フランス映画「最強のふたり」感想
映画「最強のふたり」という最高の人生を過ごすふたりの物語を見ました。
約2時間の映画ですが、時間の流れを感じさせないほどあっという間に見終わってしまいます。
ふたりの視点からみる人生観を感じられる人生系映画です。
では、簡単なあらすじから、映画の感想を話していきます。
「最強のふたり」のあらすじ
不慮の事故により車椅子の生活を送る大富豪のフィリップ。世話係の面接にやってきた移民の若者ドリスに興味をひかれた彼は、周囲の心配をよそに、看護の経験どころかまともな職にすら就いたことのないドリスを採用する。国籍も立場も年齢も異なる2人だったが、ぶつかり合いながらも心を通わせてゆく実話を元にした物語。
「最強のふたり」見どころは主演二人の演技!
神経質な大富豪と、貧困層の粗野な使用人というアンバランス極まりない2人が送る共同生活が見ものです。
ドリスは、仕事においては乱暴で褒められたものではありませんでしたが、フィリップはとてもドリスのことを気に入ります。
それは、ドリスがフィリップのことを介護対象としてではなく、一人の対等な人間として扱ったからでした。
下手な同情・哀れみなどが一切なく、時にブラックなジョークも交わしながら、次第にふたりの間には笑顔が絶えなくなって行きます。
特に、互いを尊敬・尊重し合う関係性に変化していく道のりで起こる困難やトラブルに、人間同士の心でぶつかりあって解決し、仲を深めていく姿には感涙必至です。
中でも、他の人には話せないことを徐々に打ち明けるように語り合うシーンは、この世のどんな絶景よりも美しいと思いました。
人のことを思いやる上での、形式的なおべっかや、自己陶酔型の親切は一切なく、ありのままの態度や感情でぶつかりあうふたり。
一見、どちらも自分勝手なように思えるかもしれませんが、作中では細かく語られていない過去のことに想いを馳せると、徐々に感情移入ができるようになります。
ふたりが日々を共に過ごすことでわかりあい、慈しみあう関係になることで、本作を観る私たちにも、交わされる言葉の裏に潜む繊細な気持ちがひしひしと感じられるようになるのです。
しかも、主演ふたりの演技力がすさまじい!
本作でセザール最優秀男優賞を獲得したドリス役のオマール・シーの演技はいわずもがな、首から下が動かせないため、表情や声ですべてを表現するフィリップ役のフランソワ・クリュゼもまた素晴らしい演技なのです。
障がい者の人権や、人種差別、貧困層にある移民など、本作にはナイーブなテーマがふんだんに盛り込まれています。
そんな本作を深刻な映画ではなく、あくまでコメディやヒューマンドラマとして描き切るにあたっては、ふたりの繊細な心を表現する演技力なしには成し遂げられなかったことだと思います。
まさに”最強のふたり”だと言えます。
避けようのない現実が横たわるそばで、軽妙なユーモアを乗せて語り合い、お互いを成長させていくふたりの姿が必見なのです。
日本で、いや世界で最も観られたフランス映画
普段あまりフランス映画を観ない人でも、この『最強のふたり』は知っている!という人は多いのではないでしょうか?日本で公開されたフランス映画の中で歴代1位の観客動員数を記録した作品で、公開から9年経った今もトップの座を守り続けています。日本とのゆかりは深く、2011年11月のフランス公開に先駆けて、同年10月に開催された第24回東京国際映画祭にて初上映され、最高賞にあたる東京サクラグランプリに輝き、主演の2人も最優秀男優賞をダブル受賞しました。その後、本国では映画史上2位の観客動員数を記録し、フランスのセザール賞やアメリカのアカデミー賞をはじめ、世界各国で高く評価され、大ヒット映画『アメリ』を抜いて、「国外で最も観られたフランス映画」の記録も更新した大ヒット作です。
「最強のふたり」感想
私の率直な感想をこれからお伝えします。
・ドリスとフィリップのふたりを繋いだ無礼講
ある日、美術館で絵の鑑賞と購入を考えていた時に、ドリスはフィリップにチョコをよこせと言われましたが、
「嫌だ。これは健常者用だ。」
というブラックジョークを言ったところは笑えました。
しかし、このジョークを言ったときは1ヶ月間の試用期間であり、ふたりの出会いからあまり時間が経っていない状況でした。
出会ってから短い期間でなおかつ、年齢も違えば人種も違うふたりの距離感がある中での、ジョークです。
こんなこと、今の私ではできませんし、やろうという気が起きません。
よくも知らない他人に対してジョークを言って相手の機嫌を悪くしてしまったらどうしようとか考えてしまいますから。
ビビっちゃいますもん。悪く言うと、内向的ですよ。
でも、ドリスは違いました。
フィリップの体が不自由である状況を知っていてなおかつ、容赦なくブラックジョークを言うんです。
多分、「あえて」言っているのでしょうね。
こういった具合にドリスは少し自分勝手で、言葉や行動が乱暴ですが、この無礼さがフィリップには刺激的だったんだろうと思います。
そんなドリスの影響か、フィリップもドリスにブラックジョークを割と言っています。
ブラックジョークという無礼講をきっかけに、仲が深まっているようにも感じました。
・ドリスの無礼講から広がる笑顔
ドリスと出会う前のフィリップ、世話人、養子の娘は少し堅苦しいような感じがありました。
それが、ドリスという破天荒で少々乱暴で常識外れな存在が来たことで、だんだんと笑顔が増えていくような感じがします。
フィリップの世話人は基本的には敬語であったり、丁寧な言葉で話しますが、ドリスはフィリップであろうと、世話人であろうと容赦なくタメ語であったり、乱暴な言葉を使います。
ただ、相手にマウントをとるような、自分を棚に上げて話すのではなく、どんな人に対してもフラットな横の関係を作るような、ラフな話し方なのが好印象になったのだと思います。
ドリスのような誰に対しても優しく、明るい人が近くにいたら、毎日が笑顔でいられそうです。
・介護が必要な人と見られる辛さを感じた
ドリスが家庭の事情でフィリップの担当を辞めることになり、フィリップには新しい介護担当者が何人もつきますが、全員が全員フィリップのことを1人の男としてみるのではなく、介護が必要な人と見ます。
実際、私がこの仕事をやったとして、フィリップのことを1人の人と見れるかと言われれば、今の私は無理だと思います。
だから、作中でフィリップのことを介護が必要な人と見てしまうのは、当然のことだと思います。
ただ、そのように見られ、対応されるフィリップ目線から見ると、いい気分ではありません。
介護をされていても、常に介護が必要な人扱いで、みんなやけに慎重です。
普通の人で例えるなら、不愛想で、やけに冷たく対応してくる人でしょうか?
まあ、そんな人とは友達にもなれませんし、話していてつまらないですよね。
フィリップもドリス以外の介護人にそのような感じを覚え、もしくはそれ以上の嫌悪感を感じたのではないかな。
介護が必要だからと言って、フィリップは一人の人であり、普通なんだと。
身体が動かないからと言って、差別的な目を向けてしまう私たち健常者はドリスのように、誰であっても一人の人として見る力や考え方が必要なんでしょうかね。
考え方や見方はすぐには変えることは難しいです。
この映画を機に少しずつ変えていければなと思いました。
・重たいテーマの作品を小気味よいユーモアで
本作は実話に基づく作品で、エンドクレジットに現在の実在の二人が山の上から夕日を眺めるカットが18秒ほどインサートされる。アブデル(本作ではドリス)が火をつけた煙草を美味そうに吸うフィリップ、言葉こそ交わさず、互いに触れずともしないシーンだが、本作を観た後ならいろんなものを十分に察するに余りある。
この十数秒の二人の佇まいに、よりリアルな生きざまを加えてくれるのが、本作のコミカルな描写だ。このような重たいテーマの作品を小気味よいユーモアで描くような作品は、近年では珍しいと思う。
難しい資格や飾った言葉より、心を許し合える人間がいることが、どれだけ生きる励みになるのか、そんな簡単なことを再認識させてくれる映画でした。派手さも目新しさもあまりありませんが、全く生きる世界の違う二人の男が互いを認め変化していく様を丁寧に描いた良質なヒューマン・コメディーです。
今回は以上です。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます。
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