目のきれいな人になりたい ~育休中、ただ娘を眺めるだけの一日を過ごしてみて~
ただ一度だけ、「あなたは本当に目が美しいね」と褒められた事がある。「黒く、奥まで澄んでいる」と。
その言葉は、私には恐れ多すぎる褒め言葉だったけれど、能力とか、容姿とかを褒められいるわけではなく、自分の「生き方」そのものを褒められている気がして、とても嬉しかった。
*
人の目の美しさ、というものに、私がはじめて魅了されたのは、まだそんな褒め言葉をいただく随分前のことだった。
夫がまだ夫となる前、長らく私と夫は遠距離だった。
京都と東京にいて、共に学生だった当時はお金も全然なかったから、毎回 4 列シートの夜行バスで行き来して、月に一度だけ会っていた。
待ちに待った月に一度の日、夢のような時間を過ごして。
そのあと、夜の駅で、わかれ際に、『今月もたのしかったね、ありがとう』と言って、手を振るのが常だった。
その夜の駅での、夫の目が、
すごく、ものすごく。。
きれいで。
まだ、本当はもっと、会っていたいけれど。夜のバスに乗って、帰らなければならない。
でも、私は決して寂しそうな表情は見せず、幸せな気持ちのまま、お礼を言って、その場を去ることにしていた。そして、また来月会う日まで、お互い、自分のことを、がんばると決めていた。
そんな思いで、夫の目を見ていたからだろうか。
真っ暗なバスを待つ夜の空間で、夫のその瞳は、光をやさしく反射してきらめき、ただただ美しかった。
こんなにきれいな目の人、私は生まれてはじめて見た。
*
夫と出会って 8 年半が経った。
私たちにはふたりの娘たちが生まれ、いま私は次女 (0 歳) の育休中のさなかにいる。
そんな育休も、もうすぐ明けようとしている。
先日ふと、育休中の今のうちに、なにかやっておきたい事はないか? と、自分に問うた。
そして『一日中、娘 (0 歳) をただ見つめるだけの日を過ごしたい』と思った。
育休中、毎日ずっと、娘と一緒に過ごしてきた。だけど、思えばいろいろと家事をこなしたりしていて、一日中、ただ娘を見るだけの日なんて、過ごしたことがなかった。
だから、その日、やってみた。
ただただ娘を見つめるだけの日。
やってみて、本当にたくさんの気づきがあったのだけれど…、
なかでも印象に残ったのが、娘の目の美しさだった。
これまでも、目がきれいだ、と思ったことは幾度もあった。けれど、改めて娘を見てみて、本当に美しい、と思った。
いつまで見ていても、飽きなかった。
こんな美しい目をした人、はじめて見た、と思った。
そして、よく考えたら、はじめてじゃなくて、二度目だった。一度目は、夫だった。
娘をじっと眺めていた日、さらに驚いたことは…
その最も美しいと思っていた目に、私自身が映っていたことだった。
ハッとした。
その日、私はただ娘を、ずっと眺めていた。でも、それ以上に、娘が私のことを見ていたのだ。
たぶん、これまでも毎日、よく見てくれていたのだろう。
上の子 (2 歳) が私の行いを、いつもとても上手に真似て再現してくれる事も、こういうことか。
私は本当に、子どもたちによく見られているんだ。
*
美しい目をもつ家族に囲まれた自分。
そんな、自分が最も美しいと感じる人の目に映る私自身は、美しい、誠実な行動をする人でありたい、と思った。
そして、そのような行動をすることで、自分も美しい目を持つ人物になりたいと思った。
美しい目は、美しい「生き方」を表しているように思える。
だから、きれいな目をした人になれるよう、きれいな心を持って日々を過ごしたいと思う。
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