子育てコーチングへの想い②
母と私の関係
私が子どもとの関係を語る上で、母と私との関係は外せないと思います。
母と私との関係を語る前に、先に伝えたい事は、母が悪い訳でもなく、子どもの頃の私が悪かったのでもなく、ただ親子のコミュニケーションのすれ違いだったんだな…と、今では分かる、という事。
母はたくさん私を愛してくれました。
たくさんの愛情を与えてくれました。
ただ、その母の愛情が私に伝わる時に、
私の受け取り方が上手くなかった事。
母の伝え方が上手くなかった事。そこだけが問題だったのだと思っています。
母は、本当に辛抱強く、母と気質の違う私を愛し続けてくれました。
その事実は変わりません。
母と私の関係が、私の子育てに影響したもの。
子どもの頃、私は母からいつも「疑われている」そう感じていました。
母は私を「最大限愛している」そう感じながら、日々過ごしていたと思います。
子どもの頃は、いつも何をしても「母に見つかる」と思っていて、まるで母に監視されて管理されている感覚で、不自由さばかりでした。
だから、できるだけ何をするにも母に見つからないように、母の目から逃れるように過ごす子ども時代。
不用意に母に見つかると、不意に母から叱られたり、母から褒められたり、自分のペースの「凪」ではなく、突然の「荒波」が訪れるかのようでした。
私自身はすごくマイペースな子で、自分の好きな事は思いっきり集中する。自分の嫌いな事はやらない。嫌いな食べ物も頑として食べない。親としては育てにくい子だったでしょう。
育てにくい子だからこそ、『愛情をもって見守って、行動が世間から逸脱しないように、子どもをしっかりと見て、おかしな行動があったら指摘してやめさせるように教育する』そう母は思っていたかもしれません。
だから、私も同じように子どもを愛する時に、
『子どもを愛を持って見守って、おかしな行動は指摘してやめさせる。もっと引き伸ばしたい行動は少し圧を掛けてでもやらせると、この子の将来にとって良いだろう』
そのように思って、子どもに関わりました。
しかし、そのように関われば関わる程、我が子達は私の目から逃げようとして、学校の話はしなくなり、私と目が合うと「え?ママ、私何かした?」と、叱られる準備をするのでした。
親に共通する事
このように読んできて、私の母がした事。
私が子ども達にした事。
違和感を感じられますか?
きっと多くの方が、何かしらのチクリっとしたものを感じながらも、
「でもこれって、普通の親じゃない?」そう思われるのではないかと、想像しながら書いています。
親は、子どもを愛するが故に、見守ります。指摘もします。ダメな事は叱ります。
それは何故か?
子どもを「愛している」からこそです。
だけど子どもは、その親からの愛を「疑われている」そう受け止めるのです。
ここが、親子のコミュニケーションミス、コミュニケーションの行き違いなんですよね。
私はコミュニケーションミスがあるだなんて思いもせずに、
「親が心配してこんなにも見守って言葉をかけているのに、学校の事すら話さないだなんて、子どもの怠慢」とばかりに、叱ってでも、怒ってでも話をさせようとしました。
それは子どもからしてみれば、「尋問」でしかなくて、取り調べのように厳しく嫌な時間だったようでした。
またこのお話、苦しいですが続けさせて下さい。
次は、鬼のような母となった、子どもを追い詰めたピアノのコンクールを受ける時代のお話し進もうと思います。