白血病患者の全人工股関節置換術/術後9日目の同情するなら金をくれ。
リハビリの甲斐あって股関節はいい感じに可動域が出てきて痛みも軽減されたものの、今度は膝にピキっと痛みが出始めました。
これには理学療法士さんも困ったな…といった表情で『ちょっと、歩かせすぎちゃいましたね』と。
いえいえ、私の身体が悪いんですよ悔やまないで下さいと思いながらも、完全に壊れる前にストップをかけられたことをまずは良かったと思っています。これからのリハビリでは歩行よりも、まず膝周りの筋肉強化から始めましょうかということになりました。
あちらが立てばこちらが立たず…という感じでしょうか、厄介な身体なもんで一足飛びにはいきませんが軌道修正を繰り返しながら前進したいと思います。
ということで今日はリハビリを頑張ったこと以外には特筆することはないので、マダムとの会話の中で感じたことを綴りたいと思います。
人に優しくするのは自分のため
こう言うとなんだか冷たいようにも感じられますが、長期入院経験の多い私は病棟での『わたし』という存在が興味関心の対象になりやすいことを理解しているつもりです。廊下を歩いているだけでマダム達から向けられる好奇の目。隙を見せれば話しかけられてしまうので、笑顔で挨拶だけはして、出来るだけ早歩きで敢えて目を合わせないようにすることもあります。捕まってしまったら最後、そこから始まる話の流れが安易に想像出来るからです。
それでもこちらの意に反して呼び止められてしまうこともあり、興味津々で矢継ぎ早に繰り出される質問は病歴から始まって、年齢、学歴、家族構成や仕事や結婚、出産、子供の有無まで。
娯楽の少ない病院では、『わたし』という存在がエンタメとして消費されてしまうわけです。
以前もそのことについて怒りのnoteを書いたことを覚えています。
私が病気であることで、お母さんが、お父さんが、家族が、恋人が、友達が『かわいそう』、『若いのにかわいそう』私の肩や腕をさすりながら時には涙まで流して発せられるその純粋な言葉に傷付いてきました。
私が生きていることで周囲が『かわいそう』なのであれば、死んだ方が良いってことなのか……?と思ったこともありました。
『かわいそう』と言われた回数だけポイントやお金がもらえるなら、私はきっと今頃大金持ちになっていることでしょう。
『同情するなら金をくれ!』という家なき子の言葉は、本当に名台詞だなぁと思います。
お気持ちだけで飯が食えるならなんぼでも耐えられるものの、腹の足しにもならない同情や憐れみに心を抉られた挙句に『若いから大丈夫よ』という、なんの根拠もない励ましだけでその場を丸く収めたように見せかけられて、結局は自身の努力で補填するしかないのですから。
とはいえ年々私も精神的には丸くなっている(はず)ので今はだいぶ落ち着いてそんな言葉にたいしても『本当に、親不孝者ですよねー』なんて笑顔で返せるようになりました。
言葉の鋭さに鈍感になってしまったマダム達に優しく接するのは、自分が病棟という閉鎖された中で生きやすくする為で、それ以上でも以下でもありません。人に優しくするのは優しくして貰う為で、私は優しくされたいからこそ人に優しくすることを心がけているのです。
もちろん、あまりに無礼な人にはこちらも容赦なく反撃させて頂くこともあります🤗
情けは人の為ならず、そう思えばこそ笑顔で元気よく、丁寧に人に接しようと思えるのです。
神様と王子様
マダム達の中でエンタメとして消費される『わたし』には神様と王子様が登場します。
簡単に言えば、母と主人。
リアルな世界では普通に喧嘩だってするし、そこら辺の家族や夫婦となんら変わりはないのだけれど、『わたし』更に言うと『病人のわたし』の世話をしている母は神様で、『病人のわたし』と結婚した主人は王子様のようになるわけです。
『お母さん泣いたでしょう?』『病気って分かってて結婚してくれたの?そう、ご主人優しい人ね。お義父さん、お義母さんも優しい方ね』
悪意や他意がないのを頭では理解しています。母は私の見ていない所で人知れず泣いたのかもしれないですし、主人は間違いなく優しいですし、義両親もとても優しくてお守りを頂いたり、恵まれていることに一切異論はありません。
でも、この言葉達の裏にはどういう意味が隠されているんだろうかと考えたりします。
『ダメじゃない、丈夫な身体でちゃんと働いて親孝行しないと』『わたしだったらそんな嫁は貰わないけど、寛容な義両親に恵まれてラッキーね』
言葉以上の意味がマダム達の中にあるのかは分かりませんし、こんな脳内変換をしてしまう私は捻くれ者なのかもしれません。
何れにしても、良い母、良い主人、良い義両親、更には良い友、良い仲間まで私にいることは確かです。
でもそれは私が病気だから良いということでもなければ、私が病気だから優しいということでも決してありません。
私たちが互いに努力をして時にはぶつかり、時には距離を取り、幾度となく話し合い、思いやりを持って慈しみ合った結果だと思っています。
そしてそれは『わたし』にだけ特別に起きているわけではなく、どの家庭にも、どの家族にも、どの夫婦にも当たり前のように起きていることだと思うのです。
なんで私がって思ったでしょ?
これもよく言われる言葉です。
若いから特になんで私が…って思ったでしょ?
まぁ、正直に言って大病をすれば誰だって『なんで私が』って1回は思うんじゃないでしょうか。誰だって生まれてきた以上は必ず死ぬわけですが、普段は意識しないだけで誰にでも毎日死ぬリスクはあるのです。私は人より早めに真正面からそのリスクと向き合い続けなければならなくなっただけで、これもまた生きている以上は特別なことではないように思います。
私も人並みに『なんで私が?』とは思いましたが、約10年も病人をしていると『私で良かった』と思うことの方が増えてきました。
これだけ辛い治療、痛い検査、嫌でも死と向き合い続ける恐怖、身をもって分かっているからこそこんな想いは私の大切な人の誰にもして欲しくないと思うのです。
この先、私の大切な人達に辛い病が待ち受けているとするならば、それはもう私が引き取るからやめて欲しいと思うぐらいには『やるなら、とことん私にだけ起こればいい』それぐらいの諦めと度胸は持ち合わせているつもりです。
寧ろ、大事な人に何かが起こる方がきっと私は耐えられないだろうと思うのです。
もちろん良い人もいます!
色々なことをマダム達には言われますが、もちろん素敵な方もいます!思いがけずちゃんと心の支えになる言葉を慎重に選んで下さる方もいて、よくよく話を伺うと同じように傷ついてきたのだなぁと思うのです。
人生は長さではなく豊かさが大事なのだと感じさせられます。
当たり前だけど1番難しい『自分がされて嫌なことを人にしない』ということを、きちんと実践されているマダムに出会うと途端に心が洗われたような気がして、入院生活の嫌なことがスっと消えていくのを感じます。
たった1人でも、入院期間中にそういう素敵な方と出会えた時はこういう歳の重ね方が出来るように私も頑張ろうと思えるのです。
今回の入院でも、素敵なマダムに出会うことが出来ました。その方は明日、退院されてしまうのですが病院での出会いは一期一会です。
病院での再会は良いことではないので、寂しいですがもう二度と会えないことが理想です。
どうかいつまでもお元気で、幸せでいて欲しいと心から祈ります。
と、今日はここまでにします!
いやぁ、今日もまた心身ともに沢山動かしたなぁと思います😌
今日は眠れるだろうか……眠れたらいいな。
皆さんどうか良い夢を✨
最後まで読んで下さりありがとうございます!
おやすみなさい😌🤍
髙道屋 沙姫