結婚について。滑稽なことかもしれないけれど、今を真剣に考えることにしか意味はないと思っている
私は今年25歳になる。周りには結婚をする友達もいて、そうでない友達ともなんとなくそういった話が多くなる。
仲の良い友達らはみんな口をそろえて結婚をしたいという。家庭が欲しいと切実な声で訴えてくる。
聞くところによると、理由としては、気持ちの面でひとつ。お互いに絶対的に信頼でき、お互いがお互いの最優先であるという関係性でしか生まれない安心感がほしいということ。
現実的な面で一つ。一人で生きていくにはあまりにコストパフォーマンスが悪いため二人で生きていくほうがより経済的に確実に生き延びることができるということ。
私はというと、そういった友達の発言に力強く頷くことができず、むしろぴんとこないためキョトンとした顔をしてしまう部類である。
まず現実的な面で言えば、私はおそらく想像力が足りず、金が足りなくなるだとか足りなくなったらどう言うことが起きるだとかいうのがイメージできないのだと思う。
子供が3人欲しい、といった具体的なビジョンがあるのだとしたら必要な経費も計算ができるが、私にはそう言ったビジョンがなく、将来がずっともやもやしている。
霧がかかって数メートル先が見えないように、私も数年数十年先のことがまったく想像できない。今いる場所もそれなりに快適なので、焦ることもできなければ、前に進もうという意欲もあまり出てこない。
気持ちの面で言えば、自分と相手の間に絶対的な信頼関係やお互いがお互いの最優先であるという関係を持つことが私にとってどんな恩恵をもたらすのか正直よくわからないというものがある。
人と深くつながることは怖いものだ。自分の深層部分を預けるのは怖いものだ。私の深層部分は私が自分で守らなくてはならないな。そう思っている。
だから私は結婚をしたい、と友達と一緒に呟くことができない。
でもわかっている。いつか年を取って、一人で生きていくことに経済的に苦しくなるであろうことは。家族連れを見て悲しくなることもあるだろうし、恋人や配偶者がいなくて心細くなることもあるだろうことは。
だからと言ってじゃあ結婚相手を見つけようかとは思えないので、きっとこのまましんしんと歳を積み重ねて空っぽの自分の足跡を眺めることになるんだろうとなんとなく予想ができている。
それはできれば実現させたくない未来だけれども、特段避ける手段があるものでもないので、(結婚したいとは思っていないので)どうしたものかとふと考えてしまう。
たぶん私のようなことは何百人、何千人、何万人、いやもっとそれ以上、過去の女性が考えつくしてきたことであろうに、自分にとっての最適解が見出せぬ。
それはやっぱり私そのものの前例はないからなんだけれども、こうも自分もあたりまえのように悩んでしまうとちょっと滑稽で笑ってしまう。(もちろん真剣なのだけど)
そんな重く考えることでもないのに、と誰かの声がする。
それでも、常に、今を徹底的に考えることにしか意味はないと思っている。