生まれ変わるアメリカと「風の時代」とは
あと18時間後には、歴史的に超重要な大統領選の結果が出るとは予想さえしていなかった昨日(11/6)の夕暮れ。Youtubeを聞き流しながら足のつま先めがけてストレッチしていた私の右手が突如、ペンとノートを探し出した。
シンクロ、デジャブ、引き寄せ。
そんな言葉で言い表せばいいのか。わたしが言いたかったことはこういうこと!! と画面の中の女性に頷きながら前のめりにメモを取り出していた。
加害者をつまみ出しても何も解決しない
言いたかった内容とは、その前日の11/5に投稿した「ドラッグをめぐる自立と依存」の記事である。こちらで、私が暮らすオレゴン州がドラッグに関する法案を全米に先がけて一歩も二歩も前進したがためにドラッグを題材にしたが、むしろ伝えたかったのは、それを取り巻く、社会、構造、人、意識、心の在り方だったから。
メモをした内容のテーマは”「風の時代の過ごし方」 今から慣れておきたい【5つのこと】"。
このうちの一つ、
「目の前に起こる"出来事"や "問題"より その背景となる "仕組み"や "集団"に意識を向ける」である。
例えば組織、集団の中で問題が起こると、その問題を起こした人のみが注目されがちである。つまり、加害者vs被害者、というお得意の対立構造だ。そこから解決策を探って行くのが常套手段だったが、これからは視野を一段、広げて、集団全体で”何が起こって”いるのかに注目する。そんな考え方がより重要になっていく、と。
画面越しの女性はこうも続けた。
集団から加害者だけをつまみ出したところで、再び、違う人が似たような問題を起こし、根本からの解決には繋がらない。だから、目を向けるのは問題の背景であり、全体の構造なのだ、と。
先日のドラッグの記事に話を戻せば、善か悪かの二元論構造だった今までは、ドラッグの使用者が罪に問われ、彼らを刑務所に入れたところで、本当にケアが必要な中毒者が減るわけでもなく、問題を解決できないどころか、ドラッグと健全に付き合っていた人たちの人生まで棒に振るうような二次被害をも引き起こしてきた。そこでオレゴン州の市民が今回の投票で選んだのが、ドラッグとともに生きる社会における、”自立”と”依存”の相互関係を許容しながら、誰もが幸せになれる方法なのだ。
ギャングの溜まり場をコミュニティのためのオープンスペースにするために
念のため、ドラッグが身近じゃない、という人にとっては、以下の例ならどうだろう。
いじめならクラス、学校全体、はたまた教育そのもの。
上司と部下のいざこざなら、部署、さらには会社としての改革、いやいや働き方そのもの、なのか。
夫婦の場合なら、それぞれの親との関係性や刷り込まれてきた家族観からの見直し、なのかもしれない。
ポートランドの例を取れば、こんな話がある。
元々は荒れ地だったその場所はギャングのたまり場となり、周辺住民から苦情が上がっていたが、誰も手立てがわからなかった。そこでその荒れ地と隣接する土地の持ち主が取った行為は、コミュニティのためのファームにし、オープンなスペースへと改良、開放することだった。
ギャングは自然と淘汰されていった。誰も寄り付きもしなかったその土地は、コミュニティにとって、自分たちの農作物を自給する公共の場となっただけではなく、お互いに心の拠り所のような場所へと生まれ変わったのだ。
もし、その土地の主がギャング達と直接対立するために塀を立てたり、警察を読んで追い出したりしていたら、ことの行方はどうなっていたか、現在のアメリカ、いや世界中の至る所で怒っている、大小様々な争いごとを見ていても、想像に容易い。
私たちの無意識が作り出す集団のあり方
もう一つ、興味深いことは「風の時代」とともによく象徴的に語られる「水瓶座の時代」。映し出すものは"集団性"である。
私たち一人ひとりが「集合的無意識の中の一人」「集団の中の一人」という感覚を持ちながら問題に接することで、誰かをつるし上げるようなシステムはもう終焉を迎えて行く。そんな希望的観測も大いに込めながら、私は解釈を広げていった。
この説に深く納得したのには、とてもシンプルな”宇宙理論”=「目の前の現実に起こっていることは自分の心が映し出したもの」を内包した考え方だったから。
一見、自分とは全く因果関係がないような現実だって、目の前に現れている時点で、何かしらの形で自分はその一端にあると認め、知る。そう捉えることで、他人事や対相手に原因を求めていた問題は、自分へのメッセージになり、内観や内省のきっかけにもなり得る、という考え。理想主義的とも言えなくはない。でも私たちは理想と現実が重なり合う瞬間を何度も体験してきているし、それを実現させているのも、自分の心の内に沿った日々の積み重ねなのだ。
さて。こんなに"ドラッグ"という言葉を連発しておいて今更だけど(笑)、私はドラッグをやらないし、タバコも吸わないし、パンデミック以降、自然とお酒もほとんど飲めなくなった。けれど、この考え方を当てはめるなら、そんな私でもドラッグをはじめとする中毒者のいる社会になんらかの形で関与しているし、だからそ、"自立"のための"寛大な依存"が構造として容認された社会が今回の選挙で現実化したことに、アメリカで投票権のない私でもちゃんと影響力があったと自負できる。
ストレッチをしていたヨガマットは完全にただのカーペットとなり、寝そべりながらメモを取る手は夢みたいな現実の可能性に乗って、軽くなった。
赤vs青を"統合"に。インナーピースの創造性
そして18時間後の翌朝、起き抜けにスマホからメッセージが届いた。新しい大統領決定の特大ニュースだ。
その晩、聞いたスピーチを全身全霊で信じる限り、"赤vs青"、"右vs左"という問題よりも、現在のアメリカができた"背景"や"構造"への改革へと挑む。"分離"から"統合"を目指すふたりがこの国の代表に選ばれた。何よりも、これからを象徴する大統領だけがひとり、突出するわけでもなく、副大統領と二人で一体のような姿に、私はこの国の過不足を"集合"として補うような未来を重ね合わせていた。
昨日走り書きしたメッセージを後押しするような現実である。
投票権があろうがなかろうが、肌の色が何色であろうが、女性であろうが、この巨大な国の片隅で、私は小さくて大きな一端として、見たい世界を作り出す。それが許されている。
世界が変わるために、私は自分への価値観や他者への接し方を、より優しく、寛容でオープンな方へと変えている。
補足:
風の時代って何? って人のために、個人的に面白いと思った記事をいくつか。
戦後、私たちは「物質的・経済的豊かさ」という価値観の中で生きてきたところがあると思うんですが、それが徐々に解体され、新しい価値観が支配的になっていく、その節目となるタイミングがちょうど、この時期なのかなと想像しています。
2020年末に水瓶座でグレートコンジャクション(木星と土星の合)が起きます。このグレートコンジャクションは20年に一度の割合で起こる現象です。そして、水瓶座でのグレコンを皮切りに、今後数百年は、グレートコンジャクションが風のエレメントでしか起こりません。これまで200年余り、主に地のエレメントでグレートコンジャクションが起こっていました。(直近ですと2000年に牡牛座でグレコンが起こりました)それが終了し、本格的に地の時代から風の時代へと移り変わっていくためです。
水瓶座的世界は、1人1人の個性や能力、人権が尊重される世界、国籍や年齢、性別、すべてを超えてみんな同じ人間であることを理解し、国境を越えて手を取り合う世界だと思います。人間である限り、みんな対等な存在であることを知る。コロナウイルスを前に、それがハッキリしましたね。ウイルスを前にした人間は、みんな同じ命です。偉いから罹らない保証はありません。