「誰も見えないところで 泣いてはいませんか」
チャットモンチーのベスト盤を聴きながら日用品の買出しに行ってきました。だいぶ前からカーステレオの調子が怪しいのですけど、今日は大丈夫でした。
チャットモンチーを好きになったのは、2008年頃と記憶しています。
友だちの引越しの荷ほどきを手伝っているときにASIAN KUNG-FU GENERATIONの「アフターダーク」を口ずさんでいました。たまたま居合わせた初対面の女の子が、
「アジカン聴くんだね」
と声をかけてくれました。
それから二人で一切の作業を中断して音楽を語り合いました。(迷惑)
彼女は自分でも楽器をやっていて、お姉さんの結婚式でチャットモンチーの曲を演奏したそうです。その時はどの曲か言っていなかったけど、結婚式なら「Good luck my sister!!」かなと後から思いました。
彼女との出会いがきっかけで、それまで名前しか知らなかったチャットモンチーにふれるようになりました。「完結」(彼女たちは「解散」とは言っていない)から4年が経つ今も、繰り返しCDを聴いています。
名曲「Last Love Letter」はPVも特によくて、ぼろぼろ泣いてしまった。だいたいずっとお気に入りのナンバーです。ベースラインが特に好き。
自分の言ったこと、言わなかったこと、したこと、しなかったことに、誰かがこっそり傷ついているのではないか。そういった不安を感じる時があるのではないでしょうか。
ここでは意図せずに「あなた」を傷つけてはいないだろうかとの懸念を言い表しています。
同じようなことを、カール5世も言っていました。
カール5世(1500〜1558)はスペイン王や神聖ローマ皇帝など70もの肩書きを持ち、ヨーロッパ史には必ず登場するキーパーソン。40年の統治期間中に40回出陣した多忙な生涯でした。健康面の限界を悟り生前退位をしますが、その引退セレモニーにおける挨拶の言葉が今も伝わっています。
王様でもそんなこと言うのか、全く時代を感じさせないスピーチだなあ、と衝撃を受けました。
今も昔も、動機さえ良ければまずい決定や振る舞いを皆に笑って許してもらえるほど、世の中甘くありません。現実に人に害を与えている場合が少なくないのだし、権威を持つ立場なら なおのこと。
人は過ちを犯すもので、そのつもりはなくても他者に迷惑をかけているのだと思います(王様ともなれば迷惑の規模がとてつもないですが)。たとえ自分の気がとがめることはなかったとしても、何も悪いことをしていないとは言いきれない。だから心配になるし、結果として傷つけた相手に許してもらいたいと願うのは、人間の普遍的な心理なのだと感じます。
さて、Last Love Letter は重くて凄みのある楽曲ですが演奏時間は短く、3分強です。
Love Letter とはいうものの、「あなた」とは誰なのか、なぜもう「届か」ないのか等々、リスナーは自由に解釈する余地を与えられていると思います。
チャットモンチーに限らず、ボーカルが終わっても延々とリフでなかなか鳴り止まないパターンも好きなのですが、この曲については潔く締めるところが良いです。それは「あなた」を手放す「わたし」の潔さであり、覚悟でもあるように聞こえて。