文通ラジオ第3回目_選択と後悔【さき】
こんばんは。文通ラジオ第3回目、今日はさきがお届けします。
体調を崩しており、しばらくお休みさせていただいておりました。文通ラジオに興味を持ってくださった皆さま、そしてこれから新しく文通ラジオを始めようとしていたときにも関わらず「ゆっくりでいいですよ」と待ってくださったあづ妙さん、ありがとうございます。
改めまして、これからよろしくお願いいたします。
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さて、第1回目のテーマは「選択と後悔」でした。
あづ妙さんのお話を伺って、なんてタイムリーな話題なんだろうと思いました。というのも、今年はわたしにとって、「選択と後悔」の1年だったからです。(もう1年を振り返る時期になったことに驚きを隠せません…!)
自己紹介ですこし触れていますが、わたしは石川県金沢市に、10年以上住んでいました。長年住んだ金沢を思い切って飛び出したのが今年の5月、東京で仕事をするため、神奈川県に引っ越しました。
しかし引っ越したはよいものの、元々の持病もあり、慣れない土地で一気に体調を崩してしまいました。そして療養を経て、金沢に戻る決断をしたのが今年の10月頃。
金沢を離れることは、何年も時間をかけて考え決断しました。それなのに、いざ引っ越してみたはよいものの、都会の空気がどうしても苦しい。自分で選んだ選択が間違っていたのではないかと自分を責め、身体が無理だと言っているのにストップをかけられない状態になっていました。
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わたしもあづ妙さんと通じるところがあり、これまでの自分の人生を振り返ると、20代はとくに「自分で選ぶ」ということを大切に生きてきました。他人に選択を委ねて、上手くいかなかったり苦しくなったりしたときに、誰かのせいにするのが嫌だったのです。
そのためか、周りを困らせるような選択もしてきましたし、「無理だ」と感じたときには衝動的に手放したものもあります。
たとえそれが、自分の命を守る大きな選択だったとしても、他人に理解してもらうのはむずかしい場合もあるでしょう。「なんであなたはそうなの」と、咎められたこともあります。
自分で選択できる人は、一見、芯があり自分に自信があるようにも見えます。しかし、それは自分の自信がないことの裏返しでもあると思うんです。
あづ妙さんからの質問にお答えすると、わたしはこれまでしてきた選択に不安を感じたことは、数え切れないくらい沢山あります。
沢山あるというか、何かを選択するたびに、絶対と言ってもいいほど不安を感じます。
その不安をひとりで抱えきれないときは、信頼している人に「わたしの選択は間違っていませんか」と聞いてしまうくらいです。
何かを決めるとき、わたしは自分の頭の中だけで答えを出さないように気をつけています。周りの人の意見も聞いたうえで、最終的な判断は自分でする。
わたしは思考がとても偏った人間なので、そうしないと、客観的に物事を捉えられないんです。
人間は毎日何かを選択して生きています。食べるもの、着る服、通る道。トイレットペーパーだって、何十種類もある中からどれかひとつを選んでる。
これらは些細なことかもしれませんが、自分で選択するって、とても大きな喜びを感じられると思うんです。毎日がちょっと楽しくなるような。大袈裟にいうと、自分の人生を生きているなと思える。
「自分の選択が全部間違えているかもしれない」と思うのは、これでもかというくらい考えて、そのうえで自分で選択して、丁寧に内省して、自分の人生を生きてる(生きようとしてる)からだと思うんです。
わたしは後悔するのは悪いことではないと思っています。昔の自分が選択したことが、何らかの形で今に繋がっていると思うので。
今の自分を否定したくないという思いが強いからかもしれませんが…。
お休みをいただきながら文通ラジオでのやり取りを拝見していて、あづ妙さんも、コメントを残してくださった方も、"スキ"してくださった方も、きっと日々迷いながら選択を重ね、自分の人生を生きていらっしゃるのだろうなと感じました。そして何というか、とても嬉しくなったんです。
個人的に、そういう方が好きなので。好きな人たちの集まりだと思って、ほっとした自分がいました。
わたしたちは生きている限り選択し続けるわけですが、丁寧に考えた選択から生まれる後悔は、決して敵ではないと思っています。後悔も含めて、生きる糧になると思いたい。
書き始めたら、思いのほか長くなってしまいました。最後まで読んでくださってありがとうございます。
読者の皆さんは、最近どんな選択をしましたか?些細なことでも構いません。ちなみにわたしは、セブンイレブンのコンビニのおにぎりの具で悩みました。(結局お赤飯にしました!)
▶次回投稿予定_12月上旬ごろの予定(担当_あづ妙)