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Diary|8月前半




◇イングリッシュマフィンと朝

最近きゅうりが好きだ。
子供の頃は、あんまり味がしない気がして、好んで食べることのない野菜だったのに、今年になってきゅうりの美味しさに目覚めた。
特にハマっているのはパンに挟んであるきゅうり。
ハムサンドにしてもたまごサンドにしても、あいだにスライスしたきゅうりが挟んであるだけで、シャキシャキとして瑞々しく、どこか潔い気持ちにさせてくれる。

先日スーパーでイングリッシュマフィン(1袋に4個入っている)を買い、冷凍して、前の日の晩に冷凍庫から出しておき、翌朝トースターで焼いて食べている。あいだにレタスや、きゅうりやハム、焼いた卵なども挟む。このあいだ作って美味しかったのは、シンプルなきゅうりとハムだけのサンドだけれど、粒マスタードとマヨネーズを混ぜたものをあいだに塗ったもの。爽やかなアクセントときゅうりのシャキシャキ感がたまらぬ。

夏だから、というのもあり、BOSSの割るだけでラテが作れる濃縮コーヒーを買い、豆乳で割ってアイスラテを飲んでいる。最近の朝食はアイスラテとイングリッシュマフィンが多い。朝食の時間がわたしはとても好き。まだ日陰になっている部屋に、ほのかな水色のやさしい空気が揺蕩っている。家の近くに川があって、せせらぎの音も聞こえる。カーテンを開き、木の緑が風に揺れているのを眺める。
この緑が見れるのももうしばらくかと思う。秋になれば木の葉になり、冬には枝になる。今をしっかり捕えて、そしてしっかり手放そうと思う。きっと、手放すからこそ今は今なのだと思う、どんなときも。

朝は心地いい。ことさらに夏の朝は。
朝の清々しい空気を、穏やかな気持ちで感じ取れるわたしでいたい。



◇10月に向けて

10月は、好きな歌手である家入レオのライブに行く。
わたしは親しみを込めて、レオちゃん、と呼んでいる。
そして10月は、わたしの誕生月でもある。

レオちゃんの言葉が好き。昔やっていたブログも、GINZAで連載しているエッセイも、ずっと読んできて、共鳴する部分とかがあって。
もちろん同じではないし、違う経験をしている。でもその奥に、その向こうに、わたしはわたしを見ているような気がすることがあるし、実際にわたしはわたしを見ようとしている。レオちゃんの生き方や心の機微を、言葉を通して、歌を通して、ライブを通して知るたびに、わたしはもっと自分の人生と向き合おうと思うことができて、それが生きる希望になる。
10月になったらわたしは24歳になる。わたしはちょっと生き急いでいて、今でももう自分が24歳であるみたいな気がしている。23歳から24歳になることは、薄い紙を1枚重ねるようなことで、それ自体に大きな意味はない。それでもその薄さや手触りみたいなものを、確かめるのと確かめないのとでは、何かがすこし違う、と思う。
何が違うかはわからない。だけどきっと、何かが違っていて、その違いの積み重ねがわたしをわたしたらしめてくれる気がする。
だから自分を見失ったり、何がしたいのかわからなくなったり、不本意な現実ばかりがやってきても、そこからわたしはより一層、自分らしさを見つけたい。
それと24歳の目標は「自分らしさを怖がらない」ことにしたい。今のところ。



◇本を買いたい欲再来

この1か月ほどで、本を3冊買った。
本にかけるお金を削り、最近は図書館ばかり利用していたけれど、「自分の心と向き合いたい」と思うことが最近増えたのもあって、そういう関係の本を2冊と、小説を1冊買った。

東畑開人さんの本は、読みやすい文章で、心のでこぼこに添うような形で、歪な心にすんと落ちた。自分がどうしたいのかわからないときほど、読み直したい本だと思う。

心の中に複数の声があることを許す。ああでもないこうでもないと時間をかけて考えることを続ける。それが複雑な現実を複雑に受け止めることを可能にしてくれます。

複雑な現実を複雑に受け止める__それが自分を愛するためへのまず第一歩だという気がした。
わたしは自分が愛着障害だという気がしていて、常に人の顔色が気になったり、すこしやさしくされると相手に精神的に寄りかかろうとしてしまったり、自分にとって嫌な相手であっても嫌だと感じることに罪悪感があったりなどする。そういったことを克服したい。愛着障害の本を読んでいると、当てはまることが沢山ある。自分を客観視することがとても重要だと思った。

千早茜さんの『ひきなみ』は7月に文庫化されたもののカバーデザインに惹かれて買った。デザインが好きな本を手に入れるとそれだけで気分が上がる。千早茜さんの文章も好きなので味わいつつ読んでいる最中。InstagramやXで、気になった本の投稿はブックマークすることにしている。最近、気になる本がどんどん増える。すこしずつ買い集めるのが楽しみ。
この秋に読みたいと思っているのは江國香織さんの『神様のボート』



◇秋服についての構想

季節も徐々に秋へ。
去年服を沢山処分したので、今年は秋服がすくなく、新たに買い揃えたい。
最近着たいなと思うのは、きれいめでありつつすこし甘さのある、可愛いに寄ったテイストの服。ブランドでいうとDISCOATとか。
着回しのできるブラウスとカーディガンが欲しい。それからカジュアルすぎないスウェット。厚手の生地のスカートかパンツ。カバンも新調したい。
だけど適当に見繕うのではなく、本当に自分が気に入ったものだけを買いたい。





◇セルフラブと無音

どんな出来事が起こるにせよ最終的に決断を下すのは自分。
自分の力ではどうしようもないことがあるとしても、よっぽどのことでないかぎり必ず逃げ道があって、わたしは逃げることも、進むことも、立ち止まることもできる。状況が変わるのを待つこともできるし、見切りをつけて先へ向かうことも、進む道を変えることも。
けれどもそれは、誰かわたし以外の人間が決められるようなことではないし、決めさせてはならないと思う。
自分にまつわることを自分で決めるというのは、自分を愛すること。
セルフラブというのは迷うことの連続だけれど、どれだけ時間をかけてもいい、与えられた人生という時間を最大限に使って、日々自分が自分を愛せる方向へ向かおうとすることは、とても贅沢なことじゃないかとふと思う。

最近、意識して無音の時間を設けることにした。
それはたとえば皿洗いをするとき。
何かモヤモヤした気持ちがあると、わたしは音楽やポッドキャストやラジオなどで、その気持ちを解消できるものを取り込もうとするけれど、あえて、自分に何も取り込まず、ただ皿洗いだけをする。
悩み事が頭のなかに浮かんできたりもするけれど、それを無理に消そうともせず、かといって悩み事について考えることもせず、ただ目の前の今に集中する。

日常を生きていると、無音の時間って、実はとてもすくないのかもしれないなぁと思う。
瞑想と似たようなものかもしれないけど、ひとまず、自分が自分だけである時間。いろんな情報に左右されない時間を、意識的に取っていきたい。

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