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最期を迎えた父との思い出

先日、SNSで知人のお父様が亡くなった投稿を見て、1年半前に他界した父のことを思い出した。

心の痛みは今も確かにあるのに、父との大切な一つ一つの思い出が離れていっていることに気づいたので、ちゃんとここに記録しておこうと思う。私がこれからも父と出会い直すことができるように。

がんと分かる半年前に撮った写真。左から私の姉、父、私の娘、叔母(父の姉)、私。

父を思い出す時、常に後悔や心の痛みがセットでやってくる。父の最期が近いことが分かってから、自分にできることは精一杯やった。それでも私は今も後悔でいっぱいだし、この感じている痛みは、むしろ忘れず持ち続けたいとすら思っている。これからの未来、大切な人を大切にするために、私に必要なことだと思っている。


父の闘病プロセス

父は2022年の4月に肺がんだと診断され、半年後の11月に他界した。父は自分が肺がんだと判明して1ヶ月以上経ってから、ようやく離れて暮らす娘たち(私と姉)に連絡をくれた。

父は基本的に要件のみで電話を終わらせるタイプだ。でも、その日はなぜか、すぐ電話を切ろうとしなかった。そして初めて聞くような、力のない、肩を落としたような声で、「『肺がんステージⅢ以上』だと診断された」と伝えてくれたように思う。

私は驚きすぎたせいか、その後にどんな言葉を返したのか全く覚えていない。ただ、「何も伝えられなかった」ことと無力感だけは今も心に残っている。

その後、がんに強い専門病院を紹介され確定診断された時には既にステージⅣになっており、薬物治療や放射線治療もしたが、父は治療の苦しみに耐えられなかった。

治療を断念し、最後は緩和ケア病棟で約1ヶ月過ごした。コロナ禍ではあったが、1時間程度の見舞いはさせてくれる病院だったので、一緒に過ごすことができ、家族の大切な時間を共にすることができた。

娘に5秒でも会わせればよかった

2歳の娘は基本的に面会不可であったが、1度だけ、短時間であれば良いと言われていた。

元気そうな時を見計らって娘に会わせようと思っていたが、日に日に悪くなる一方で、父も「弱っている自分を孫に見せたくない」と言ったので、最期まで会わせる決心がつかなかった。

父はきっと、「会いたい」と「会いたくない(見られたくない)」の狭間だったように思う。私は、「娘が父の衰弱した状態に泣いたらどうしよう」「父の辛く悲しい思い出になるかもしれない」、そう思って踏ん切りがつかなかったのだ。

5秒でいいから、お互いに「大好きだよ」と言い合う時間を取ってあげたかった、と今でも後悔している。娘もじいじが大好きだったのだ。

闘病中も娘のことを想って送ってくれた誕生日プレゼント。娘はドヤ顔。

父のパートナーを家族の一員として巻き込んだ

父が肺がんだと分かってから、自分に何が出来るのかずっと考えていた。

父と母は、私が大学生の時に離婚をした。その後、父は叔母(父の姉)と2人で暮らしていたので、「闘病生活の間、私も一緒に暮らした方が良いか」「何か少しでも役に立つものはないか」「もっと良い病院はないか」とにかく様々なことを考えた。

結論、私に出来て、父が喜ぶことはほぼ無かった。父は私が何かするたび、迷惑をかけて申し訳ないとすら感じていたようだ。

食欲が落ちて私が用意した食べ物が食べられない時、私が車を出して病院への送迎をする時、父の様子を見に帰省する時、父は娘への「申し訳なさ」を感じていたようなのだ。20年近く離れて暮らしていたから当たり前のことなのかもしれない。とにかく父はそういう人だった。

そんな時、「友人(Aさん)に病院への送迎を頼むから、こなくて良いよ」と言われたことがあり、「これは怪しいぞ・・」と娘の勘が働いた。娘には頼みにくいことを頼める人。しかも女性。特別な存在なのではと思った。

私は、病院で診断結果を聞きに行く時、Aさんにも聞いてもらうことにした。(父は最後までパートナーだと明言せず、友達だと言い通していた。ずるいぞ・・父よ。そんな父の人間らしさも可愛いなと思ったのは、少し時間が経ってからのこと)。

その日から、Aさんは父の闘病を支える家族の1人としてジョインすることになった。父の兄妹は、戸籍上は関係ない赤の他人を嫌がったが、私が押し通した。

彼女は献身的にサポートをしてくれた。病院とのやり取りをしてくれたり、毎日父に会いに来てくれたし、マッサージもしてくれた。父は、私のマッサージよりも気持ちよさそうにしていた。

本当にありがたかった。私の「父のために何かしたい」というエゴを手放せたのは彼女のおかげだったと思う。

病院とのコミュニケーションを密にできなかった

肺がんは痰が詰まりやすく、毎日数回の吸引処置があった。それを本当に痛くて辛そうにしていたので、近くで見守っている家族にとっても辛い時間だった。

衰弱状態で1日中寝ており、家族が来ても言葉を発さなくなっても、吸入の時だけは、叫ぶように「痛いよ〜やめてよ〜辛いよ〜」と言葉を発した。「もうやめさせてほしい」「楽にしてほしい」と私に懇願した。

できるだけ痛みを和らげて最期を迎えたいと父は願っていたし、それを看護師に伝えてはいたが、息を引き取る最後の日まで「痛い」「辛い」と苦しませてしまった。

看護師も毎回担当が変わるし、医師は毎朝一度、見回りにくるだけ。見舞う家族も毎回メンバーが違う。正直どれだけ父の声が病院に届いたかは分からなかった。

父の意思が明確に伝わっていることを確認するため、娘である私が医師に定期的に会いに行く必要があったのに、当時は気づかなかった。側にいたのに、私は何も出来なかった。改めてこの時のことを思い出し、今、痛感している。

父の尊厳を傷つけた看護師を怒れなかった

緩和ケアに移行して寝たきり状態になってからの父の唯一の楽しみは食事だった。

病院は持ち込み可能だったので、毎日差し入れを持参した。ある日食事をしていると、食べ物が喉に詰まって息が出来なくなったのか、父は突然苦しがった。

そもそも肺がん末期は呼吸が困難である。恐らくものすごい恐怖体験だっただろう。苦しそうにゼーゼー、ゴホゴホいう父の隣で、私は必死にナースコールを鳴らした。

病室に来た看護師さんに父は状況を話そうとしたが、呼吸が整わず声を出せなかった(私は父の「自分の力で話したい」という意思を感じたので、見守っていた)。

その看護師さんは父が話し出すのを待とうともせず、病床に来るなり強い口調で「〇〇さんはご自宅からの差し入れを食べているので、病院食でないもので何か起きて私たちに言われても困ります!」と言い放った。

その瞬間、助けを求めている人に対して、何が起きたか話を聞こうともせず、ただ一方的に感情をぶつけるこの人は何なんだろう。

何度も言うが、差し入れは病院ルール上、問題はない。私の目には、ただ看護師さんがその時にイライラしていて、それを父にぶつけただけに見えた。あまりにもびっくりしたし、「何か余程のことがあったのだろうか」と瞬時に思ってしまい、私は何も言えなかった。父は、何かを諦めたようで、何も言わなかった。

「感じて伝える」「優しさに触れる」「食を楽しむ」。人として当たり前の尊厳を尊重してもらえなかった父の代わりに、私は怒るべきだったのだ。

それが出来なかったことが今でも申し訳なく、チクチクと心を痛んでいる。

息を引き取ってからも、声をかけ続けた

緩和ケアに移行してからは日に日に悪化し、1ヶ月ほど経った頃、危篤状態になり、家族が呼ばれた。

私と姉が病院に着いた頃には、息を引き取った直後だった。それでも「本当に頑張ったね」「ありがとう」「一緒に過ごすことができて幸せだったよ」と言い続けた。悲しさのあまり言葉を発せなくなった姉を鼓舞し、声をかけるよう促した。

「耳は最期まで聞こえている※」と言う。父が最期に聞いた声が、泣き声や沈黙ではなく、愛の言葉だったらと願う。

※死の訪れには明確な瞬間はなく、四肢の末端から脳に向かって神経が働かなくなっていき、最終的に全ての機能が動かなくなるらしい。他界した祖母も2ヶ月昏睡状態だったが、耳元で話しかけると、ピクッと手を動かして反応してくれてた。

お葬式後の父のお墓。落ち葉がいっぱいで、とても美しいなと思い、「綺麗だよ、また来るね♡」と言って帰った。キレイ好きな父が苦笑いしてるだろうなと思いながら。

娘に父の話を沢山する

娘が2歳の時に、父はこの世を去った。「じいじは病気」と聞かされ、半年以上会うこともできず、最後には「じいじはずっと眠って起きないんだよ」と伝えられた娘。

お葬式は何かを察知して、ギャン泣きしていた。どういうつもりか分からないけど、4歳になった今でもたまに「じいじは治るかなぁ」とポロッと口に出す。

今後じいじとの思い出もどれくらい残るか分からない。だから「じいじはあなたのことが大好きだったんだよ」と意識的に伝えるようにしている。

じいじは自分の部屋に娘の写真をたくさん貼っていた。娘はそれを見るたびに、とても嬉しそうにしていた。

今でもその写真は残してもらっていて、帰省するたびに「自分が愛されていた」と、写真を通して再認識してもらいたいと思っている。

痛みを忘れず、共にあること

ここまで書いてきたように、私は今でも後悔や痛みと共にあるけど、それらを完了させたり、無いものにするつもりもない。むしろ意識的に持ち続けようと思っている。

私もできる限りのことを一生懸命やったし、当時の私にはどうすることも出来なかったことも分かっている。それでも、どうにかしてあげたかった。

今後、大切な人に何かが起きた時に、同じような辛い思いをさせないために、痛みと共にあることを選択しようと思っている。大切な人を大切にするために。


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