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関東煮は「平成レトロ」か

昔、父の高校の同級生だった女性からピアノを習っていました。
その先生はピアノと声楽を専門にしていましたが、私は声楽は教わりませんでした。

最終的にはピアノのほうも、教わらなかった人と全く同じ状態です。

私たちの暮らしていたのは、ぺたんとした平野からなる海沿いの地域で、そのピアノ教室も海抜0mのところにありました。
細い入江のすぐそばでした。


小学校へ上がってからは、特に理由のないときは自転車で通い、天気がよくない日や帰りに耳鼻科へ行く日は母が車で送迎してくれました。
その帰りに時折、鄙びた駄菓子屋へ寄りました。
その駄菓子屋の娘さんが母の同級生、という繋がりがあります。

冬になるとそこのおばあちゃん(母の同級生のお母さん)が、店先で関東煮を売っていたのです。

遅ればせながら、私たちの「関東煮」と呼ぶのは、関東で言う「おでん」のことです。
その駄菓子屋だけではなく、25年くらい前の学校給食でも同じ表現でしたので、当時の西三河でこれはごく標準的な呼称であったと思います。

※「かんとうに」と書くものの、実際には「かんとに」と発音しています。

さてその関東煮は、給食で出るときは、平均的な感じの「おでん」でした。現在どこのコンビニでも売られている一般化された「おでん」と大差ないものでしたが、件の駄菓子屋においては、今思うと桁違いに風情のあるファストフードでした。 

長い丈夫な串(三河弁では竹製や木製の串を「ほせ」と呼ぶ)に一つずつ、丁寧にタネが刺さって、大鍋に気持ちよさげにたぷんと浸かって整列していました。
主に練り物と玉子を食べたのを鮮明に憶えていますが、大根やこんにゃくもありました。ポップなピンク色をしたさつま揚げみたいな練り物が、特徴的で目に残りました。

記憶が正しければ、一つ50円でした。
それをおばあちゃんが、しっかり厚いビニール袋に入れて、渡してくれました。そのビニール袋は必ず、「えびせんべい」とプリントされた未使用の袋でした。

それを、大人が世間話をしている間に店内で食べるか、家に帰り着くまでには車中で食べてしまうのですが、冬の夕方には、五臓六腑に染み渡るようなおいしさだったのです。
子供のくせに、いっちょ前に郷愁みたいなものに襲われて、黙りこむほどのおいしさでした。

おばあちゃんのレシピは甘みの勝った煮汁で、駄菓子屋に似つかわしい、おやつ感のある味付けでした。
例えばソースカツとか、蒲焼さん太郎とか、するめジャーキーとかの、子供が先天的に好む(体に良くなさそうな)甘しょっぱい系テイストに通じるホットスナックでした。

いやむしろ、あちら側が、おばあちゃんの秘伝の調味を研究し踏襲しているのか。

甘みとともに醤油の色も濃くて、味がよくしみているのが一目瞭然でした。
ただ1度か2度、十分しみてないのを食べ、
「あれ、だいぶ薄味だ」
となったことがあって、おばあちゃんのご愛嬌でした。

「平成レトロ」という単語を初めて聞いたとき、私も小さな衝撃を受けました。
あのおばあちゃんの駄菓子屋と関東煮も該当するのだろうか、とチラリと考えました。
それらはもちろん現実に平成期に存在しましたし、私は今その思い出を懐古しています。
しかし、平成の流行りものでは全くなく、はるか前の時代から存在したものをおばあちゃんが受け継いで淡々と守っていた小さな世界だったのです。
よって、平成レトロではなく、真のレトロと呼ばれましょう。

その後おばあちゃんが亡くなったので、駄菓子屋は閉店しました。
現在、母がウォーキングの途中で、付近に住む犬を眺めて密かに楽しんでいる という文脈に限って、その屋号を聞きます。


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