文通ラジオ第8回_過去の思い込みを手放す【あづ妙】
こんにちは。
文通ラジオ第8回目、今日はあづ妙がお届けします。
6月30日(日)
今日は朝からもわんとした空気が漂っている1日で、蒸し暑さを感じるような時間が流れていました。
窓を閉めて、文明の利器に感謝をしながら、リモコンをポチッと押せば、一気に部屋が涼しくなり、「なんならちょっと寒いかも」と思いながら、薄手のカーディガンに手を伸ばした、ふと「何してるんだろう」なんて気持ちを抱えながら、いそいそと仕事に取り組み、18時頃に無事納品。
6月もみなさん、本当にお疲れ様でした。明日から7月。
もう下半期が始まると思うと、本当に今年もあっという間ですね。
(さすがに早いかな……)
今は19時30分。
ゴーゴーと風の音が聞こえてくる部屋で、文通ラジオを書き始めました。
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第7回でさきさんが書いてくれた「孤独と原動力」を読んで、占いの話や「ツイてない理由がほしい」と思う理由にすごく共感しました。
たしかに、「占いに行こう」と思うときって、なんとなく自分の心の奥底で抱えている問題を肯定してもらうために行っているというか、問題を話すことに対して相手が解決しようとしてくれる姿勢を含めて、「この行動が今の自分に必要がある」って思いたいときなのかもしれません。
こういった理由で占いに行くことに対して、「それってどうなの?」と思う人もいるかもしれないけど、私は自分の行動の根底にある「もしかするとこうなのかも」っていう気持ちを見つめて、言葉にしているさきさんの姿が真っすぐで、素敵だなと思いました。
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さて、第8回目の文通ラジオで何を書こうかなと、さきさんが書いてくれた7回目のnoteを今、改めて読み返しています。
そのなかで、「今回の記事のテーマにしよう」と思ったのがこの部分です。
この部分を読んだときに、「誰かに連絡…人と会ったり…あっ」と思い出した出来事があったので、今回はその出来事を振り返ってみたいと思います。
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さかのぼること約半年前の2023年12月。
これまでの私だったら考えられない前代未聞の挑戦に立ち向かいました。
と書きながら、「そんなに壮大なことではない」と思う自分もいるのですが、当時の自分からすれば、それは本当に前代未聞の挑戦だったんです。
その挑戦というのが「意識的に人と会うこと」でした。
紆余曲折ありながらも、金沢から大阪に戻ってきて早4年が経った今の私の生活は、家族以外の人とほとんど会わない日々が当たり前になっていて、友だちが食事に誘ってくれたら月に1回~2回程度出かける程度。
「電車に乗るのが1ヶ月ぶりぐらいだ」と思うことも多く、私自身、この生活を好んで、そして、自ら選んで送っていると思っていました。
というのも、過去を振り返ってみれば、人との距離感が掴めず、人間関係が苦しくて辞めてしまった仕事。授業は好きだけど、人がたくさんいる場所に居続けることができなくて辞めてしまった学校。
そういったほろ苦い思い出が頭の中に浮かんでくるたび、口癖のように「人間関係さえうまくいってれば……」と思ってしまう自分がそこにはいて、いつしか「人と関わる事」を意識的に避けるようになっていたんだと思います。
今の仕事は在宅で行っていて、打ち合わせはオンライン、クライアントとのやりとりもチャットツールで完結することも多いため、「この働き方が自分に合っていて、そういう道を自分で選んだ」という自負のようなものもあります。
「仕事はしたいのに、外的要因が原因で本来の力が発揮できないのが怖い。それなら、その要因を取り除いた環境を手に入れられるように頑張ろう」と思いながら、模索した結果が今の仕事の形です。
なので、私自身、今の働き方に悩むことはほとんどなく、選んで良かったと思えている事実もちゃんとあります。
でも、沢山悩み、葛藤した日々から10年近い時間が過ぎるなかで、ふとしたときに「私ってどう考えても人が好きだな」と思うこともあったんです。
もちろん、そういった気持ちを抱えるときの相手は、友人であったり、一緒にプロジェクトを進めている仲間だったりと、親密度が高い人たちであることは確かです。
だけど、年を重ねて、さまざまな経験をするなかで、「もしかすると昔ダメだったことのなかには、今ダメじゃないものもあるかもしれない」と思うようになり、いつしか私は、自分で自分の限界を決めていたことに気付きました。
「うまく人間関係が築けなかった」という過去が、「もしかしたら私も年齢や経験を重ねたから、前とは違う距離感で人付き合いができるかもしれない」という考えを否定していたんだと思います。
そんな私に転機が訪れたのが去年の秋ごろのことでした。
自分の限界を自分で決める癖を変えて、これまで見えなかった部分まで視野を広げられるようになるために、コーチングを受けることを決めました。
約3ヶ月近い期間内省を続けるなかで、すごく明確に見えてきたのが「本来の私は人が好き」という気持ちだったんです。
そこで去年の12月。思い切って友人たちに連絡を入れて、1ヶ月の間に7回出かける予定ができました。
これは私にとって快挙ともいえる数字で、正直なところ、「どこかでしんどくなっちゃうかな」と思ってしまう部分もあったのですが、結果的に私は7回のお出かけを心から満喫して、「友だちと遊びに行く時間は楽しい」という、とってもシンプルな答えに辿り着くことができました。
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そのときに思ったんです。こうやって「昔は苦手だったから、多分今も苦手だろうな」と思い込んでいることはきっと誰しもにあって、その克服に時間をかけるって結構怖いし、リスクがあるなと。
たとえば、これまでの経験から、「これは私がすることじゃない」といった直感が芽生えることがあったとき、残念なことに、その直感は結構な確率で当たってしまう。
それなら仕事やプライベートの時間が限られている今、昔苦手だったものは今も苦手と仮定して、触らないようにしているほうが安全です。
やっぱり「向き合う」ということにはたくさんのエネルギーを使いますし、検証した結果「やっぱり苦手」となる可能性があるのなら、そこに労力を使わず、そのままにしているほうがいい気もする。
私はそうやって、「まだ苦手であることに気付くのが怖い」という気持ちから、仮定を仮定のままで放置し続けていたように思います。
だけど今回コーチングという、自ら動き出した機会を原動力に、「昔はこうだったけど、今はどうなんだろう?」と感じたことに対して思い切って動いてみると、本来の自分が思っていた気持ちに気付くことができました。
もちろん、全てを克服していたわけではなく、大勢の人と一同に会する場所が苦手とか、人と会う時間が連続で続くとしんどくなるとか、それなりに苦手だと思う人付き合いの形はあります。
だけど、そういった苦手だと感じるものに対して、許容できることが多くなったというか、昔は一つでも苦手だと思うことがあると「それは人付き合いが苦手ってこと」と決めつけて、自分で自分を苦しめていたのですが、今は「Aができなくても、Bができるなら、”できることはある”って思っていい」と少し前向きに捉えることができるようになりました。
今回、月に7回も友だちに会ったけど、これを来月も続けたいかと問われるとそうじゃないし、たぶんこの時間が続いて、自分だけの時間が少なくなると、どこかで気持ちがネガティブな方向に持っていかれる。
少なからず私は人から影響を受けていて、ときにそれが自信を持って進んでいるはずの人生に「比較」という影を与えてくるのなら、「会いたい時に、会いたい人と会うことを選ぼう。人と会うのが多い月があっても、少ない月があってもいい」という一つの結論のようなものを出すことができました。
といった感じで、最近の私はまた月に1回程度しか出かけない時もあれば、タイミングが重なって月に何回か出かける月があったりと、「自分のタイミング」を大切にしながら人付き合いを大切にできるようになったんです。
これまでは「出かける」という選択をする前に、「今月はこれ以上の人に会うと疲れてしまうかな?」みたいな疑念を抱くこともあったのですが、そういったものはまるでなくなり、「会いたいなら会う。だって私は人が好きだから」というシンプルな選択ができているように思います。
こうやって書いてみると、今回の私の原動力は「孤独」ではなく、「過去の思い込み手放す」だったように思いますが、さきさんにはそういった思いこみや、手放したことはありますか?
よければまた教えてください。
▶次回更新:2024年7月中(担当_さき)