなり大きい。私達は白い機械の影に隠れて、そっと足を忍ばせて元の出入口付近まで戻って来ました。
 こちらから向こうの姿が見えない様に向こうからもこちらの姿は見えないはずです。
 目の前にある出口までほんのわずかですが、なかなか足を踏み出せません。
 音吉がふいに目の前に積まれた石鹸の様な原材料をひとつ手に取り、鞄に忍ばせました。私も比較的小さなものをひとつ手に取って作業着の衣嚢に突っ込みました。
 部屋に現れた人物は、どうやら男性と女性の様でした。声の感じからするとグリンとレドでは無さそうです。
 機械の影から覗くと、白髪の男性と小柄な女性。初めて見る巨人です。(身体の大きさは巨人ではありませんが)
 二人は製品の出来栄えをチェックしている風に見えました。彼らは何事か会話をしながら作業工程の確認をしている様でしたが、私には彼らの言語はさっぱり理解出来ません。
 そんな二人が背後のテーブルに製品を並べ始めた所を見て、音吉は「今だ」と私に合図をして、出口に向かって進みました。
 私もその後を続こうと足を踏み出した時、衣嚢に突っ込んだはずの原材料の小さな塊を床に落として、コトンと音を立ててしまいました。
 音吉が驚いてこちらを振り返ります。ハッとして私も動作を止めてしまいました。向こうで作業をしていた巨人達もその音に気付いた様子でこちらに顔を向けました。
 その瞬間、白髪の巨人が私達を見て、何か鋭い言葉を発しました。女性の方が短い悲鳴を挙げました。
「まずい、逃げろ!」
 音吉はそう言って外の霧の中へ走り出しました。もちろん私も慌ててその後に続きます。
 背後で何か叫び声と足音が聞こえました。
 相手がグリンかレド、もしくはマロンならまだ顔見知りですが、知らない巨人に捕まる訳にはいかない。堪らないほどの恐怖を感じて、私達は必死になって、ひたすら霧の中を闇雲に走りました。

 五分か十分か、あるいはもっとか、走りに走って逃げました。気が付いた時、音吉の姿が見えなくなっていました。霧の中で私は一人、はぐれてしまったのです。
 急に私は心細くなり、とにかく音吉の姿を探すべく、辺りをぐるぐると彷徨い歩きました。巨人が追って来ないかとの不安もあります。音吉は逃げ切れたのか、とても不安でした。
 目を凝らしても何も見えない、霧の立ち込める空間が果てしなく続いているだけです。何だかとても悪い夢を見ている様な気分でした。夢ならば早く覚めて欲しい。
 けれど、状況は変わらず、一体どうしたものか、ぐるぐるあたりを回ったせいで、自分がどちらから来たのか、方向がさっぱり分からなくなってしまいました。
 薄鼠色した空には、四方から光が差していて、それだけでは方角が定かになりません。かすかに風が吹いて来ます。
 果たしてここは巨人の家の内部なのか、それさえも判らない状況でした。
 もう追って来る巨人の足音も声も聞こえない。
 とにかく、音吉を探すのだ。それしか無い。その結果、巨人に捕まってしまおうと、それはやむを得ない。私はそんな心境でした。
 最初は小さく「音吉さ〜ん」と周囲にいれば聴こえる程度に名前を呼んでみました。二度三度繰り返してみても、何の反応もありません。次第に大きな声に変わって行きます。それを何度か繰り返しました。最後は声が枯れてしまうくらいに絶叫しました。
 ついに私は力が尽きてその場に座り込んでしまいました。床だと思っていた部分はいつのまにか砂地でした。その下は硬い石か何かの様です。
 ここはどこだろう? 家の内部か外か?
 どこに来てしまったのでしょう?
 このまま私は一人で死んでしまうのでしょうか?

 すでに、二時間か三時間くらいは経ったと思います。とにかく気の遠くなる程の時間でした。いや、時間などというものがあるのか無いのか、自分の吐く呼吸、そして心臓の鼓動、脈拍だけが、繰り返すのみでした。
 ふらふらと歩き回っては休み、また闇雲に進んでは蹲りしました。口からはうわ言だけが漏れ出しています。そんな事を繰り返して、途方に暮れて、このままどうなってしまうか、それも解らず、精も根も尽き果てた頃、ようやく、遠くの白い霧の中から小さな黒い影が揺らめき、それが少しずつこちらに近付いて来ました。
 次第に形がはっきりして来ると、それは音吉の姿でした。

「お、音吉さん」
「勇吾か?」
 ああ、良かった。やっと会えた。
 やっと孤独から解放された。私はホッとして脱力しました。
「探したぞ。無事だったか。俺はてっきり、お前は巨人に捕まったものと……」
 音吉は珍しく感情を昂らせ涙を滲ませました。
 そして、その場に二人して座り込みます。
 私はふと思い付いてリュックから水筒とおにぎりを出して、音吉に差し出しました。
「ああ、お茶だけ貰うよ。腹は空いてないんだ。お前、食えよ」
 音吉はそう言って、お茶だけを飲みました。私も腹は空いてなかったので、お茶を一口だけ含みました。
「悪かったな」
 暫くして音吉がぽつりとそう言いました。
「何がです?」
「いや、俺が巨人の家に忍び込むなんて言わなきゃ、こんな事にはならなかったのに」
「いいえ、私が勝手に着いて来ただけですから、私のせいです」
 音吉はそれ以上は黙って、手の甲を顔に押し付け目を閉じていました。
 さっきより風が少し強くなった気がしました。霧が風に流されて行くのが見えます。

「さっきの機械、人形を作ってましたよね」
 ふと思い付いて私はそう話しました。
「そうだったな」
「あの模型に置くためのものでしょうか」
「そうだろうな」
「あの人達は、模型を作って、それは、やはり、村の開発の、計画のためなのでしょうか?」
「ああ……」
 音吉は暫く何か考え込んで、
「俺は、あの模型を作る事がそのまま、村や人に反映していると思えるんだ」
「え? どういう事ですか?」
「あの模型と村の景観はいつも一致していると言ったよな」
「……そう、ですね」
「模型に合わせて村を変えてるとかじゃ無くて、俺には、何だか……」
「何です?」
「いや、……模型を変えたら、同時に、村が勝手に変わってる気がするんだ」
「えっ、それは、どういう……?」
「人を作ってただろう?」
「ええ」
「そして村には、どこから来たのか判らない連中ばかり溢れてる」
 音吉はそれきり黙します。私は思考回路が停止してしまいました。


「霧が晴れて来た!」
 どれくらいか経った頃、突然に音吉が声を出しました。
「本当だ」
 私の目の前にずっと遠くまで見渡せる広い荒野が地平線の彼方まで広がっていました。
 いつのまにか、私達は巨人の家の中では無く、外の世界に出てしまっていた様です。
 それにしても、それにしても……、
私は茫然として、それを眺めて言葉を失くして、ただ目を見張るのみでした。自分のいる世界があまりにも変貌していました。
 こんな広い、広大な自然を見るのは初めてです。岩肌のところから見る村の風景など、これに比べたらほんの一握りの小さな一区画にしか過ぎません。
 見渡す限りの平原。大地が延々と広がり続いています。それは地平線までずっと広がっていて、地平線は地球の丸さを表す様に、緩やかな円を描いていました。
 こんな壮大な景色を前にすると、自分の中に神を感じ、宇宙を感じます。心は空白になり、自然に溶け込まれて行く、そんな気になります。大地から吹いて来る風は、村に吹く風とは違い、絶対量の差を感じました。私はその風にこの身を任せていると、その体験は何か自分にとって特別なもの、そんな気がしました。
 この大自然を前にして私は、言葉にならない程の感動に打ちのめされていたのです。

 思わず私は立ち上がって一歩二歩、何かに引き寄せられるみたいに歩いていました。大きな岩の上を歩いている、そんな感覚でした。
 もう一歩、先に踏み出してみようと右足を上げた時、私の右肘を音吉が掴みました。身動き出来なくなる程の力強さです。

「動くんじゃない」

 耳元で音吉の緊張した声がしました。
「はっ?」
 私はそのままの姿勢で音吉の顔を見ました。
 音吉は目を見開き、物凄い形相で周囲に目を走らせています。
 どうしたのか? 私も辺りを見回しました。
 ひゅうっと音を立てて、ひと吹きの風が私の頬を撫でました。
 ああ、その刹那、私の全身は総毛立って、ゾワゾワっと背筋から全身に電気が走り、身の毛がよだちました。
 左右何百里にも渡って真っ直ぐに伸びる長い長い断崖絶壁!
 その淵に私達は立って居たのです。

 私の右足は宙に浮いたまま、その下の地面は遥か下方に霞んでいます。小石がぱらっと落ちて行きました。どこまでも落下して行くその小石は地面に着く前に見えなくなりました。
 総身の血が、音を立てて引いて行きます。身体中が震え出して止まらなくなりました。背後の音吉にもたれかかる様にしてそっと右足を地面に降ろします。そのまま後方に二、三歩崩れ行き、倒れ込みました。
 全身がガタガタと震えて声が出ません。音吉に止められなかったら、この絶壁から落下していたでしょう。この高さから落ちたらどうなるか、聞くまでも有りません。遥か下方の地面に身体を打ち付け粉々に砕け散る。落下途中に気を失って、後は、風の如く……、小石の如く……。
 生きた心地がしないというのはこの事でしょう。まさに九死に一生を得たのです。
 そのままそこにへたり込んでいた私達の目の前で、段々と霧が晴れ渡り、眼下に広がる大地のその全貌がはっきりと浮かび上がりました。
 音吉が言います。
「こ、これは……」
 私もそこに視線が釘付けになりました。
「廃墟だ」
 目の前の崖の下の、広々とした平野に、灰色の砂に埋もれた瓦礫の街が、延々と広がっていました。



続く
またいつか……

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