Essay|愛することも、愛さないことも。
朝起きて、カーテンを開け10分程度のヨガをしてから、顔を洗った。
それから肌に化粧水をつける。
洗濯ネットに溜まった衣類を分けて入れ、洗濯機を回す。
一人暮らし。洗面所から出てすぐのところに台所があるので、そのなんとなく秩序のある動線に従うように台所に立ち、お椀一杯分の水を計って小鍋に入れ、火にかけて沸かした。
お椀に梅干しを一粒とかつお節一袋、ティースプーン一杯分の味噌を入れて、湧かしたお湯を注ぐ。
冷凍していた雑穀ご飯を電子レンジで温め、お茶碗に移す。
それらの作業をしながらわたしは、わたしのことはわたしが愛そうと思った。
久しぶりに恋をした。でもそれは、恋というより恋する気持ちへの依存のようなものだったのかもしれないと思う。
わたしは自己肯定感が低い。
自分のこと、好きじゃないし、誰かからどう思われるかが怖い。
だけど恋をして、そしてそれはわたしにとって「この人に愛されたい」という期待と、「この人はわたしのことを愛してくれるのかな」という期待に他ならなかったのだと思う。
誰かがわたしのことを愛してくれたら、それはとても尊い。
でも本音を言うと、誰かがわたしのことを愛してくれたら、それはとても楽だ。早く楽になりたい。手っ取り早く、楽になりたい。そう思っている自分もいた。
自分が自分のことを愛せなくても、誰かが自分のことを愛してくれたら、それってとってもいいなぁ、自分で自分を好きになる努力、しなくていいもんなぁ、なんて甘っちょろいことを思う。
でも、本当にそうなんだろうか。
誰かに愛される安心感なんて、その人に愛されなくなったときのことを考えたら、「破滅」でしかない。
わたしが今している恋は、その破滅を望む行為なのかも。だとしたらわたしは、このままでは本当の意味で楽になんて、到底なれない。
最近心が囚われてしんどいので、思っていることや考えていることをとりあえず声に出そう、と思って、ボイスレコーダーに録音することを始めた。
普段から、自分の思っていることを口にするのが苦手だ。というより、自分が何を思っているのか、考えているのかがわからないのだと、録音を始めてから思った。
話そうと思っても、何を話せばいいかわからない。
こんなに悩んでいるのに、いざ口に出そうとすると「いやわたしって、今何を思ってる?」と頭のなかが真っ白になる感じ。
それでも、どもりながらでも思考を口に出していくと、徐々に思考がクリアになって、自分がほどけていく感覚と同時に、考えがまとまっていく感覚がする。
この練習をしよう、と思った。
友達を前にしても、好きな人を前にしても、会社の人を前にしても、いつも、自分と自分が乖離している気がしていた。会話をすると、自分が何を思っているのか、どうありたいのか、何を伝えたいのか、真っ白になって、何も、中身のない空っぽの言葉ばかり発している気がしていた。
なんでこんなにわたしは普通じゃないんだろう、と思う。
みんなが当たり前のようにしているように見えることを、どうしてわたしは普通にできないんだろう。
それとも、それはやはり当たり前のように「見える」だけで、本当はみんな同じような気持ちを抱えて生きているのかな。
わからない。そもそもそこまで深く、人と気持ちを共有できるほど、人に深く踏み込んで付き合ったことなど人生においてないから。
だけど、これから先の人生のことを考えると、今のままのわたしでいいの? と自分に問いかけたくなる。
今のままのわたしでいたら、そりゃきっと楽だよ。
自分のことを好きになれなくても、それを理由にして人と関わることをあきらめていたら、きっと楽だと思う。
だけどあきらめずに、ちょっとだけ頑張りたいと思った。
自分の魂のかたちや、自分の本音は、変えなくていい。
誰といても人は死ぬまで一人だという考えも、孤独も、きっと変わらないし虚しさは埋まらない。
埋まらないまま、でも、わたしはわたしを好きになりたいのだ。埋まらないまま、それでも多幸感あふれる自分になりたいのだ。
埋まらなくても幸せになれるし、埋まらなくても楽しくいられる。
そう信じて、一人でいるときもなるだけ楽しそうに過ごしたい。
そして誰かといるとき、もっと、楽しそうでいられる自分でいたい。そう思う。
誰かに愛してほしいなんて甘いこと言わないで、自分も他人も自分で愛せるわたしでいたいと思うし、ときに、他人を愛さないことも選べるわたしでいたいと思う。
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