夢の綻びを紐解くうちに 上
サキノさんの飛行機好きは、(父と違って)別に子供の頃からというわけではない。
いまは定年退職したが、父は小さい頃から飛行機好きで、仕事も航空関係に就いた。帰省すると幼い私をよく空港に連れて行ってくれたが、あいにく当時の私には打てども全く響かず、空港の飲食店で食べたみつ豆のことばかり覚えている。
夢の綻び
大きな転機は2016年、私がすっかり大人になってから……しかも完全に予想外の方向からやってきた。
その頃私は一次擬人化創作の作家さんをTwitterでフォローしはじめていた。一次擬人化は鉄道や船舶など器物なり、市町村や国など土地なり、各事物について作家さんが特に面白い/興味深い/魅力的/エモいと思った、いわば「トロのところ」がいっぱい見られるので楽しみながらさまざまなものの理解を深められておすすめです。
で、そのなかに旅客機を擬人化している方がいたのだった。
フォローしてツイートを眺めているとなんでも、ぱっと見どれも似たりよったりに見える飛行機にも、車のナンバーと同じように個体識別番号みたいなものがあって、その気になれば特定の機体の追っかけだってできるらしい。お写真いっぱい撮ってかわいい♥かわいい♥と呟いている。ほへ~すごいな~。
……という話をしていると、別ジャンルで以前からの付き合いだったフォロワーが「そういえば…」と思い出したように言った。
「数年前、国内某所でボーイング787の製造に携わっていた。大変なデスマーチだったから何年も姿すら見たくなかったけど、あの飛行機は今も元気にしてるんですかね」
御仁曰く、デスマが特にひどかったのが12号機、ANAに納入される機体だったという。
いいじゃん調べてみようじゃん! ANAに行った子含め、787は(バッテリー発煙とか油漏れくらいはあれど)大事故起こした子はいないみたいだし、きっと元気にしてるよ~。
自分は以前比較的ワールドワイドに開けたジャンルにいて海外の同年代の子達とTwitterで話すことも多かったため、Google翻訳を駆使して大意をとるのには慣れていた。首尾よく英語圏のサイトを見つけ、ボーイング787の12号機のことを調べてみると……、
https://www.planespotters.net/airframe/boeing-787-8-et-atl-ethiopian-airlines/eg9zw1
「つい3ヶ月前、エチオピア航空(アフリカの航空会社)に納入された」と出た。
Huh?(猫ミーム略)
私「本当に12号機で合ってます?」
御仁「いや12号機はANA行きで間違いなかったはずなんだけど…??」
それにしても、御仁が携わった日本での製造段階ではまだパーツ状態だったとはいえ、作ったのが数年前なら納入が3ヶ月前というのも変な話です。流石に旅客機でも完成までにそんな何年もかかるわけないし、もっと後に作られたはずの他のANAのボーイング787はとっくの昔にたくさん納入されていました。
気になったのは、エチオピア航空の上に書いてあるANAとトランスアエロ航空(ロシアの航空会社)の「ntu」。これは「Not taken up」で「非受領」の略です。
トランスアエロ航空については既に破綻して消滅している航空会社で、この発注も破綻の少し前のようなので「(一旦注文したものの)受け取れなかった」ではないかと考えられましたが、ANAは…「受け取らなかった」?
その後判明したのがこれ。
そうなんです、12号機を含むボーイング787型製造初期の複数の機体が、スペック不足(悪燃費)のために受領予定エアラインから受領を断られていた……というのが事の次第。しかも完成前にはもう断られてたらしい。現場じゃデスマして作ったのに!? 客に断られるくらいなんだからボーイングにも当然わかってたことのはずじゃない!?
……というのが、自分にとって飛行機に強く興味を持つきっかけでした。
当時まだ最新機種と言って差し支えなかった787、機種愛称「ドリームライナー」は実際革新的で高効率を謳った機種でしたが、よく見るとその誕生にはなにがしかの「夢の綻び」のようなものがありました。そして航空なんもわからんなりに、これはなんだろう……と思いながらそのほつれを摘んで芋づる式にほどいていったり、その後のボーイングのことを眺めているうち、航空ファンになっただけでなくなぜかいまでは
「ボーイングが何かやらかしたらサキノさんがTLで『御社ァ!』と叫ぶ」
という定評がついてしまったのです。本当になんでだよ。
テリブルティーンズ
話を戻して、私がほつれ目を手繰っていった順に話していこうと思う。
ボーイング787の低スペック初期ロット、飛行試験初号機から数えて約20機少々が「テリブルティーンズ」と呼ばれています(後で背景を説明しますが、受領拒否売れ残り勢に加えて飛行試験機達やちゃんと受領された子もこの中に含めることが多い)。
https://www.planespotters.net/aircraft/production/boeing-787-8
1号機から6号機は飛行試験機。うち1号機は試験後にセントレア空港に寄贈されました。
2・3号機がアメリカの航空博物館へ寄贈され、4号機はしばらくそのまま試験機をやり、5号機はスクラップ、6号機は紆余曲折あった(この頃はメキシコの政府専用機だった)ものの現在はタジキスタンの政府専用機として運用されています。
7号機から9号機は全日空受領機体(その後7・8号機はAirJapanに移籍)で、そのうち8号機が民間航空会社受領初号、「鯖」という愛称で人気者だったJA801Aです。7号機は製造順が先なのに受領は8号機より後になっていました。
10号機から19号機、22号機が受領拒否された機体群。
20・21号機は日本航空の受領機体ですが、どちらも日本航空の初受領機体ではありません。
12号機は断られているのに7・8・9号機はANAに受領されていますが、そのスペック不足って機体ごとまだらに発生するようなものだったんでしょうか。製造順と受領順が結構めちゃくちゃになっているのも、不可解といえば不可解です。
サキノさんはあまり察しの良いほうではなかったので「……いやちょっと待てよ、これってもしかして」と気づいたのはしばらく経ってからでした。
これ航空会社に受領されたやつが燃費いいとかマシなわけじゃなくて、1号機から数えて20機くらいぜんぶ燃費悪くて引取で揉めたけど、「(納入時期の都合や価格の割引かなんかで折衝し)妥協の上一部受け取られた」だけなんじゃない?
……検索の糸口さえ掴んでしまえば、古い情報が出てくるわ出てくるわ。
「夢の機種」の生まれの実際
ボーイング787 ドリームライナーは低燃費で取り回しが良いという「効率性」を売りにした機種で、もともと2008年の北京五輪にデビューが間に合うはずでした。
しかし低燃費実現のためや取り回しの良さを目指して機体そのものに先進性をかなり盛り込んだ機種だったこと、そして製造側でも超効率的製造を目指し従来のやり方から大きく変えたことが相まって、その開発は高い壁にぶち当たってしまいます。
開発開始の踏ん切りをつかせた大口発注会社(ローンチカスタマー)はANAだったのをご存知のかたもいるかもしれませんが、前述の北京五輪の件もあって生産初期分の多くはもともと中国の航空会社が押さえていました。しかし開発は遅れ北京五輪には間に合わなくなり、中国の航空会社はあとの製造分に振り替えることに。中国の航空会社が受け取るはずだった初期製造分はANAに回ってきました(件の12号機もこの枠)。しかし……
前述の問題から開発現場は大混乱。計画は遅れに遅れただけでなく、世界中の下請け会社から最終組み立ての工場まで届いたパーツをいざ寄せ集めてみたら、初号機ZA001は目標より10トン近く重くなってしまっていたのです。
重いということは燃費が悪いということで、このままの設計では航空会社に新型機のスペックとして謳っていた航続距離(給油無しで一度に飛んでいける距離)を大幅に下回ってしまい、予定されてたルートに使えません。重量超過は主に機体の根幹である骨組みのつくりからきていたので、飛行機の形になってしまった後では、これ以上軽くする改修も時間と金がかかりすぎて非現実的です。
この初号機は最初にボーイングのもとで飛行試験機として「旅客機としてのお墨付きをもらう試験」に供され、その後試験機材などを下ろした後は内装を整え座席を並べ、旅客化されてANAに納入されるはずでした。実際787のひとつ前にボーイングで新規開発された777型機は最初からわりとまともに仕上がっており、初号機も飛行試験に使われたあとは無事エアライン入りを果たしています。
でも記念すべき機種初号機とはいえ、めちゃくちゃ待たされた上に納入されるのが明らかにスペック不足・悪燃費の機体とかさすがに嫌ですよね。
だからANAは787初号機の受取りを断りました。
この初号機と、それに近いスペックで出来上がってしまった2・3号機についてボーイングは、「商業的価値がない」ことを認めています。初号機が今セントレアでああしてきれいに飾られているのは「エアラインからの引き合いがつきようもなかった」からでもあるんです。
さて787の3号機より下の製造分についてですが、初号機のあたりでゴタゴタが発生したなら問題は解決され……きりませんでした。残念ながら。
当初の(重い)設計のまま製造が進んでしまってたパーツが結構あったんでしょう、初号機よりはなんぼかマシなものの、航空各社がウッと思うような低スペックで完成してしまったできそこないの787達、これが前述のテリブルティーンズです。ボーイングは値引きするなり交渉しさえすれば受け取ってもらえるつもりでいた(だから製造現場はデスマする羽目になった)んじゃないかな……。
そして初期製造分の多くは中国の航空会社からANAに回ってきましたが、
こんなもの全部は受け取ってられない
とはいえローンチカスタマーなんだから他の航空会社に先駆けて導入、運用したい
というところの妥協点が
7・8・9号機だけ受け取ります
残りはいらないです、後の製造分に振り替えてください
だったんでしょう。
テリブルティーンズ後の製造分もだんだん軽くなりはしたものの、当初謳ってたスペックの実現は難航、最終的に目標重量を達成したのは90号機になってからだったといいます。
テリブルティーンズはさんざ値引きされてその後数社になんとか販売されましたが、787型機の頭数のさらなる充足を目的としていたらしいエチオピア航空では他の同型機運用に組み込んでうまく取り回している一方、他社だと買ったはいいが結局うまく使い道がつかずに、ろくすっぽ飛びもしないまま廃棄となったらしい機体(17号機)もあります。あんまりだぁ……。
飛行機、好きかも
twitterのタイムラインで「なんでこんなことになってんの!?」とか大暴れしながらこういった(ボーイングにとっての黒歴史と言ってもいい)ことをほじくり返しているうち、自分はやっと飛行機に親しみを感じるようになりました。人間と違って作られた通りに出来上がって生まれてくるのに、できそこないと言われて内定取り消しに遭うとか世知辛すぎない?
白状すると、小さい頃から飛行機に興味が持てなかったのは、ゆうゆうと空を舞うそれがどれも均一で完璧な高嶺の花に見えたからだったのだと今になって思います。
父のように航空関係の道に進んで父を喜ばせたいなという思いこそあれど、興味すら持てず、工学方面に進むには得意科目も全く不向きで「やっぱり自分は父のようにはなれない」という諦めもあって飛行機からは離れて全く別の道に進みました。
しかし大人になりいざ蓋を開けてみたらどうでしょう、飛行機は思ったより全然完璧ではないし、意外にも個性に溢れ、そして結構めちゃくちゃでままならないことや挫折や妥協が山とあり、そのギャップのせいでいまさら飛行機のことを「趣味で」好きになれたのでした。
そして件のできそこないの12号機については、一度も会ったことはなく、そして今後も出会える確率は非常に低い(※ごく稀に成田に飛んでこないこともない程度)というのに、私の最推し飛行機になりました。
12号機はやっと迎えてくれた向こうの航空会社で、第二次世界大戦時にアメリカ生まれながら航空義勇兵としてエチオピアに参じ、型落ち機を駆り最新機種のイタリア空軍相手に奮戦、戦後は航空学校やエチオピア航空の設立に携わった人物にちなんだ「ロビンソン大佐(Colonel Robinson)」号というかっこいい名前をつけてもらい、元気にやっているようです。
……というのがまず前段の話。
このまま「あの子も居場所が見つかってよかったよかった」で終わればよかったのですが、ある2件の事故を契機に事態は急転。
企業としてのボーイングの評判は現在に至るまで坂を転げ落ちるように悪化し続け、サキノさんは787に加えてもう1つの機種の誕生の背景を知って頭を抱えることになったのです。
それからずっとボーイングに対して「御社ァ!」と叫んでる。
後半に続く。