履歴書の空白が怖い僕たち
ふとTwitterを徘徊していたらこんな記事を見つけました。
「履歴書の空白」
私、この文字にドキッとしてしまったわけです。
まさに今の自分の立場が書いてある!と直感的に自分事として捉えて、記事を読み始めました。
履歴書って怖くないですか?
まず皆さんに聞きたいです。
「履歴書」って言葉をポジティブに感じます?それともネガティブに感じます?
私はどちらかと言えば、ネガティブな印象です。
履歴書って、ざっくりと言ってしまえば「これまでの人生の結果を目に見える形で表す書」ですよね。
そしてそれは自分を判断される、他と比較される材料として使用されることを前提に書かなければならない。
すると結果的に
社会が求める綺麗な履歴書を目指して、書くことを目指す。
それに伴う行動、人生を設計しなければいけない。。とまで考えてしまう私は考え過ぎでしょうか?(泣)
たしか履歴書を初めて書いたのは大学生で、アルバイトに応募する時だったと思います。
当時はまだ18歳だったので書けることなんて限られていました。しかし、それでも学歴や持っている資格を書かなければなりません。
当時は深く考えることはありませんでしたが、気づけばこの時から社会における比較と選別の中で生活をしていたんだと思います。
一人一人が複雑豊かな歩き方をする人生において、その道のりを一枚の紙に記すのはもともと無理な話です。
しかし、それでも採用側は多くの応募者を短い時間で効率よく判断する為に履歴書というフォーマットに頼ります。
ほとんどの会社で履歴書というモノサシを自社の採用基準として使うことが日常となっています。
採用を少しやっていたこともあるので、その気持ちは大きくわかります。
しかし、その履歴書にモヤモヤを感じてしまうようになったのは、私が自分の履歴書に空白を作ったからなのでしょうか?
履歴書に空白をつくる勇気
記事の中では、現代において「履歴書に空白をつくる不安」について著者の経験を踏まえて書いてありました。
現代において、経歴の空白は明確な説明を求められることがほとんどです。
しかし、一般的な履歴書の中では空白を説明するチャンス(項目)は用意されていません。
自ら※をつけて、どこか申し訳ないように空白を説明しなければなりません。
※が示すのは履歴書のフォーマットにはないイレギュラーなことなので、応募者にとって、それは大きな不安材料になるでしょう。
すると僕たちはそれを恐れて履歴書に空白を作れなくなる。。
そういう風に考えていると、「履歴書というフォーマットにキャリア形成が支配されている」という記事中のセリフがとても印象深く、心に残りました。
記事の中で筆者は、人生を考え直す為の空白をつくるのに必要なのは、「決死の覚悟がなくても空白を設けようと思える環境づくり」だと言っていました。
社会に人生の余白や空白を受容する柔らかな仕組みや価値観を根付かせることが大切ですね。
決死な覚悟を必要としない変化を!
最初から最後までこの記事には共感しかありませんでした。
それは私自身、大きな不安を抱えながら決死の覚悟で履歴書に「空白」を作った当方人だからでしょう。
(覚悟と言いつつも半分は体を壊したことが原因ですが…)
そんな自分の体験を言語化してもらい、なんだか少しすっきりした気分でした!
私の当時の覚悟までのストーリーがすべて無駄だとは思いません。
しかし、もう少し空白へのハードルは下がってもいいのかなと思います。
(少なくとも体を壊すのは間違っている!)
そんな変わるための覚悟のハードルを下げるヒントとなる発信を今後もしていきたいと思いますー!
ということで、
今日はこんな感じ!
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