嫁鬼と、夫と、コンパッション
夫は時々、私を「嫁鬼」と呼ぶ。
世の中に「鬼嫁」という言葉があるが、それはあくまで嫁(人)がベースになっている。でも、私は鬼がベースだから「嫁鬼」だと。
それぐらい怖い時があると言いたいみたいだ笑。
半分冗談で半分本気らしいが、今回は夫婦の間で起きる「難しさ」に焦点を当て、そこに私が学んでいるコンパッションがどう役に立ったか?について話していきたいと思う。
夫婦の間で起きること(夫の言い分編)
夫婦の間で起きること(妻の言い分編)
どうです?
まぁ、よくある夫婦間の悩みであり、難しさだと思う。
我が家は娘のイヤイヤ期が長かったので(2〜4歳前半ぐらい)、夫のイライラ期も長く、つまりは私のイライラ期も長くなっていた。
1年ぐらい「娘にイライラする夫に、私がイライラする」というコミュニケーションが続き、ある日私がブチギレた。
「いい加減にしてよ!毎日、同じことを言わせて。何も伝わってないじゃない!」
体がワナワナするぐらい怒りを覚えた。
夫は大声で怒られ、自分を否定されたように感じ、睨み返してきた。
口を開いたら怒りがどっと外に出て、言ってはいけないことを言ってしまうかもしれない、と感じて、私は口を閉ざした。
1週間以上、夫と口を聞かない日々が続いた。
夫婦の関係に、新たな切り口が必要だった
私はコンパッション・マインド・トレーニング※を提供しているが、だからといって完璧な人間でもないし、完璧なコミュニケーションができる訳でもない。
自他へのコンパッションの向け方に課題を感じてきたからこそ学んでいるし、コンパッションが多くの人にとって役にたつ学びだと実感しているからこそ、もっと広めたいと思っている。
夫婦のより良い関係性を築くためにも、夫にコンパッションを向けることが必要だと思いつつ、それが難しくなっていた。特に、子育てになると、感情的になっていた。
コンパッションを夫にどう向ければ良いかがわからない・・と、ヒントを探すために読んだ本が役に立った。
簡単にいうと、人はそれぞれ愛の表現方法が違う。以下の5つの表現方法があるが、人によって重要視している手段が違うため、悩んだり問題が起きるのだ。
あなたは、そしてあなたの大事な人は、どの表現を大切にしているだろうか?
愛情表現=コンパッション(思いやり)の表現と読み替えてほしい。
我が家の場合、夫が大事にしているのは、①肯定的な言葉なのだろう。私は、「大丈夫?」のような基本的な声掛けも苦手になっていた。
私の場合は、④サービス行為(娘への効果的な関わりと、そこからくる穏やかな暮らし)を大事にしていた。夫はそれが上手くできなかった。
1週間後の対話の内容
少し冷静になってから、対話の時間を設けた。
お互いに何に難しさを感じてるか、どんなニーズがあるかを話してみると、やはり夫のニーズは①肯定的な言葉にあることが分かった。
「余裕がなくて叱ってしまう時に、叱られると、煽られている感覚になるし、ネガティブな気持ちになる。発する言葉を考えてほしい」と夫。
私からは、「叱っている姿を見ると、心がバクバクして安心できない。『こうやってみたら?』と何度も伝えているのに、いつも同じ展開で残念な気持ちになる。ちゃんと修正して欲しい」と伝えた。
ちなみに、「娘を叱ってしまう夫を止めさせようとして、私が夫を叱る」という悪循環・パラドックスになっていた(苦笑)。分かっちゃいるけど、やめられなかった!これも人間の複雑さであり、面倒臭さだ。
私が意識するようになった夫へのコンパッション
今では、夫の娘に対する忍耐強い姿勢が見えた時は「パパ、ステキよ。頑張ってる」と伝えたり、「大変なのにパパ頑張ってくれてるね」と娘に伝えたりと、意識してコンパッションを送っている。
「夫にコンパッションの言葉を送るぞ!」と決意してからは、夫の努力もよく目に入ってくるようになった。
そして夫も様々な方法で、娘を叱らずに済むやり方にトライしている。
これを機に、我が家にスペース(余白、落ち着いた感じ)が生まれるようになった。
娘も、私たちの様子を見てか、肯定的な言葉をかけてくれることが増えたように思う。(夫が普段言ってくれる「いつも美味しいご飯をありがとう」の言葉を、娘も伝えてくれるようになった。娘は、私の料理はあまり食べないのだが・・笑)
コンパッションは動機である
コンパッションを育む上で、「知恵」「決意」「強さと勇気」が大切だと言われている。
今回の場合だと、「コミュニケーション(愛情表現)の違いがあるのは、人間としてしょうがないよね」という「知恵」があったからこそ、自分も相手もどちらか一方が悪い訳ではない、という前提に立ち返れて、少し冷静さを取り戻せた。
また「決意」「強さと勇気」と共にあったからこそ、自分の怒りを大切にしよう(≒自分を大切にする)と思えたし、この問題に本気で取り組もう、自分自身の未熟な部分にも向き合おうと思えたのだと思う。
そんなコンパッションからの動機が確かにあったからこそ、忍耐強く向き合えたのだ。
おまけ
このnoteを世に出していいか夫に確認したら、過去の嫁鬼伝説を教えてもらい、「あれぇ、そんなこともあった?」と笑ってしまった。夫からは「体調崩しやすい自覚はあるけど、それほど?」と聞かれたので、「あの旅行の時も、別の外出の時も・・」と説明すると、苦笑いが・・(認めたくない〜みたいな?笑)。
これからも色々向き合い、乗り越えて、こんな風に笑えるようになるのだと思う。