全ドラッグの”非犯罪化”成立! から考えた、「自立と依存」の真の意味
11/5現在、大統領選の結果は未だ切迫した状態が続いているが、州レベルの投票結果は即日、明らかになった。以前に書いた記事で触れたが、アメリカの選挙から「これは素晴らしい」と感じた注目すべき点は、州に裁量を任せた"直接[投票]民主制"が根強く残っていること。そのため、アメリカというひとつの国でも、州によっては全く違う国と感じざるを得ないほど、法律や文化が異なってくるのだ。その最たるひとつが今回取り上げる、マリファナをはじめとするドラッグへの見識や法制度である。はじめに断っておくと、これから書く話はドラッグか”善か悪”かの二元論ではない。ドラッグと共存する社会を選んだオレゴン州の地盤に横たわる、自由や自立、信頼や相互補助、はたまた心の在り方でもあったりするので、ゆったりとした気持ちで読み進めて欲しい。
ドラッグの所持は駐禁と同じレベルの"違反"?!
今回の選挙で、私が暮らすオレゴン州は全米に先駆けて”Psilocybin=シロシビン"、通称"マジックマッシュルーム"の治療合法化が決定した。この投票を実現化させた二人の心理療法士はこう力説する。
「シロシビン療法が安全で独自の効果を発揮することを示すエビデンスが増えている。この斬新なアプローチが、自殺、治療抵抗性のうつ病や不安、PTSD、薬物、アルコール、ニコチンへの依存症など、高額な費用のかかる疫病にも対処することがわかってきた。だからこそ、ここオレゴン州のメンタルヘルスの危機を緩和するのに役立つと考えているのです」
上記の法案と同時に、個人がヘロインやコカインなどのへヴィードラッグを"少量"所持することも”非犯罪”とみなされるようになった点。大きな変更点は、従来の "軽犯罪"から、最高罰金100ドル以下の"違反"と軽減され、もはや罪ではなくなったこと。*1ちなみにオレゴン州では1973年に全米初、個人のマリファナ栽培、所持、吸引を”非犯罪化”。2015年に完全合法化させた州。マリファナをはじめとするドラッグに関する体制は全米切ってのプログレッシブな取り組みをしている。
この軽減がどれほど革新的なものかを、もっとわかりやすく説明してみよう。例えば、今までドラッグ所持者は逮捕、”罪”を犯したと罰せられきたのが、今後は、駐禁と同程度の”ペナルティー”のみ。
”手錠に牢屋”。釈放されるには最低でも数千ドル、犯罪歴は一生つきまとってその後の人生に深い影響力を持つ。それが今回の法案の可決によって、”ちょっとキミ〜、それはやっちゃいけないよ〜。100ドル、払ってね"というやり取りへと変わり得るのだ。近い未来はそんな風に軽やかで柔軟な世界になっていることが想像される(風の時代への期待を込めて)。
わかりやすい例をもう一つ。
私が以前、駐禁を切られたとき、罰金は80ドルだった。だが、ここはアメリカ。いかなる時でも、自分の主義主張を通す”権利”と”自由”が与えられている。私は「駐禁ゾーンを示す黄線がかすれていて、わからなかった」と証拠写真と共にクレームをつけると、あっけなく免除された。ならばドラッグだって「え、これたまたまポケットに入ってたけど、私のじゃないよ」と斜め上を見ながら伝えてみたら、もしかしたら見逃される可能性だってなくはない。もちろん、嘘は良くないけれど、そんなことだってなくはないのがこれからの日常。
さて、きっと、ここまで読んで、疑問が湧いた人も少なくないと思う。どんな理由で、"罪"から"違反"へと緩和されたのか。誰にどんなメリットがあるのか、と。
無駄な逮捕をなくし、浮いたお金でやるべきこととは
この合法化によって、オレゴン州の規制薬物所持に対する有罪判決は約90%減少すると推定されている。この数字は、この法案が通った大きな後押しでもある。少量のドラッグ所持という(オレゴンの多くの人にとっては)小さな罪で刑務所にいる人の数を9割も削減できれば、その運営費は莫大に浮く。その浮いたお金を「もっと有効に使おう」というのがこの法案の主張するところである。
さらには、すでに合法化したことで利用者が格段に増え、課税率も微増が決まったマリファナ販売からの税収もある。それらを刑罰や取り締まりのために使うのではなく「重症な中毒患者の更生施設やカウンセリングにもっと投じて行くべきだ」というのが、何より重要で有効な策だと言っているのだ。
罰ではなくトリートメント。これってつまり、ムチの代わりに愛を与えよ、という方法に世界が動いているように見える。
そして至って理にかなっている。そう、個人的には思うが、どうだろう。
また、今回の法案が通ったことで、少量のドラッグ所持者が罰金の代わりに45日以内に中毒患者のリハビリ施設で健康診断を受けることも選択できる。それによって、彼らのドラッグ摂取は心身に害を来たすほどでもないし、中毒性もないことを証明するのだ。その上でなら、各人の"自由"と"自己責任"の下での摂取は「まあ、多めにみよう」とこの法案は代弁している。
そう、アメリカを語る上では欠かせない”自由”と”責任”。そして、ここからが本題であり、この法案を底辺で支える、人々、そして社会の意識の話になる。
”自立”のための”依存”という余白
”依存”ではなく、むしろ不安やストレスを解消するために摂取するドラッグは自分で自分をコントロールするためのツールであり、言うなれば”自立”を支える一要素である。
私の周囲ではこんな声も聞いた。
「日々の不安解消やリラックスのために摂ってきたドラッグで、刑務所に入れられて人生を台無しにさせられてきた人が多すぎるんだ。彼らは誰にも迷惑をかけていなかったし、むしろそのドラッグによって、自分をコントロールできていたのに、その罪は重すぎた。サプリやハーブで不安を緩和させているぼくたちとその方法が少し違うだけなのに」
またお金がある人は釈放されるがない人は勾留されたまま。所得格差はそのまま、その後の未来への格差にもつながる。
一方で、ドラッグなしではどうしようもなくなった時が”依存”。すなわち中毒患者となる。つまり、”自立”している人を無駄に逮捕するのではなく、”依存”してしまった人たちを更生させる場所をもっと充実させていくことこそ、そのドラッグに恩恵を受け、”自立”できている人たちが税金の仕組みを通してできる支援であり、ドラッグをめぐる環境や認識のボトムアップ、そして(マリファナへの)税金の健全なる循環を生む。
なぜこんなことをつらつらと考えていたかというと、本当の意味での”自立”について、ここ数ヶ月で、思いもよらず様々なシーンで語り、考える機会があったからだ。何もドラッグに限ったことではなく、それは親と子。働き方。ひいては生き方にも重なる話である。
私たちは人生のいろんなタイミングで”自立”を意識し、経験する。でもどんな時にも”自立”は”依存”と相関に在る。なぜなら、本当に困った時には誰か、もしくは何かに頼ってもいい。そんな心の支えの上に真の”自立”は成り立っているんじゃないか、と語りながら気づき、思い出したから。
「依存のない自立はただの孤立」
心理学者の故・河合隼雄先生は*2ある著書でそう記されている。
例えばドラッグの中毒患者が”依存”する状況から抜けたい、と思った時、頼れる人や組織がなかったら彼らは”孤立”していく一方だ。”依存”してしまった人を、真の意味での”自立”へ促すには、その下支えとしてまた別の”依存”があっていい。
今回のドラッグの法案でいうならば、その別の"依存"こそが更生施設やカウンセラーに当たる。健全な人をドラッグ所持というレッテルで無闇に逮捕し、罰するのではなく、頼りのない中毒者をケアしていく。そんな彼らを社会のエッジに押しやっていた今までのシステムから、自分が身を置きたい社会の真ん中にいつでも戻ることができ、迎え入れられるシステムへと。そのためには、法案とともに、人々の心の余白と許容がこれからますます欠かせなくなっていくと思う。
オレゴン州が今回、可決したこれらの法案は、私たち人間が”自由”に”自立”しながら生きる上で相互理解や相互補助という精神を、見事に体系化して行こうとしているのでは。そんな一抹の期待と希望を込めながら、未だ拮抗する大統領選の結果を待っている。
11/6追記:「薬物ごときで人生を台無しにさせられる」。その実例が痛いほど伝わってくるYou tubeを今朝、偶然にも見つけました。薬物の問題は人種差別とも大いに関係しているのです。
*1 アメリカでマリファナが合法化に至るまでの経緯や歴史、活動家たちの思いがわかるおすすめ本。マリファナから各州の歴史や性格まで浮かび上がる。
『真面目にマリファナの話をしよう』 文藝春秋 著・佐久間裕美子
*2「自立と依存」にヒントをもらった本。赤ちゃんの頃から子どもが親元を巣立って行くまで、親の心構えなどをQ&A形式で語る。誰もが子どもだった私たち。親でなくても読むに値する、と思う名著。
Q &A こころの子育て【誕生から思春期までの48章】 朝日新聞社 著・河合隼雄