未だ見ぬ和菓子に
図書館で借りた雑誌を読んでいたら、「粟ぜんざい」について書かれていました。
私は粟ぜんざいを食べたことが一度もありません。
あまりに接点がなかったため、数年前まで「栗ぜんざい」と勘違いしていたほどです。
食べたことがないと思い込んでいるだけかもしれないので、母にも上記の内容を伝えてみたら、
「何それ?」
みたいな反応が返ってきて、二代にわたって食べたことがないと判明しました。
栗ぜんざい(栗しるこ)なら、ふるまってもらったことがあります。
あずきの代わりに栗が使われているので、色は栗の内部やさつまいもの内部みたいな柔らかな薄黄色でした。なめらかでありながら、つぶつぶとした食感で、絶妙な甘さ加減でした。
膨大な量であろう栗の皮をむく労苦に対して、私はそれを堪能するだけという贅の極みで、なんだか怖くなりました。
それを作ってくれたのは、今でもそれなりに元気に暮らしている熟練主婦の方です。
私は20代序盤、数え切れないほどその人にごちそうしてもらって、生き長らえてきました。
甲子園を見ながら餃子を食べたり、韓国の宮廷ドラマに出てきそうな見事な色彩の太巻き寿司を食べたり、バターで焼いた切り餅に大根おろしを添えたのを5個も食べたりしたのを覚えています。(5個も食べたのは私だけ)
その恩もあってか彼女のことを、世界一料理上手な人だと思っています。
粟ぜんざいの話でしたね。
借りた雑誌によると、その名店の粟ぜんざいは艶々とよく練られ、紫がかったこし餡を用いるようです。
ライターの方は、自分でこしらえてもみたけれど、お店で食べられる粟ぜんざいには到底及ばないと結論していました。
もち粟あるいは もちきびを炊いて搗いて不定形のもち状にしたものと、こし餡を合わせると一応出来上がるそうなので、お菓子作り習慣のある人なら、そんなに難しくないかもしれません。
それでも、力量と手間ひまの掛け方が老舗とは違いすぎるし、身体の芯まで冷え切った寒い日に、温め力づけてくれる熱さ甘さこそが粟ぜんざいの真価なのだ、というお考えでした。
まだ知らないお菓子が無数にあるのですが、今後、粟ぜんざいと巡り合う日も楽しみに待ちます。
できるなら、うんと寒く、くたびれた日に巡り合いたいと思います。