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子育てコーチングへの想い①

子育てコーチングのきっかけ

そもそもは、すごくゆるく楽しく過ごす事が好きな母親だったはずでした。
2歳差の女の子2人。
仲良くしている時間は、私は自分の趣味に時間を使って、
部屋の中をオモチャだらけにされても、笑っていられる時もある、厳しい親ではなかったはずなんです。

それが、長女がピアノを本気になり、コンクールを受けたい!と言い出した事から、圧のある酷い母親へとなったのでした。
それから、長女が病んでしまう!そういう危機感を感じる事件があり、何かを学んででも、この子の本来の輝きを取り戻させないと、私が親として後悔する。
そう感じた事が大きなきっかけでした。

それがどのような事件だったのか、それは…

どんなに酷い母親だったのか…

長女が小学3年生になって、
「ママ、私他の誰にもピアノは負けたくないの。」
と言い出してから、音大卒の私が厳しい親になったのでした。

ちょっとピアノのコンクールを想像してみてください。
小学3年生が、好きに楽しく弾いた演奏が、
大人のお眼鏡に叶うのかどうか?
答えは…「否」ですよね。
大人に評価されるには、大人に好まれる演奏をしないとならない。
となると、大人がそれを教え込まないとならない訳です。
そこが、私が鬼のような母親になったキッカケでした。

5時からピアノの練習となれば、
 「ほら!5時よ!」
5時にピアノに向き合わない時には、
 「毎日ママに5時って言わせないの!」と叱る。
叱ってダメならば、怒る、怒鳴る、怒鳴り続ける…

そんな怒鳴り続ける日々を続けて、もう怒鳴る事にも疲れ果てたのでした。
半年から1年、怒鳴り続けたと思います…
 「今日は怒るのをやめよう」
そう思って、小学校から帰ってきた娘たちを迎えた、その日を今でも忘れられません。

 「ただいま~」の声に、「おかえり」が出ないのです。
あまりに毎日怒って、怒鳴ってコミュニケーションを取っていただけに、
怒らない!を決めたら、声が一瞬出なかったのです。
どれだけ毎日、臨戦態勢で怒りの準備をして、子ども達を迎えていたのか。

そして5時になり、長女はピアノの練習をいつものように始めません。
 「ちょっとこっちにおいで」
声を絞り出して呼び寄せると、その時の長女の目が、
死んだ魚の目』だったのです。
小説で読んだ事はあっても、本当に死んだ魚の目を見た事がなかったというのに、長女の目でそれを体感したのでした。

「あぁ、この目は私が作ってしまった!」
一瞬で悟ったのでした。
なんて可哀想な事をしてしまったんだろう。
どうして、今の今まで私はこんなになるまで気付かなかったんだろう。
これじゃ、この子が精神的に病んでしまっても、おかしくないんじゃないか…
さまざまな想いがドドドっと押し寄せました。

これが、私がコーチングを学んでまで、親子のコミュニケーションを変えないといけない!と思ったキッカケなのでした。

あのキラキラな目で「他の誰にも負けたくないの!」を言った、長女の目を取り戻さないと、私は母親として絶対に後悔する。
そう深く今でも刻まれている記憶です。

私の育った環境

こんな厳しい親になったのは、私自身の育った環境にも原因があったように思います。

私の母は、厳しい母でした。
そしてまた、その母も「あなた達がしっかりやってくれないと、お母さんがお父さんに怒られるのよ!」と言った事が度々ありました。

母も、厳しい母になる理由があって、
子どもである私を守る理由があって、厳しくしていたのでした。
ただ、そこは子どもなだけに、そこに母の愛情があるとも気づかず、
厳しい母の言いなりになりながらの子ども時代。

だから「子どもを大人の言いなりにしてでも、ピアノの演奏を大人の喜ぶ演奏にさせなければ!」と思った時に、
嫌だったはずの、厳しい母と同じような…
更にきっと、子ども時代に見た母親をイメージしただけに、デフォルメしてしまった、本来の母の厳しさよりも、もっと厳しい母親像を娘たちに見せていたように思います。

書いていても、少し胸が苦しくなりますね…
子育てコーチングへの想いはまた、書き続けさせて下さい。
最後までお読みくださって、ありがとうございます。


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